リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

不登校とエデュケーショナル・マルトリートメント(教育虐待)

子どものために良かれと思う親の価値観の押しつけが、子どもの健康を損なわせます。

(ケースは実際のものとは変えています)

社会不安が、我が子の商品価値を高めたい親の気持ちに火をつける

 中学受験の広がりがメディアでも多く扱われるようになりました。昨年12月30日付の毎日新聞では「令和のリアル 中学受験」と題して特集を組んでいて、臨床心理士で著書に「やりすぎ教育 商品化するこどもたち」がある武田信子さんの、「親の価値観を拒めず 追い詰める危険性 子どもとの対話を」インタビュー記事で掲載しています。

 

 武田さんは、冒頭で「社会の先行きが不透明な中で、多くの親は子どもに先行投資するかのように塾や習い事に通わせ、学歴や資格、技術を身につけさせようとしています。」「親や教師は子どもを少しでも「よい商品」に仕上げて、売れる(就職できる)まで責任を持つように暗黙のプレッシャーを受けています。

 しかし、子どもは商品でも親や教師の作品でもありません。感情や欲求を持つ人間です。」と述べています。

エデュケーショナル・マルトリートメントeducational maltreatment(教育虐待)とは

大人たちが自分の信じる価値観に基づいて、子どもたちに良いと思う教育を継続的に強制することで、子どもたちの身体、精神や社会的な健康度を損なうことを指します。

 

日本は、国連の「子どもの権利条約」を1994年に締結しましたが、「競争の激しい教育制度」について4度に渡って指摘を受けています。2019年には「児童が幼少期及び発達を競争的性質によって害されることなく享受できることを確保するための措置をとること」が日本の緊急措置として必要な問題として求められています。

実際にエデュケーショナル・マルトリートメント(教育虐待)の事例は増加しています

 武田さんは、「子どもは幼いほど大人の価値観を受け入れて頑張ります。しかし、大人が子どもの意思に関係なく自分の理想を求めると途中でついていけなくなる子どもが出てきます。大人はそれに気づかず、子どもを精神的な限界を超えるまで追い詰めてしまします。」と解説しています。

 さらに、「親から愛されたい子どもは強くは拒否できません。いやいや続けて親子間に緊張が高まりストレスがたまります。そして、受験に失敗すれば自己肯定感は下がり、合格しても競争は続きます。そんな中で無気力になったり、精神症状が出たりするケースも出てきます。」と続けます。

 

 ここから推察できることは、今広がりを見せている中学受験にこの危険性が大きいということです。先のブログ記事「私立校の不登校」で触れましたが、私立校から公立校に転入する不登校生徒は減る気配はありません。

 公立校では、私立中受験を失敗して入学してきた生徒や、年上のきょうだいが優秀で私立校に通学している生徒、小学校から優秀で公立トップ高校を目指して塾通いを続けてきた生徒などが、突然不登校になるケースが増えています。

 

ブラック職場並みの多忙な小中学生の生活

 中学3年生になると週6~7日通塾している生徒も珍しくありません。習い事も続けている場合もあります。長期休業中は夏季講習、冬期講習とスケジュールは埋まっていきます。内申書もどこか意識しつつ、中学1年生から3年生の引退まで活動も朝練、午後練、休日練、大会への参加など頑張り続けながら、睡眠時間や友だちとの遊びに時間も削って、高度成長期やバブル期のモーレツ熱血サラリーマン並みの多忙な中学校生活を過ごすのが今やスタンダードです。

 深夜にゲームで息抜きしたり、ライングループでお喋り?したりしてかろうじて気持ちを保っているのかもしれません。

 そして質の違いこそあれ、習い事や塾通いで週の殆どが埋まっている小学生時代からそんな多忙な日々は続いてきています。

突然、不登校になった中学3年生男子のケース

 先日、ある公立中で中学3年生の男の子が1学期の夏休み後の9月に、突然朝起きられなくなって不登校になったケースの話を訊きました。

 今や不登校のケースは私たちの仕事のルーティンのように多くあるのですが、今まであまり訊いたことがなかったケースなので印象に残っています。その子は、学校はまったくノーマークでした。

 小学校から真面目で学習成績も優秀、運動部の部活も頑張るイマドキのフツーの子で、お姉さんは県立のトップ校に楽々進学し、家庭も教育熱心だと伺いました。

 両親も突然の不調に驚き、心配してしばらく休ませようと考えたそうです。

 しかし、10月に入っても状況はまったく好転せず、子どもが毎朝泣き叫ぶようになり担任の勧めで母親がスクールカウンセラーの相談に繋がったそうです。

 

「行きたい、僕は学校に行きたい、行きたいのに行かれない。学校に行きたいけど行けない。行けないよ~・・・」と、毎朝泣き叫ぶ中学3年生の男の子の姿を、私はなかなか想像できませんでした。

 もっと早く本当の気持ちを親に伝えられていたらと思いますが、無理だったのでしょう。何も言えないから「折れた」のです。このような折れ方から立ち直るには時間がかかりますし、きっと進路先も変更もしなくてはいけないでしょう。

 

それでも私たちはこの折れ方で、まだ良かったと考えるべきなのです。



受け継がれエスカレートしてきた学業成績や受験のストレス

 現在は中学受験の広がりで、「エディケーショナル・マルトリートメント(教育虐待)」という概念がクローズアップされていますが、これまでも中学受験に限らず、小学校受験の失敗の影響で、自己肯定感を下げ承認欲求が強迫的に強くなったために不登校なったケース、幼児期からの音楽やスポーツの英才教育に親が追っかけになるほど夢中になって振り向かれないきょうだいが不登校なったケース、高校受験のプレッシャーからリストカットオーバードーズ、自殺企図してしまうケースなどがずっと続いてきました。

 「エディケーショナル マルトリートメント」は、直訳では「教育虐待」になりますが、教育上の不適切な健康状態を意味していて、背景には子どもに良かれと思う親の気持ちがあることを忘れてはいけません。

 親がなぜこの選択をしてしまったのかの原因が改善されなければ、この悲劇はずっと続くのです。

大人自身が安心できない不安な社会が悲劇的な競争を生む

 先行き不安な競争社会の背景にあるのは、格差社会です。

 社会のヒエラルキーの頂点の角度が鋭角的になるほどに格差は大きく拡がっていきます。生き残りのための競争の激しさは強いストレスとなります。競争にはそれ相応の努力と勝ち負けがつきもので、その結果に自己肯定感が左右されます。

 もし自分が競争の勝利者側にいれば、自分の価値を肯定し正当化する気持ちは強くなります。そのため過剰適応している人ほど自己肯定感が強化され、敗者側を見下した上から目線の言動が出やすいのです。

 

 その自己肯定感の裏側には敗者側に自分が陥ることへの強い怖れがあります。それゆえ我が子の商品価値を高めて勝ち組にするのが親の使命だと信じなくてはならないのです。

 競争社会では、集団の力学が働くため、遅れを取りたくない心理が加速度的に強まり、雪崩を打つように学業や進学に親たちの熱が入ります。

 速度が出るほど視野が狭くなるのは車の運転と同じです。多くの親が影響を受け、他の価値観がみえなくなり、子どもの気持ちを柔軟に捉えづらい状態が親たちの間に拡がります。

 

 今こそ客観的に自分を見つめ、物事を柔軟に捉える複合的な価値観での子育てが親には求められているのです。

 

「嫌になったら必ず親に伝える」というルール作りが必要です

 高学歴のエリート層ほど、情報を集めて堅実な子育てを乳幼児期から目指します。発達に一喜一憂しながらも、より目に見える英才教育、学歴重視の教育に傾倒しがちです。

 しかし、子育てほど親の思い通りに行かないものはありません。この大前提が親として最も大事な立ち位置になります。

 親の養育と子どもの成長がぶつかり合ってこその子育てなのです。ここの立ち位置を見失って楽な道を選ぶとその先に見えるのは、エディケーショナル・マルトリートメントか、ネグレクトか、いずれにしても子どもが虐待される可能性が高まります。

 

 また、親の中には、子どもの言いなりになることを極度に嫌う人もいます。殊に父親には、子どもに厳格であることが父性であると勘違いしたままの人が未だに多く、子どもの自律的な成長の足を引っ張っていることもしばしばみられます。日本の家父長制の負の遺産かもしれません。

 社会的に自立していくべき子どもを一人の個人として見ていれば、問題があれば話し合って解決していく姿勢をもつことができるはずです。(武田さんは、民主的に対話を続けることが重要だと言っています。)

 たとえ子ども時代に失敗をしても、親に支えられてやり直すことは将来社会で人を信頼し話し合いながら生きていける力を養います。自分が納得して自分の人生を自己決定することは、価値観の変化の大きいこれからの社会を生き抜くためには欠かせません。

 

 そのためには「嫌になったら必ず親に伝える」というルールを最初に子どもと作っておくのがいいと思います。

 

子どもの思わぬ成長に感動できる親になる・子育ては意外性が醍醐味

 20年ほど前に、不登校になった中学3年生の女の子が話してくれたことがあります。

 彼女は小学校からずっと塾通いや習い事をして、成績はトップクラスで生徒会長も務めていました。母親が優秀な娘の突然の不登校に大慌てで5月頃に相談に繋がったケースです。母親だけが先に相談し、女の子は自分一人の面接なら来談すると約束をして来てくれました。

 

「ずっと母が私を導いてくれて、これまで母の言うとおりに全部きちんとやってきました。でも去年くらいから何かスッキリしなくなってきていて、それをもうやめることにしたんです。母に話してもわからないと思うので。」

「お母さんに、あなたの気持ちをお母さんに伝えてもいいですか。それともあなたから伝えますか?」

「まあ、話しといてもらえますか」感情のない平板な声でした。

 

 後日、母親面接でそのことを伝えると母親は茫然としていました。

私はしばらく子どもに何も言わず見守るように勧めました。その後、母親は気を取り直したかのように子どもを観察し、面接で細かく報告をしてくれました。

 

女の子は、学校には行かず、毎日外出先を告げずに出かけるようになります。今まで溜めたお小遣いで化粧品や洋服を買って帰り、当時流行っていたゴシック(黒系)のゴスロリファッションを身にまとうようになります。マニキュアは黒です。

話し方もすっかり変わって母親と対等になり、別人のように感じた母親がやっとの思いで外出先を訊くと、街角で毎日絵を描いているおじさんと話しているのだということでした。とても不思議なエピソードでした。

 

これもまた突然、子どもは夏休み明けから再登校しフツーに登校を続けます。ただ進路は、親が勧める高校は拒否、美術系のコースのある高校を選び進学させてくれと言ってきたそうです。

最後の面接で母親はこう語りました。

 

「あの子は、私が考えていた子ではありませんでした。私が間違っていました。あの子は私が思っていたところなんて超えていました。私なんかよりずっと凄い子だったんです。それがわかって良かったです。」

見えない何かから解放されたような満面の笑みでした。

 

親の知らぬ間に、子どもはサナギが蝶になるように成長していたのです。






 

不登校の支援~子どもは必ず発達・成長する

「児童期」「青年期」(思春期)を支えるために。

エリクソンの「生涯発達」(ライフサイクル)の視点から不登校支援を考えます。

(ケースは実際のものとは変えています)

「人間は生涯発達する」(エリクソン

 エリク・H・エリクソン( Erik H.Erikson, 1902- 1994)は、ドイツ出身のアメリカの発達心理学者で、人間は生涯発達すると考え、心理社会的発達理論を提唱しました。「ライフサイクル」と「アイデンティティ(自己同一性)」という概念を定着させたことで知られています。

 エリクソンは、人間の一生を8段階の「時期」に分けて、「心理社会的危機」と課題の達成によって獲得する「要素」を分類しました。(危機において葛藤し、課題を克服すると要素が現れる。)

エリクソンの心理社会的発達理論(ライフサイクル)

 年齢

  時期

 要素

 心理学的課題

生後~

乳児期

希望

 基本的信頼 vs. 不信

18カ月(1歳半)~

幼児前期

意志

 自律性 vs. 恥、疑惑

3歳~

幼児後期

目的

 積極性 vs. 罪悪感

5歳~

学童期

有能感

 勤勉性 vs. 劣等感

12歳~

青年期(思春期)

忠誠心

 同一性 vs. 同一性の拡散

20~39歳

成人期

 親密性 vs. 孤独

40~64歳

壮年期

世話

 生殖 vs. 自己吸収

65歳~

老年期

賢さ・英知

 自己統合 vs. 絶望

 ここでは細かく解説しませんが、全体をザックリ眺め、まずそれぞれの段階の「年齢」に「時期」の名前がついていることを確認してください。また、段階にはそれぞれ「心理学的な課題」があり、そこで獲得すべき「要素」があります。

この表から理解すべきことを整理して次の4つにまとめました。

①人間は8つの段階を経ながら、生涯を通じて発達します。(ライフサイクル)

②人間はそれぞれの段階年齢の時期に変化という危機(クライシス)を迎えます。

③人間にとって、乳児期から青年期までの約20年での5段階が人生の激動期であり、その最終段階の青年期(思春期)の「自己同一性(アイデンティティ)の獲得」の時期が、子どもから大人になる人生の最大の危機になります。

④その青年期の子どもの親たちの多くはほぼ壮年期が中心で、「中年の危機」を迎えている最中に当たります。

青年期(思春期)の子育ては苦労が絶えない

 人生最大の危機に揺れる青年期の子どもの親には、人生の後半の始まりに揺れる中年の危機が重なります。この揺れる同士の組みあわせは偶然なのでしょうか。

 

 二足歩行の人間は脳が進化したために11か月未熟なまま早産で生まれてきます(生理的早産)。生後3~4カ月になると人に対して微笑みかける「3カ月微笑(社会的微笑)」で大人に大事に世話をさせます。それは、生後半年頃からの、特定の養育者を認識する「人見知り」まで続きます。自我が徐々に芽生え、自分の意志で行動し始め、歩行までに約1年かかります。乳児期・幼児期・児童期と社会との関わりを拡げながらゆっくりと脳を発達させ、約12年かけて青年期を迎えます。この間の子育てには、経験よりも体力が親には必要です。

 そして青年期になると、自己同一性(アイデンティティ)という社会で生きるための自分という人格を統合し、大人として生きるための青年期という人生最大のイベントの危機がやってきます。どうしたら乗り越えられるのか子どもは悩みます。現実の自分と向き合いながら自分という人間をどう形作るべきか悩み続ける、自己肯定感が低下しがちな青年期を迎えます。

 一般的には、親に対して自己主張が増え、衝突したかと思えば退行して甘える、干渉を嫌い、隠し事や試し行動などが増えるといった、つかみどころなく、矛盾に満ちた言動の毎日が繰り返されます。それを支えるために、進化の過程で、親が人生経験を積んだ働き盛りで、まだ頑張れる体力が残っている時期を重ねたかもしれません。

 その一方で、親は自分の人生の先行きが見え、少しずつ衰えを感じはじめ、これからの自分の行く末を案じて心揺れながら、次世代を育てる思いを更に強くしていくのです。自分の不安を背負う親にとっては、子どもの青年期は苦労と喜びが交錯する、子育ての終わりを告げる寂しく切ない時期でもあるのです。

不登校・子どもの健康度を第一に、発達、成長を見守る

 最近、不登校の激増が大きく報道されています。小中学校の不登校は30万人を超えようとしています。その不登校が起きるのが、児童期・青年期です。

 親子が大変な揺れに見舞われることになることは容易に想像できます。その上、原因も立ち直っていく経過や時間も様々です。その中で確実に言えることは、自己肯定感が低下する青年期での不登校経験が、更に彼らの自己肯定感を下げるだろうという心配です。

 夫婦や家族が同じ考えで支援できる家庭ばかりではありません。無理解な学校も未だにあります。周囲からの偏見に晒されることもあります。ママ友パパ友との交流も減り親の孤立感も強くなります。

 そんな中で、親のどちらか一人だけで子どもを支えるケースも多く、親の消耗も激しくなります。子どもが元気な時の子育てさえもギリギリなのに、仕事をしながら、健康度の低い不登校の子どもを支えるストレスは高まります。不登校の急性期に、とにかく早く再登校してほしいと焦る親の気持ちはわからないでもありません。

 しかし、まず最優先すべきことは再登校ではなく、子どもの家庭生活をQOLのある安心できる環境に保つことが先決です。例えば、子どもが不登校という「咳」をする何かの病気に罹患していると考えてみたらどうでしょうか。まず休養させ、十分な睡眠、滋養ある食事、安心できる家族との会話という環境が大切になることでしょう。

 次に相談機関や学校のカウンセラーに相談することをお勧めします。不登校の原因は何処にあるのか、どういう環境がこれからの必要なのかの「専門的なみたて」は親の支えになります。より安全に子どもを見守っていくために、子どもを支える親には社会に支えてもらう権利があります。

不登校の子どもが伝えたいことを知る

 「行きたくない理由をきちんと言いなさい」「言ってくれなきゃわからない」と大人たちは子どもに迫りがちですが、子どもが論理的に言葉の概念を用いて思考するのは12歳以降の青年期と言われています。

 子どもが大人に対してどんなに生意気な口を叩いていたとしても、小学生までは相当背伸びしてやっています。中学生でもやっとそれを獲得したばかりの新人だということを大人たちは肝に銘じるべきでしょう。自分の思いや考えを整理して、言語化して誰かに伝えることは大人になっても容易なことではありません。

 子どもを早く立ち直らせたい焦りから、大人は子どものその場しのぎの言葉に飛びついてしまいがちです。そのことが返って回り道になって立ち直りを遅らせてしまうことは珍しいことではありません。

 

 大事なのは子どもの本当の気持ちです。それが親にとってどんなに腹立たしいことであっても、親が受け止める覚悟が子どもに伝わった時にはじめて、子ども自身が伝えたい自分の気持ちを意識できるようになります。

 子どもが自分の気持ちの存在に気がついて、それを言語化するにはそれ相応の発達・成長の時間とそのための環境が必要です。気持ちが熟成されてくるのを待って、10歳の時の経験を15歳になって言えた子どもがいたなら、その子の成長を無条件に褒めてください。今は何も言えなくても、言えない子どもの今をありのまま受け止めることだけが、子どもの発達・成長を促進させるのです。

 表面的な言葉の奥に何があるのか、もっと深く子どもの姿を見つめ直してみることが長く生きてきた壮年期の大人の役割です。そして何年でも子どもの気持ちを待てるのがその子の親であることの意味でもあると思うのです。

ありのままの子どもに向き合い、自己決定して行動するのを粘り強く待つ

 親が子どもの発達・成長を待てないことが、子どもの自立の阻害要因になることにこれまで触れてきました。

 私が多くの親に出会って思うのは、親の持つ社会への不安が子どもを待てなくしているのではないかということです。日本社会は同調圧力が強いと言われていますが、個人の思いを表に出さず、過剰適応してきた親ほどこの傾向をもっているように感じています。そうやって社会を先に生きてきた親の思いが先行し、それが子どもを追いつめ、その人生を支配さえしてしまうのです。言い換えれば、親自身の社会への過剰な適応への不安や、馴染めない不適応感が子どもを追いつめています。

 実際に、子どもへの依存から親自身が自立できずに、親である自分を演じる続けるために、無意識に自立を阻害し続けてしまう親たちにも出会いました。彼らは、子どもから立ち直るきっかけを奪って故意に世話をし続けたり、きょうだいのように一緒にひきこもりのカプセルに留まってズルズルと生活したりしてしまうのです。解決の糸口を探すだけで終わってしまう自分の無力さが突きつけられるケースです。

 

 不登校の子どもの親への支援は社会の急務です。まず同調圧力の強い社会の価値観を転換しなくてはいけません。もっと個人が自由に生きられる多様な価値観を共有できる社会に一歩でも近づけていかなくては、いつまでも同じことの繰り返しです。

 子どもが自立していくためには、親自身が社会と適度な繋がりをもっていることが求められます。親には親が楽しく生きる人生があることを子どもにきちんと見せながら、子どもが自律的に巣立っていくことを促していきます。そこには親の価値観の押しつけは不要です。親自身が自らの健康度を保ちながら、子どもの自己決定をどこまでも尊重するのが親としての成長の証なのです。今こそ子育ての原点に立ち返らなくはいけません。

 このことを考える度に思い出す子がいます。小学校から不登校になり、中学2年生になってほぼひきこもりの昼夜逆転生活を約1年間続けた女の子です。

 長い不登校の日々が続きました。両親は共に子どもの日常生活を献身的に支えながらひたすら見守りました。不登校の4年目の中2のある日、この女の子は母親との交換日記にこんな一行を書きました。

「ママ、わたしを不幸な子どもだと思わないで」と。

母親は「この日から前を向けました」と私に言いました。

「成長しましたね。」と私は応じました。

 その後、不登校6年目の15歳の夏に突然通信制高校の面接を申し込んで通学を始めたとのことでした。それ以上は知る由もありませんが、このケース以降、安心できる見守りのある環境で育つ子どもは必ず発達・成長して「青年期」には何かが起こるという漠然とした確信が心に根付いたのです。

 

私立校の不登校~支援級スタートから県立高校トップ校に合格したNくんの紆余曲折

私学教育の「建学の精神」は何処に行ったのか?人間教育の理念は忘れられたのか?

Nくんとの出会い(実際のケースとは内容を変えています)

 ある日、適応指導教室の入り口に立って活動の様子を見ていると、すっと横から私が首から下げたネームホルダーを勝手に手に取って眺めている中学生の男の子がいました。

 「カウンセラー」と、読む声がしてびっくり、顔を見て「よろしくね」と私が言うと、目が一瞬合ってから、ちょっと頷いたようにしてネームホルダーを手から離し、黙ってそのまま部屋に入っていきました。Nくんとの出会いはこれだけですが、私には意外に鮮烈な記憶になっています。

 私のその時のNくんの印象は、見た目中学生の小3少年でした。その後、母親が相談に繋がり、不登校の生活から高校進学まで1年半ほどNくんの様子を見ていくことになります。

経過

 Nくんは乳児検診で早期に指摘を受けて療育に通い、ASD自閉症スペクトラム症)の診断を受けて、地元の公立小の支援級に通いました。大勢の集団での生活や対人関係に苦手な所が多くあって、少人数での学びの方が落ち着くため、母親は支援級を選びました。

 Nくんは徐々に学校適応も良くなり、進級するしたがって交流級(一般級)で授業に参加する機会も増えていきました。療育のドクターもNくんの成長を認め、母親や本人とも話し合って小学校6年生は1年間一般級で生活することになりました。思っていたよりも適応も良好で学校で一緒に過ごせる友達もできました。

 それでも、母親はこのまま公立中学に進学して、Nくんが多感でやんちゃな中学生の中でやっていけるのか不安でたまらなかったそうです。そこでNくんの学力が高いこともあり、中高一貫の私立中学を受験させたのです。

 Nくんは、刺激が多い所で過ごすととても疲れやすく、通常でも一日10時間の睡眠が必要なロングスリーパーです。イレギュラーなことがあると、どんなに楽しい家族旅行などでもエネルギーを多く消費し、二日間寝込むこともありました。母親は、Nくんには少しでも落ちついた学校環境が必要と考えたのです。無理のない程度に受験勉強をして受験は合格でした。

冷たかった私立中学の不登校対応

 私立中学は、通学もNくんは電車に乗るのが好きなのであまり負担になる様子もなく、スタートは順調にみえました。

 しかし、5月GW頃から徐々にNくんは朝なかなか起きられない日が増え、遅刻や欠席が多くなっていきました。母親はNくんの生活時間帯の組み直しをして睡眠時間の確保に努めましたが、効果が上がりません。頭痛や腹痛を訴え始めたのでドクターにも相談して本人と話し合いをもったところ、Nくんの口から、クラスメイトから嫌がらせを受けていると初めて話してくれたそうです。母親は学校に相談に出向いて、クラスの指導をお願いし、体調が回復するまでNくんを夏休みまで休ませることにしました。

 夏休みも体調はなかなか回復せず、宿題も終わらなかったためNくんは夏休み明けの登校を渋りました。母親は再び学校に相談しましたが、学校は驚くべき対応を行いました。

 これからNくんの学校生活に向けて相談しようとする母親に、担任は「このまま学校に来られないと勉強についていけず、進級や内部進学は見込めないでしょう。」と切り出したのです。義務教育のため「退学」とういう言葉はあえて使いませんが、暗に自主退学を勧めたのです。この学校の建学の精神、四書五経の「詩経」とは裏腹に、機械的で冷たい対応でした。

不登校児童生徒を締め出す私立校・忘れられた建学の精神

 私立中学でも不登校になる子どもが大勢います。学校としては義務教育のため簡単に退学にはできませんが、不登校生徒に対して手を差し伸べるどころか、自主退学を促す事例は以前から後を絶ちません。

 未だに私立では中高の募集説明会でも、不登校生徒が門前払いの扱いを受けることは多くあります。

 ある高校では、この高校の受験のために、別室登校や部分登校を頑張っていた不登校の生徒が説明会に参加して個別相談したときに、担当者から「あんたみたいなのが来るところじゃない」と言われたそうです。その子はショックでしばらく家を出られなくなってしまいました。その学校の創始者は、震災や空襲で校舎を失っても「人はゼロからやり直せる」と言って再建を果たしたとHPに書かれています。

 ある大学の附属校でも同じように中学生の不登校生徒を自主退学させたケースがあり、その学校を調べたところ、大学には臨床心理士(現在は公認心理師)養成コースをもっていて、教授が「不登校支援」の講演をするポスターが私たちの相談機関にも送られてきていました。建学の精神は「人づくり」です。

 

 笑い話にもならないお粗末な実態です。私学教育とは、ただの金目の経営なのでしょうか?建学の精神に謳われている人間教育は何処へ行ったのでしょう。これが一部の私立校のやり方だとしても、ずっと公立校の方がマシな気がします。

 公立校では不登校への根本的な対策もまだまだですが、私立校はその実態すら掴めません。公立校から見ると、私立校で不登校になって退学した子どもたちが次々に転入してくるだけで、私立校からの子どもの情報共有すら殆どないのが現実です。

 そんな私学の教育理念は、「経済効率」「有名大学進学」「自己責任」の三本柱がよく似合いそうです。それでは「教育」とは言えませんが。

 

 不登校の子どもに手をかける私立学校はとても少なく、その代わり不登校に特化したオンラインや少人数でのサポート校などの教育ビジネスが急激に発展して受け皿になってきています。これもひとつの社会の分断の形なのだと思います。

地元公立中学に転入したNくん

 地元の公立中学に転入したNくんは、2年生の終わりまで一日も登校しませんでした。Nくんは自分の存在すら知られたくないと言ったのです。一般級に在籍はしていても名簿には名前を載せないように学校にはお願いしました。

 

 中1~2年生のNくんは、徐々に体調も良くなり適応指導教室に通いながら通塾もし、週末は独りで電車に乗って祖母の家の畑を手伝う日常を送ります。スケジュール管理はすべて母親が完璧に行いました。ロングスリープで疲れやすいのは相変わらずでしたが、コツコツと一人で勉強だけは続けていました。

 子どものルーティンの守り神である母親の悩みが一つありました。Nくんが帰宅して、ほぼ寝るまでずっと母親にいろいろな話をし続けるということでした。母親は自分が休めるようにNくんのスケジュール管理を見直しましたが限界はあるものです。Nくんは外では饒舌ではありません。表情も言葉の表出も少なくいつも緊張していたのだと思います。母親はそのこともよくわかっていて耐えていました。

 中学3年生に進級を迎える直前の3月に、Nくんの成長を感じさせる出来事がありました。来月には、二歳年下の妹さんが、同じ公立中学に入学する予定になっていました。家庭では、妹というより姉と言った方が良いほど、少し幼いところがあるお兄さんを見守るしっかりとした妹さんです。

 突然、Nくんは母親に、「中学校の別室登校を始めたい、クラス名簿にも自分の名前を記載してほしい」と申し出たのです。

 Nくんは入学してくる妹さんのことを思ったのです。自分が不登校であることが皆に知られたとしても、「兄は私立に行っている」と妹さんが嘘をつかなくてすむ道を選んだのです。

 1~2年生の時の担任が家庭訪問をしてNくんとの繋がりを粘り強く作り、別室登校も提案していたことが功を奏したと言えます。お母さんも先生方への信頼を口にされていました。「公立の先生たちが温かくて救われました」と。

中3の欠席数はゼロ

 Nくんは、学校の別室登校と適応を混ぜて、毎日どちらかに朝から行くようになりました。学校の別室ではまったく手がかかりません。Nくんはずっと独りでとても落ち着いて自習を続けられるのです。お弁当を持っていくほどになり、適応の日を勝手に学校に振り替えて通うようになりましたが、お母さんは少しでも人と関わる適応に多く行くことを進言していました。そこで多少の戦いはあったと聞きました。

 健康にも恵まれ、受験期になってもNくんは学校か適応のどちらかには必ず出席しました。先生方も無理に教室に誘うこともなかったので、生活のペースは見事に安定しました。名目上の欠席はゼロになったのです。進路は通信制のサポート校を選び早々に内諾を得ていました。

 でも秋の終わり頃、塾から、こんな高い学力があるなら受けるだけ受けてみたらどうかと、新設間もない県立のトップの理系に特化した高校を勧められました。

お試し受験

 高校見学をし、学習内容も気に入り、理系なら似たような生徒もいて友達もできるかもしれないという漠然とした動機で、Nくんは受検してみるとお母さんに言いました。  お母さんは迷いましたが、現在のNくんの健康度の高さや成長を考えてNくんの挑戦を受け入れました。それからもNくんは自分のペースを崩さず、のんびりとマイペースで勉強していました。

 お母さんはNくんのあまり切迫感のない様子に少しイライラしましたが、私はお母さんに「今までのペースを崩さないようにしましょう」と言いました。結果的にこのことがNくんの健康度の高さがずっと保たれることに繋がったのではないかと思います。

合格と母親のトラウマ

 Nくんはあっさりと合格しました。「あ、受かっちゃったよ。どうしよう。」と言ったそうです。そして進学を選びました。

 お母さんは私にその話を笑顔でした後、急に号泣し始めます。

 

「私、今度も子どもに受験やってみたらって言いました。中学の時もそうやって私が言ったんです・・・。同じです。また、何かあったらどうしよう、また同じになったら、私が悪いんです。私のせいです・・・・。」号泣に次ぐ号泣でした。

 

私は「受かるってすごいですよ。良かったですね。高校は行ってみなきゃわからないけど、コツコツ毎日頑張って、大変な中学生時代を乗り越えて受かった事実は変わらないですよ。もう前のNくんじゃないかもしれません。お母さんと話し合って決めたんだから、Nくんは自分が決めたって思ってますよ。高校生活が難しくなっても、またやり直せますよ。」

 ハンカチを顔に押し当てる母親に、つい笑顔で言ってしまいました。

 ケース終結後も、私立中学校のこの母子に残した罪深さが後味の悪い記憶としてザラリと残っています。

 



 

発達障害の二次障害の深刻さ

発達障害は先天的ですが、二次障害は障害ゆえに社会が負わせた後天的な傷です。

社会の無理解と不寛容が主な原因です。

Yくんの過酷すぎる二次障害(実際のケースを変えて書いています。)

ASDの診断と不登校・父親の叱責

 地域療育で小学校低学年時にASD自閉症スペクトラム障害)の診断を受けたYくんは、進級するに従って、同級生たちと過ごす学校生活に苦痛を感じはじめていました。

 自分が何か言うたびに浮いていく。皆の雰囲気が読めずに会話に入れない。親しい友人関係も続かず苦しんでいました。高学年になると学校の欠席が増えていきました。

 丁度その頃が仕事のトラブルでうつ病になった父親が家で静養している時と重なりました。不登校になったYくんに対して、父親は学校に行けと罵倒して手をあげるようになります。Yくんは自分の頭を壁に打ちつけ、抑うつ状態に陥って体調を崩して自室にひきこもるようになったのです。

 しかし母親の努力もあって、通院しながら徐々に落ち着きを取り戻し、5年生の終わりころ学校の勧めで適応指導教室に通えるようになり、少しずつ元気を取り戻しました。

中学への入学と友人の裏切り

 中学校に入学を機会にYくんは登校するようになりました。

 同級生と話を合わせることは難しいことでしたが、集団生活に自分から入っていき、日頃から一緒に過ごしてくれるMくんたちの仲間の中で過ごせるようになります。Yくんは順調に中学校生活をスタートさせました。しかし間もなく6月の宿泊行事で、Yくんは信頼を寄せていた友人に裏切られるのです。

 

 宿泊の二日目の帰りの準備をし始めた時です。同部屋の皆が申し合わせてYくんのペンケースをカバンの中から勝手に取って隠しました。帰りの支度をし始めたYくんはペンケースがカバンにないことに気がつきます。朝の係会議で栞と一緒に部屋に持ち帰って、カバンに放り込んで、その日の活動前に皆が始めていたカードゲームに参加したのです。

 帰りの出発の時間が迫る中、ひとつひとつ確認するために準備や支度にとても時間がかかるYくんは慌てます。今朝一刻も早く皆のカードゲームに参加することばかりに気がとられていて、ペンケースをカバンに入れたはっきりした記憶がないのです。部屋中を探し回り、部屋を飛び出して係会議をやっていた部屋に行きましたが既にカギがかかっています。「どうしたの?」と訊かれても、やってしまった自分への焦りばかりでパニックで真っ青になって誰にも言えずに探し続けました。

 涙がこぼれて諦めかけたとき、日頃からYくんの特性をよく知っているMくんが笑いながら「これじゃない」とテーブルの下に転がっているペンケースを指さしました。その瞬間、Yくんはすべてが理解できたのです。慌てふためく自分がペンケースを探し回る姿を部屋の皆が眺めて嘲笑していたことを。それがYくんの特性を一番知り、信頼を寄せていたMくんの仕業であることも。

 

 帰宅後の翌日からYくんは体調を崩して部屋から出られず、再び学校に行けなくなりました。事情を知ったお母さんは担任と話をしましたが、Mくんたちには指導をしましたというだけで、直接の謝罪もないままになりました。

 抑うつ状態で不眠になり、親に当たり散らして荒れるYくんと父親が激しい口論をするようになります。ある日、自分に手をあげる父親にYくんは包丁を手に取って向けました。母親は警察を呼びました。

 その時からYくんは、学校では「人間関係のトラウマを抱えた不登校生徒」から「何をしでかすかわからない危ない問題生徒」になり、漸く注目を浴びるようになったのです。

家庭の崩壊と再起の高校進学

 再びYくんは落ち込む日が増え、両親との接触を避ける昼夜逆転の日々を送るようになります。両親は離婚して父親は家を出ていきます。

 

 中学2年生になったある日、Yくんが小学校の時に通室していた適応指導教室に通いたいと母親と一緒に相談に訪れました。Yくんは長く引きこもっていたことがすぐにわかるほど不健康で青白い、別人のような顔つきでした。

 そして、第一声「この人、外に出してもらっていいですか?一緒には話せないので」と、Yくんと同様にやつれ切った老人のような顔立ちになった母親を目で指しながら私に言いました。母親には部屋を出てもらってYくんと話をしました。

 

「夜中の静かな時だけ落ち着けるのでその時間に本を読んでます。昼間少し寝て、ゲームして、母親に部屋に入られないように。でも、このままずっと家にいるのもダメかなと思って、外に出ようかなって、それで僕みたいな人間で悪いんですけど、また適応に行けたらと思ってます。小学校の時は楽しかったんで。」

私は、私から見えていた小学生のYくんの活動の様子を話しました。

「Yくんは、周りにとても良い影響を与える明るい子だったよね。」

実際に、小学生のYくんは周りに溶け込もうとしてハイテンションでしたが、明るく自分をさらけ出してふざけたり大笑いをしたりして過ごしていました。それが、適応指導教室では自分をなかなか出せないでいる周りの子たちに「自分を出しても大丈夫かな」と思わせる良い影響を与えていたことをYくんに伝えました。実際にYくんのお陰で自分を出せるようになった子どもが多くいました。

「それは、全然知りませんでした。」Yくんは驚いたように言いました。そして少し間を置いて、「でも僕は、オセロとルービックキューブがちょっとできるだけのアスペですよ。」と吐き捨てるように言いました。

「(適応には)昼間来られそう?」

「その日は寝ないで来るんで、大丈夫ですよ。」

 Yくんは約束通り、活動がある日は殆ど休むことなく活動に参加しました。小学校の時よりも悪ふざけや大人に対するお試し行動が多くなり、支援側が難儀する場面もあったようでしたが、休日に外で会って遊ぶような友人もできたと聞きました。

 そんな日が続き、Yくんは学校の期待どおり卒業まで登校しませんでしたが、我々の心配予想を裏切って?中3では図書館に通って勉強するまでに回復し定時制高校に進みました。

 

 卒業後のある日、高校生になったYくんが適応の相談室に寄って顔を見せてくれました。

笑いながら、本人曰く「高校行ってますよフツーに、この僕が。フツーの高校生やってます。」

「フツーの高校生って?」と訊くと、

「授業に出て、帰りに友達とマックに行くとか、それがフツーかな。」

わざと自虐的に言って見せているのがわかって、お互いに苦笑しました。

 その後のYくんの噂は耳にしませんでしたが、彼のお陰で「フツー」って何だろうと考えさせられました。Yくん「フツー」ってそんなものなんだね。

「フツー」であることが大した意味がないことを知ったYくん

 Yくんは「フツー」でない自分に苦しみ続けました。多くの「フツー」の人たちに合わせ、馴染むように努力し、最後に「フツー」になれないことを思い知らされます。「フツー」の人が「フツー」でいられる理由はそれが正しいからではなく多数派だからです。それ以上の答えはありません。

 多数派は、少数派のありのままを受け入れずに、多数派に合わせることを意識的に無意識的に少数派に求めます。「フツー」になりなさい。あなたは努力して「フツー」にならなくてはなりません。そうでなくては「我々の社会」では生きていけませんよと。

 実際に就職の場面では「社交性がない」「コミュニケーション能力がない」と不採用になることがあります。でもそれは多数派の「社交性」や「コミュニケーション」でしかありません。実際に、定型発達同士、ASDの人同士は共感性が高くなるという実証もあるそうです。

ASDから見える多数派のフツーの人たちの姿とは

 ASDの診断を受けた女性の皮肉が込めて、ASDの人から見た定型発達の人の姿を描いた姿を紹介します。非ASDには「定型発達症候群」( Neurotypical Syndrome)と命名されています。

 

「定型発達症候群とは、生物学的な障害で、対人関係への没頭、優越性の妄想、周囲との協調への固執を特徴とする。自分の経験が唯一正しいものと考えがちである。一人でいることが困難で、他者との細かな違いに不寛容である。特に集団でいる時に柔軟性がなく、直接的なコミュニケーションが苦手で、ASDの人よりも多くの嘘をつく。悲劇的なことに、1万人中9625人が定型発達症候群である可能性がある。」

 

 ここからわかるのは、ASDは少数派で定型発達は多数派というだけで、多数派は常に多数であることに「正しさ」という名前を付けて安心していたいということです。

多数派は思考停止している

 「自分は多様性を認めている」と言葉で言っていても、「フツー」であることが良くて「フツー」でないことが悪いという二択思考から解放されていない人は、本当の多様性の理解できません。思考停止しているからです。

 多数派が、自らの多数派であることの優越性に固執するほど少数派へ差別感情や偏見は高まり、少数派の人たちは社会での居場所を失って追い詰められていきます。特性を理解されず、生きづらさを更に鞭打たれることで、身体症状・精神症状・不登校・ひきこもり・自傷・暴力など、発達障害の二次障害は止めどなく発生していきます。

 世の中で起こることのすべて、人の複雑な気持ち、日々の天候に至るまで、物事は多くの要因が重なりあって今、目の前にあります。同じものは二つとなく、みな違っています。そこに偶然ある物事はすべて異なった重層的要因で存在し、一定せず曖昧であるが故にリアリティがあります。矛盾に満ち、あらゆるものが相対化されているのが世界です。みな定型ではなく非定型で曖昧なものです。ひとつひとつのことに向き合って自分の頭で考えなくては、理解は遠のくばかりです。

 多数派の定義・定型の鋳型に従い、多数派の正しさだけを何も考えずに共有して生きることは、現実に目を背けた不寛容な生き方なのです。

 

 息子が「フツー」に学校に行かない怒りで手をあげた父親の身勝手さと、Yくんの特性を嘲笑して連帯感を確かめたMくんの卑劣さが、Yくんの「二次障害」の傷つきを更に深く抉っていったのです。

 

 

感覚過敏は自閉症スペクトラム障害(ASD)の特性の一つです

ASDの人たちには、五感(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)に感覚過敏がある場合が多くあります。それぞれの人によって感覚過敏がある知覚や程度、対象などは違いがありますが、それらが日常生活に支障をきたしていることが多くみられます。「敏感」ではなく「過敏」なのです。

感覚過敏とはどんなものか、当事者たちの声を参考にして考えていきます。(参考資料:「発達障害を生きる」集英社

Dくんの訴え(実際のケースとは内容を変えています)

 何年も前のことです。夏休みの前に、久しぶりに面接にやってきた中学1年生になったDくんに会いました。半年ぶりに見るDくんは背も高くなり肩幅も拡がって、少し大人びたカジュアルなオシャレな服装も彼の成長として、私の目に飛び込んできました。

 母親を自分の脇に座らせ、テーブルの中央に私と向き合って座ったDくんは、柔らかい笑顔を浮かべて挨拶をして、少し身を乗り出して話し始めました。

「僕の不登校の原因がわかりました。僕、感覚過敏だったんです。自分では小さい頃からずっとこんな感じだったし、当たり前だと思っていたんですけど、病院で感覚過敏だと教えてもらいました。」

「僕の感覚過敏は、まず聴覚で、教室のザワザワが皆より大きい音に響いて聞こえています。街中でも人が多い混んだ駅なんかも苦手です。大きい音もすごく怖くて。」

「視覚の方は、昼間に外に出ると光が白く拡がってすごく眩しいんです。あと、学校で使う絵具や作業の材料のベタベタしたものや、においの強いものはとても苦手です。」

「学校では、デジタル耳栓やイヤーマフ、サングラスを使う許可を取りたいと思っています。適応指導教室でも利用したいのですが、言っても大丈夫ですか?絵具や作業の材料についてもダメなものは言ってもいいでしょうか?」

「もちろん大丈夫ですよ。私から伝えておきますから、我慢しないで申し出てください。と私は応じました。Dくんの少し声変わりした、弾むように明るい声が成長の余韻として私の中に残ったのを憶えています。相変わらずお母さんが口を挟むとキッと睨む所は変わっっていないので、苦笑してしまいました。

小学校入学から苦しんできたDくん

 Dくんは小学校低学年から登校渋りがあり、時々休みながら断続登校していました。5年生までは何とか頑張ったようですが、6年生の夏休み前から徐々に欠席が増え始めて、登校できる日が少なくなっていきました。本人には学校に行きたい気持ちが素直にあり、秋ごろから適応指導教室の少人数で過ごす日を作りながら、行けそうな日には登校を続けました。

 生真面目で、面接でも敬語・丁寧語を崩すことなく、極めて礼儀正しく自分のことをしっかりと話す小学生6年生でしたが、母親と一緒の面接で母が自分のことについて口を挟むとキッと母親を睨むのが印象的でした。母親はそれには慣れている様子で、母子関係に心配はなさそうでした。生育歴・家族歴を母親から聴き取り、日常生活での健康度や行動、性格、学校の不適応の状況や適応指導教室での様子などの情報を総合して、みたてていきました。家庭でのQOLも保たれ、適度に外出をするなど心身の健康度は安定しており、本人の特性から自閉症スペクトラム障害ASD)の傾向がベースにあると判断しました。その後の面接では、不調の時に無理な登校を続けないことや苦手な場面の回避の仕方など話し合っていきました。

 今まで療育や医療には相談歴がなかったため、中学校に入学する前に一度受診して検査を受けるなどして、自分の長所を見つけて伸ばしていくことを勧めて、小学校での相談が終了していました。

ASDの多くの人たちにある感覚過敏(視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚)とは

視覚過敏

 例えば、視覚過敏の場合、Dくんのように外での光が眩しい人もいれば、室内でも室外の光がカーテンの間から差し込むだけで、眩しすぎて目が痛い人もいます。教室の蛍光灯の光が白い紙に反射して文字が虫食いになって見える人もいます。

 対応は、部屋のカーテンを下ろしてその人に合った照度の部屋で学習する。サングラスや、レンズに少し色がついたPC用のメガネを使用する。文字が反射しにくいやや色の入った紙での印刷物にするなどが考えられます。

聴覚過敏

 聴覚過敏の場合は、聞こえる音域が広く、ノイズも含めて大きな音量で聴こえてしまうために、音が多い街中や人の集団が過ごす教室などで過ごすことが苦しくなります。

 拾いやすく不快な音などは人によって違いますが、例えば空調の音、蛍光灯のチリチリ音、時計の秒針の音、スーパーの冷蔵棚の音などの微細な機械音や、救急車のアナウンスや電車の通過音、ブレーキ音、商店やパチンコ屋、車のクラクション、集団での拍手の音などの大きな音、他人が食べ物を食べる咀嚼音、ガヤガヤする休み時間の教室の話し声など、他の人の多くが比較的平気でいられる音に対して強い驚きや恐怖、不快などを感じて身体が強く反応してしまったり、気持ちが悪くなってしまったりします。

 対応は、イヤーマフやイヤホン、耳栓(現在はデジタル耳栓が販売されています)など行いますが音は聞こえているので100%ではありません。静かな学習環境が必要なのは言うまでもありませんが、学校の教室では長時間集中して授業を聴くのは疲れてしまうことがあるので、一日何時間までと決めなくてはならない人もいます。また、食事の時間には個室で摂らせるなどの配慮も必要です。

味覚過敏

 味覚過敏は、食べ物の味と食感に過敏があるために、好き嫌いが激しくなります。わがままだと思われることが多く、学校給食に苦痛を感じることが多くみられます。無理をさせると吐くこともあるので、注意と理解、本人に合わせた合理的配慮が必要です。

嗅覚過敏

 嗅覚過敏は、におい全体に過敏な場合と、特定の苦手なにおいに過敏で強く反応して吐き気を催してしまうこともあります。味覚と同じように合理的配慮が必要です。

触覚過敏

 五つ目に触覚過敏があります。身体を触られたり、手を繋いだりすることでの刺激が非常に苦手です。爪切りや髪の毛をとくこと、シャワーなどに痛みを感じることもあります。服の生地や、タグ、服の形、靴下のゴム、メガネやマスク、ヘッドホンなど体に触れる部分に違和感があるために配慮を要します。また、特定の触感に苦手を感じることもあります。ベタベタしたものや、水などを触るのが嫌な人もいます。

 子どものころは言葉で説明できず反応が強く出やすいために、「どうして嫌なの?」と相手に思われるので理解されるまでには苦労することが多いでしょう。

 また触覚過敏があると、逆に「感覚鈍麻」がある場合もあり、脚を捻挫していても気づかない例もあるので注意が必要です。

長い間、注目されなかった感覚過敏

 少なからず、五感に敏感さをもっている方は多くいると思います。見ているものの違いにすぐ気づく、嫌いな音がある、食べ物の好き嫌いがある、古い食べ物の臭いにすぐ気づく、服のタグが気になって取るなど、他人よりも少し敏感な所をもっているのは珍しいことではありません。ですから多少「感覚過敏」の気持ちはわかるかもしれませんね。しかし、「過敏」は「敏感」とは違って、日常生活に支障をきたし、健康を阻害するほどの苦痛を伴うため、過敏をもっている当事者しかその苦しみはわかりません。

 しかし最近まで当事者の声が聞かれることはなく、当事者が人知れず苦しみ続けてきた歴史の方が長いのです。食物アレルギーが問題になり、給食での配慮が当たり前にはなりましたが、感覚過敏に対する対応は殆ど進んでいません。視力が悪くなってメガネをかけることに学校の許可が要らないのと同様に、感覚過敏の子どもへの合理的配慮がもっと積極的に行われなくてはいけません。ひとりひとりの子どもの生来の気質や特性に目を向けて、皆と同じであることに苦しむ子どもを出さない教育環境づくりが、激増する不登校対策の第一歩にもなり得ると思います。

 Dくんがもっと早く感覚過敏に苦しんでいることがわかって対応ができたら、彼の小学校生活はどれほど快適なものになっただろう。そう思うと、どれほど苦しかったのだろうと胸が痛むのです。

 中学入学時に自分が感覚過敏だったことを知ったDくんは幸いなことに、比較的元気に適応指導教室と中学校の登校を併行させながら卒業しました。三年生の時の担任の先生がDくんに理解を示してくれたお陰もあって、学校との信頼関係を自ら作り、通信制の高校への進学も果たしました。

 自分の苦しさが、大げさでも甘えでもなく「感覚過敏」だったという事実がDくんを支えたのです。




 

HSCは発達障害ではありません~5人に1人はHSC(HSP)です

「心も体も、何に敏感かは一人ひとり違います。」~エレイン・N・アーロン(カナダ・臨床心理学博士 2015)

HSC=「ひといちばい敏感な子(The Highly Sensitive Child)」アーロンの心理学の概念です。(大人はPerson)

「敏感」だが「過敏」ではないHSCHSP

 HSCとはどんな子どもなのでしょうか?今メディアでも扱われることが増えたので興味を持たれた方もいるのではないかと思います。関係した本も多く出版されています。

 HSC(HSP)の提唱者のアーロンの著書をまだ読んでいない方は、HSCを正しく知るために、まずアーロンの著書を読んでください。

 

 ここではアーロンの言う「HSC・ひといちばい敏感な子ども」とはどんな子どもなのか、少しだけ触れてみたいと思います。

 かつて「敏感な」子どもに対しては、「臆病」「引っ込み思案」「内向的」「神経質」「恥ずかしがり屋」「怖がり」などと言われてきました。しかし、状況を細かく把握し慎重に行動しようとしている子どもに対して、それらの言葉を使うべきではないと、アーロンはこの本の「はじめに」の中で書いています。

 

 HSCの子どもは外からの刺激から多くの情報を得る「敏感さ」があります。「敏感さ」とは、ひとつひとつの情報の微妙な差に気がつくということです。

 HSCの子どもはフツーの人が見過ごしてしまいがちな情報でもきちんと把握しています。そしてそれらについてじっくりと考え、慎重に行動します。ですから「臆病」でも「怖がり」でもありません。また「過敏」で傷つきやすくもないのです。

 

 勿論、それぞれの子どもには得意分野があります。人間関係の雰囲気(空気)や人の表情、態度、感情、痛み、自然環境や天候の変化、植物や動物の変化の様子など様々です。

 ただ、とても敏感に気がつくことが多いので、情報に溢れている場所(例えば、賑やかな会合、皆の注目が集まる教室での発言、動きの速い団体競技への参加、音量の大きい音楽が流れるレストラン等)では圧倒されて動揺しやすく、疲れてしまって、とても苦手なこともあります。

HSC発達障害ではありません

 HSCの子どもはじっくり考えて、たくさん質問してきます。親には「なぜ?」がたくさん投げかけられることでしょう。不満や文句もたくさん言ってくることでしょう。

 いつも着ているシャツと生地が違う、部屋が臭う、食べ物が辛い、いつものメーカーの牛乳と味が違う、暑い、寒い、ジメジメしている等など。他の子どもが気づかないようなことをたくさん気にしますので「変わった子ども」「フツーの子と違う」と思われます。

 またHSCの子どもは、たくさんの情報を把握することができる半面、その情報処理をするための特別な才能や高い能力を必ずしも持っていない(その点はフツーの子と同じ)という特徴があります。ここまで説明すると、発達障害ではないことがわかってくると思います。 

 集中しにくさや不注意があるADHD(注意欠如多動症)や、相互的な対人コミュニケーションが苦手で一つのことへの興味関心が強く、こだわりも強い、情報処理の認知機能に偏りがみられるASD自閉症スペクトラム)とも異なっています。

 行動の似ている一面だけを見てしまうと誤った判断を子どもに押し付けることになってしまうので注意が必要です。判断には専門家に相談するのが一番近道です。但し、「HSCは人の特性を表わす心理学の概念」、「ADHDASDは認知機能の障害で医療の診断名」であることを知っておいてください。

 そして最も大切なことは、HSCであれ発達障害であれ、それぞれの特性は共通していても、人格が違う限り「一人一人の子どもの個性はすべて違っている」ということです。

 HSCの子どもへの理解を求めて、アーロンはこう言っています。

 「敏感さ」は個性である。しかし「他の子と違う子ども」なのだから「親も他とは違う親になる覚悟が必要だ」と。

HSCは「不登校」になりやすいというのは誤解です

 最近メディアでもHSCに対する誤解が多く語られています。先ほど触れたように、HSCは発達障害でありませんし、もう一つの誤解である不登校の原因でもありません。正確に言えば、HSCの子どもは不登校になることもあるし、不登校にならないこともあるのです。これは他の子どもとなんら変わりません。

 

 HSCは他人の感情に敏感なので、その人を慰めたり安心させて心地よくしたりすることが得意な子どもです。普段の学校生活では、先生にとっては、落ち着いた温かいクラスを作っていく上で欠かせない子どもでもあります。

 でも、HSCは、共感力が強く他人の痛みや苦しみに気がつきやすい所もあります。同じ教室の中でとても悲しい思いや怖い思いをしている子どもにすぐに気づいて、自分のことのように心を痛めることは珍しいことではありません。でも、その原因が先生からの強すぎる叱責だったり、同級生からの酷い嫌がらせを毎日受けている子どもに先生が気づかなかったりしたらどうでしょう。HSCの子どもは、それが他人のことであっても平気ではいられず、登校を続けられなくなるかもしれません。しかし「敏感」であることが不登校の原因ではありません。「敏感」な子どもが過ごしにくい鈍感で危険な環境が原因なのです。

 言い換えれば、HSCは環境の微妙な変化に気づき、早めに様々な危険を回避できるとも言えます。

社会はHSCHSP)から、たくさんの恩恵を受けています

 アーロンは言っています。HSCの得意なことは、例えばギターのチューニング、皆に喜んでもらえるパーティの記念品選び、機転の利いた言葉遊び、微妙な結果を予想するチェスや将棋、他人の雰囲気や表情・態度を読み取ること、自然環境の変化に気づくことなど。様々なタイプのHSCから、社会はたくさんの恩恵を受けています、と述べています。

 HSCは5人に1人いて20%がHSC(HSP)であることが、人が社会を作って生きていく上で必要だったから、と考えることもできると言っています。

 

 一度あらためて自分の周りの人たちをよく眺めてみてください。多くのことに敏感に気づいて、周囲の人たちの助けになっている人がきっといるはずです。HSCは「ひといちばい敏感」なため環境からの影響を多く受けます。それ故に多くの変化に気づき、じっくりと考えながら周囲の人々を気遣って生活しています。HSCを理解し、共に生きて、その恩恵を受けることを大事に思える社会を私たちは作らなくてはいけません。

 HSC(HSP)が潤滑油の役割を担ってくれていることで社会は住み心地の良い温かさや気遣いのあるものとなっていくのです。HSC(HSP)が健康に育つ住み心地の良い社会は、より多くの人々が安心を得られる、苦悩や絶望から遠くにある社会でもあるのです。

HSCのチェックリスト

 チェックリストを見てみるとHSCがよりわかりやすいと思いますので、載せておきます。

 23項目中13項目以上当てはまったらおそらくHSCであるとアーロンは言っています。(「はい」が一つ二つでも、その度合いが極端に強ければHSCの可能性はあります)

 

質問に感じたまま答えてください。子どもについて、どちらかと言えば当てはまる場合、過去に多く当てはまっていた場合は「はい」、まったく当てはまらない場合か、ほぼ当てはまらない場合には「いいえ」と答えてください。

 

1,すぐにびっくりする 

2,服の布地がチクチクしたり、靴下の縫い目や服のラベルが肌に当たったりするのを嫌がる。

3,驚かされるのが苦手である。

4、しつけは、強い罰よりも優しい注意の方が、効果がある。

5,親の心を読む。

6,年齢の割に難しい言葉を使う。

7,いつもと違う臭いに気づく。

8,ユーモアのセンスがある。

9,直観力に優れている。

10,興奮した後はなかなか寝つけない。

11,大きな変化にうまく適応できない。

12,たくさんのことを質問する。

13,服がぬれたり、砂がついたりすると着替えたがる。

14,完璧主義である。

15,誰かが、つらい思いをしていることに気づく。

16,静かに遊ぶのを好む。

17,考えさせられる深い質問をする。

18,痛みに敏感である。

19,うるさい場所を嫌がる。

20、細かいこと(物の移動、他人の外見など)に気づく。

21,石橋をたたいて渡る。

22,人前で発表する時には、知っている人だけの方が上手くいく。

23,物事を深く考える。

 

いかがでしたか?

詳しくはアーロンの著書を、ぜひ読んでみてください。



不登校の急性期・回復期・成長期~学校以外は何処へでも行ける元気な不登校になるためには

不登校の原因は十人十色ですが、学校に行きづらくなる「急性期」や、休んで少しエネルギーが回復し始める「回復期」、心身ともにエネルギーが高まって暇を持て余し始める「成長期」という流れは多くのケースでみられるものです。

今回は不登校の理解のために、ありがちなエピソードや実際の話など取り交ぜて書くことにしました。もちろんすべてのケースに当てはまるものではありません。

不登校の、「安定期」と「不安定期」とは?

「安定期」と「不安定期」は交互に現れるのが一般です。

 精神的に最初に不安定になるのが、状況の変化が起こる「急性期」です。後に詳しく書きますが、苦しいことのみ多い時期です。その途中で再登校を焦ると、成長変化がみえないままの短期休養だけで子どもも頑張るので、不安定が外から見えにくく、突然の「折れ」に繋がることもあるので十分注意しなくてはいけません。

 「急性期」の変化が収まって、次に事態が動かなくなる「回復期」がやってきます。変化が長期に渡って起こらないのでそれ自体は「安定期」であるとも言えます。

 新しいステージへの変化が起こるときには必ず「不安定期」に入ります。「回復期」から次の新しいステージに入る時を「成長期」とすると、変化を伴う「不安定期」がまたやってくると考えます。そこを乗り越えた先に再び新たな「安定期」が待っています。

 このように「不安定期」を乗り越えるためには、長期の「安定期」を過ごして、心身の「エネルギーの回復と成長」を遂げる必要があります。「安定」と「不安定」は交互にやってくるのがフツーです。それは、生きる力をつける成長・発達の証でもあります。

苦しさだけの「急性期」

 不登校の「急性期」は、登校渋りとして現れやすく、子ども自身も体調を崩すほどに深く悩みますが、親や学校、友人、親戚を巻き込んだ大騒ぎになることも珍しくありません。

 「急性期」のありがちな始まりはこんな感じでしょうか?

 

 学校に行きたくないのは「何が理由なのか」「どうしてなのか」と本人を問いただして原因の究明に力を注ぎ、何とか学校に行かせようとする親や先生たち。つい「明日から行くよ」と言ってしまう子ども。 

 そして、前の晩の登校の準備、次の朝の起床から戦いは始まります。

 「行くって言ったのに、どうして朝起きないのか」、布団に潜り込んでの抵抗、起きてもパジャマのまま泣きじゃくる子ども、なかなか出勤できない親、タイムリミットで学校に欠席や職場への遅刻の連絡、「すみません。すみません。」と謝る親。

 やっと着替えさせ、手を引いて学校へ、「気持ち悪い」「お腹が痛い」となかなか歩かない子ども、「先生待ってくれているよ、ちゃんと歩いて」と声を荒げる親。

 校門の前の曲がり角のフェンスを掴んで「帰る」と叫んで動かない子ども。「母子分離できない甘い親」と言われそうで、つい親も先生と一緒に二人がかりでフェンスから引きはがす。「行こうね」に「うん」と答えてしまって先生に連れていかれる子ども。まさに「急性期の地獄絵図」です。

 小学校低学年では毎日教室の中まで連れていき午前中教室で過ごす親もいます。この根気は何処から出てくるのかと本当に敬服します。

 欠席した子は、家で昼頃からだいたい元気になります。帰宅後の子どもも比較的元気に過ごします。でも、やはり夕食後くらいから徐々にテンションが下がってきます。

 子どもも自己防衛を開始します。家の中で、様子を見られないように押し入れ、キャンプ用テント、手製の段ボールハウスなどに閉じこもって生活し始めたり、学校時間に沿った生活を遠ざけ、平穏な静けさを求めて夜行性の生き物に変身したりします。
 不登校の「急性期」は「つらいこと」しかありません。

 随分前の話ですが、小4で不登校になったY君のお母さんが疲弊している姿を見て、一年前の小3から不登校になった同級生のK君が、「Y君のお母さん!1年経てば楽になりますよ」と慰めたのを記憶しています。

「学校に行ってないのに」という枕詞が待っている「回復期」

 欠席が安定的に?続くようになると、諦めも半分入りつつ、親は、我が子がなぜ不登校になったのかを自問自答し続けます。昼夜逆転もほぼ定着。押し入れ、テント、段ボール暮らしもすっかり板について、リビングに出て過ごす時間も増えてきます。食欲も回復、軽い筋トレ、YouTubeでダンスの練習などを始める子どももいます。親との何気ない会話も増えてきます。

 「昨日親子で冗談を言い合って笑ったら、顔が引きつっちゃって、笑ったの半年ぶりだったんです。」と嬉しそうに話してくれた母親がいました。「何にも悪いことしてないんですから笑って良いんですよ」と声をかけました。


 以前より確実に元気になってきた子どもの姿を喜びながら、親の心は複雑です。最近は子どもの生意気な言葉にイラっとくるようになってきました。ちょっとした口喧嘩もするようになりました。子どもが、親を馬鹿にした言い方に我慢できず、とうとう言ってしまった。「そんなに元気なら学校に行きなよ。学校に行ってないくせに偉そうに。」

 自分から話題にするまでは、学校のことは言わないようにしようと自分で決めていたのに・・・子どもの顔が少し青ざめたように感じたとき、子どもの口から出てきた言葉に打ちのめされることになります。「あ~やっぱ「学校に行け」。結局それしか言えないんだね。」

 がっくりと肩を落として来談した親が話します。「昨日、地雷を踏んじゃいました。なんか試されてるんですかね?今日は、まだ口をきいてません。部屋に籠っちゃってます。元に戻った感じです。」私は「大変でしたね。でも一回くらい言ってしまっても、簡単に元には戻りませんよ。今までどおり見守りましょう。フツーの親子喧嘩みたいですし。」と慰めます。「なんだったら先に謝ってしまったらどうですか?」
 「回復期」の親の見守りはつらい修行のようです。子どもにとっては「学校に行ってないくせに」「元気なのに」などと言われやすい時期です。なかなか「元気でごめんなさい」とは言えません。

 次のステージに何が待っているのかは別にして、元気であることが「次」を導き出します。不登校の子どもにとっては、毎日が「休日」ではありません。学校に行っていない自分との闘いに日々なのです。「学校に行ってないくせに」闘っているのです。ですから、土日祝祭日はお休みが必要です。夏休み・冬休みには、ゆっくり休んで旅に出て「リフレッシュ」です。

 この時期に回復を促進するのは、落ち気味の体力を回復させながら外に定期的に出かけられる居場所ができることです。それは中断していた習い事、塾、フリースクール適応指導教室などの決まった大人がいて安心して楽しめる所でもいいし、親と買い物を楽しんだり、美術館巡りをしたりするのもいいでしょう。

 中学生くらいになると一人で映画やアニメショップに出かけますし、遠くまでイベントに行くこともあります。また乗り鉄撮り鉄、バスマニアなどは言うまでもなく熱心にどこまでも出かけて、年齢を超えてマニア同士の交流を深めるのです。

 こうして周りの心配を他所に「不登校ライフ」を楽しめるようになるといよいよ生きる力がついてきます。まさに学校以外は何処でも行けるようになっていきます。江戸時代までの日本ならまったく問題なしでしょう。

自己評価を上げて、自己決定力をつける「成長期」

 学校以外何処でも行けるくらいになるのは理想ですが、用事があって出ようと思えば出られる程度でもOKです。それぞれの安心できる時間帯に(平日の昼間なら知り合いに出会わない、下校時に重ならない、土日なら子どもでも不信に思われない等)外出できるようになり、家での生活リズムも家族との関わりが自然にある生活で、食欲・睡眠が安定して体調も良くなれば、口には出さねど、子どもは単調な生活を変える新しい挑戦をあれこれ考え始めます。

 親もタイミング良く、学校情報や友人の情報、その他諸々の情報をさり気なく話題にして「きっかけ」作りをします。釣りの「こませ」(撒き餌)に似ていますね。でも、子どもはなかなか行動を起こしはしません。子どもが「慎重」であることは、これまでの学びの成果です。自己理解できている証拠です。簡単に「学校行ってみようかな」という筈もありません。

 この時こそ親は子どもの行動観察を定点観測すべきです。些細な変化を見逃さずに、子どもと接していきます。段ボールハウスやテントは既になく、部屋の整理、模様替えや断捨離の開始はかなり有望な変化です。ファッションの変化や化粧品の購入、親に貰ったものの返品などがあることも良い傾向です。

 子どもは親を喜ばせるために生きているのではありませんから、合法であればある程度の変化は親の意にそぐわなくとも笑って?受け入れなくてはいけません。「受け入れられること」がどのくらい自己評価を上げるものなのかは、受け入れられない惨めさを知っている人間だけがわかる感覚です。

 こうして子どもが決意した時に、やっとの思いで言葉になって表出されたことを喜び、心から支える事ができたら、どれだけ救われることでしょうか。結果はどうでもよく、やってみることができる意志が成長そのものなのです。仮に、もし自分の意志で学校に1日だけでも行って来たら、それはその人の中での「奇跡」として、ずっと忘れずに生きていけると思うのです。「不登校だから登校は1日だけだけどね」と笑って暮らせるようになって欲しいと思います。

 

 私はある日の適応指導教室の帰りがけに、5~6人の中学生女子が頭を寄せ合って真剣に話しているのを傍で聴いていたことを思い出します。その中の一番お化粧上手な中心的存在の中3のAちゃんが、皆に向かって熱弁を振るっていました。

「ウチらはさ~結局不登校じゃん?今の中学ではマジでどう足掻いてもフツーにはやれないんだよ、やるつもりもないけど(笑)。高校は合ったとこ行ってさ、今は楽しめば良くない?今、学校行ってる奴だって高校やめりゃ不登校だろ~。次の帰りは皆でカラオケ行くか~」わっと明るい笑いが広がりました。