リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)(その3)日本の戦争とPTSD

日本人の戦争とPTSD ~ 精神科医の記録や証言から

 日本も「PTSD」とは無縁ではありません。日本の近代史は戦争の連続でした。自分たちの足下も振り返ってみたいと思います。

 

 東京都立松沢病院の名誉院長・精神科医の斎藤正彦さんが、毎日新聞「医療プレミア」(2023/9/1付)「戦争とPTSD 精神医療は誰のため?」の中で、東京帝国大学教授兼第3代松沢病院委員長の故・呉秀三博士が残した1912年刊「日露戦役中余ノ実験セル精神障礙(しょうがい)ニ就キテ」という本を紹介しています。(以下抜粋)

    【呉博士】

「この本は、呉博士が1905年1月から10月までの間、軍医の補助として陸軍の病院で実際に経験した精神病患者134人、外傷後の神経症状を持つ患者255人の病状を整理したものです。

 長期間に及ぶ持続的な心身の緊張、疲労、栄養の偏り、頭部その他の外傷、伝染病、アルコール、性病等のために、戦時は平時に比べて兵の精神疾患が多くなること、その影響は戦争終結後も長く続くことなどを紹介しています。

    【日露戦争

 赤十字社員として日露戦争を見聞したドクトル・アウトクラトウが論述した「日露戦争(1904~1905)に於ける露軍精神病者一般」という記事も付録として載っていて、日露両国の戦争と精神障害に関する当時として他に類を見ない詳細な研究になっています。

 

 国際的にみると、戦争と精神医学、心理学の関係が急速に深まるのは、第一次世界大戦(1914~1918)の後です。この大戦では職業軍人ではなく、戦争のために招集されたたくさんの市民兵が戦い、命を落としました。

 昨日まで平和に暮らしていた若者が、短期間の訓練の後で自分の身を砲弾にさらし、戦友が爆弾で飛ばされるのを見ながら目の前の敵兵を殺すのですから、精神に異常をきたす人が現れても不思議ではありません。

     【第一次世界大戦

 第一次世界大戦中、ヨーロッパの戦場で、戦争神経症と呼ばれる急性の精神症状を呈して、戦闘ができなくなる兵士が少なくありませんでした。

 これを、戦争を遂行する側から見ると、徴兵して訓練しても。実戦に使えない非効率な兵士がいる、ということになりますから、徴兵検査の段階で的確に除外することが求められます。

 私たちが、現在、日々の臨床で使っている心理検査の中には、二つの世界大戦の間に、兵士を効率的にリクルートし、的確な配置をしたい軍隊の要請によって作られたものもあります。

 

 日露戦争の頃は精神医学の専門家がごく少数しかいなかった日本でも、精神科医が増えるにつれて、兵士の精神症状は軍隊の病院内で処遇されるようになりました。

 日中戦争(1937~1945)から太平洋戦争(1941~1945)にかけては、現在の国立国際医療研究センター国府台病院、ついで国立精神・神経医療研究センター(NCNP病院が、陸軍内部で起こった精神障害者を専門に収容するようになります。

  【初期の国府台病院】

 第二次世界大戦中(1939~1945)は、戦場で精神障害を発症すること自体が「帝国軍人にあるまじきこと」になり、医療情報は軍隊の特殊な病院内に隠蔽されるようになりました。」(以上 斎藤正彦氏の記事より)

 【太平洋戦争・真珠湾攻撃

 Buzz Feed News(2016年)に「埼玉大学名誉教授の清水寛さんの証言があるので追記して紹介します。

「絶望的な戦場に投入されて亡くなった日本軍兵士は、200万人以上。生き残った人たちも、身体や心に大きな傷を受けて帰国した。今で言うPTSD心的外傷後ストレス障害)に悩まされた元兵士も多かった。中でも病院暮らしを余儀なくされ、社会復帰できないままになってしまった人たちの存在は、あまり知られていない。いまだに入院中の人だっているにもかかわらずだ。

 戦地の加害経験などで精神を病んだ人たちは、「戦争神経症」と呼ばれた。敗戦直後までに入退院した兵士は約2万9200人。その半分にあたる約1万450人が、さまざまな精神疾患に苦しんだ。軍部は、国府台病院(千葉)を中心にその対応に当たった。1940~45年にかけては、いまの東京都小平市など3か所に療養所が設置されている。それほど、兵士たちの精神疾患は重大な問題だったのだ。」 

  【現在の国府台病院】

 以降の証言の記述では、患者たちの症状を6つに分類しています。

1,戦闘恐怖 2,戦闘消耗 3,軍隊不適応 4,私的制裁 5,自責念 6、加害による罪責。

 そして様々な戦場でのトラウマ体験のフラッシュバック(追体験)に悩まされ続ける姿が語られています。そのような兵士の身に起こる精神障害の事実や、軍による残虐行為などの記憶は、軍部や日本政府にとって隠蔽すべき機密であり、また戦勝国で統治国となったアメリカ政府にとっても触れたくない不都合だったのは明らかです。

   【太平洋戦争】

 太平洋戦争での日本人死者は310万人(軍人・軍属230万人、民間人80万人)、兵士の7割近くが餓死、戦病死し、30万人を超える海没死者、その上での特攻と多くの無残な大量死を重ねました。

 

 また、太平洋戦争末期に原爆を含む大規模な空襲があった107自治体が把握している空襲の死者数は約38万7000人であることが毎日新聞の調査で判明しています。そのうち氏名が判明しているのは6割に満たないとされています。民間人の犠牲者の実相は明らかにされてきていません。

  【B29・本土空襲】

 敗戦の荒廃の中で、病死、餓死、自殺などで亡くなった多くの人たちの実相は不明ですが、大量の死者たちと、残された無数の家族や友人たちを想像する時、戦争がどれほど多くの人間の身体と心を破壊し尽くすのか慄然とするばかりです。

 記録の残る戦後5年目の1950年でも、日本の餓死者は9119人でした。

   【戦後闇市

 日本政府が始めた戦争でありながら、国民の死傷者数や戦争の実相も把握することもなく、戦争遂行のために都合の悪いことは隠蔽してきました。一旦、国家の利害がぶつかり合う戦争が始まってしまうと、ひとりの人間の命は紙のように軽いものになるのです。

 現在のウクライナ戦争(2022~)での2024年5月以降ロシアが行っている兵士の犠牲者を厭わない攻撃(2か月で7万人以上が戦死)や、ガザ地区戦争(2023~)でのイスラエルハマスせん滅を名目としたパレスチナ人へのジェノサイド(民族浄化)とも言える無差別大量殺戮は、まさに第二次世界大戦の人類の愚かな悲劇を再び繰り返しています。

 

 近年の大地震原発事故(2011)、気候変動による洪水などによる災害死とともに災害関連死の数が発表されるようになりましたが、その数の多さに驚かされます。

 戦争も災害も事故も、多くの悲惨な死傷者の周辺から、その後も多くの死者や精神疾患を発症した人々を次々に生み出していく事実を知って考えなくては、正しい歴史を学んだことにはなりません。そこには数多の重症の複雑性PTSDを背負い一生苦しみ続ける人たちがいるという「想像力」が必要なのです。

→ 「PTSD心的外傷後ストレス障害)(その4)その治療と予防」に続きます。