リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その11)~学校だけが居場所だと思わないで 「私の居場所は私が決める」(東京新聞8/22付:13歳cocoさんが込めた決意)

皆と同じことをしない子どもは「わがまま」なのか。

学校が、6cocoさんを排除したのは2024年のこと。

 

「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)」(文科省:2023年3月31日)は、「学校」に届いていない空念仏?実現不可能な言葉の羅列?絵に描いた餅?

学校現場の現実とは程遠い文科省「COCOLOプラン」

【文科大臣のメッセージ(2023年3月)】

私は、不登校により学びにアクセスできない子供たちをゼロにすることを目指します。

そして、子供たちに、「大丈夫」と思っていただけるよう、徹底的に寄り添っていきます。

 

このため、教育行政の責任者として、私は、

1 、不登校の児童生徒全ての学びの場を確保し、学びたいと思った時に学べる環境を整える

 

2 、心の小さなSOSを見逃さず、「チーム学校」で支援する

 

3 、学校の風土の「見える化」を通して、学校を「みんなが安心して学べる」場所にする ことにより、誰一人取り残されない学びの保障を社会全体で実現していきます。

 

この考えの下、この度、このCOCOLOプランをとりまとめました。

今回のプランを実現するためには、行政だけでなく、学校、地域社会、各ご家庭、NPO、フリースクール関係者等が、相互に理解や連携をしながら、子供たちのためにそれぞれの持ち場で取組を進めることが必要です。

文部科学省では、支援が必要な子供たちが学びにつながれるようにすることと、全ての学校を誰もが安心して学べる場に変えることを、今すぐできる取組から速やかに実行していきます。

必要な支援は子供たち一人一人の状況によって異なるため、こども家庭庁や 地方公共団体、学校等とも連携して、一人一人に応じた多様な支援を行っていきます。

不登校となっても学びを継続し社会で活躍できるよう、私自身が先頭に立ち、子供の学びに携わる全ての関係者とともに、取り組んでまいります。

                  令和5年3月 文部科学大臣 永岡 桂子

過重労働で余裕のない学校現場の教員に「COCOLOプラン」の大臣メッセージはどう聞こえたのでしょうか。

大人数クラス、人員不足、人材不足、情報交換の時間の不足、次々起こる児童生徒の問題、保護者への対応・・・

皮肉なことに「COCOLOプラン」発表の翌年、学校に行きづらさを感じて苦しんできた小学生の「cocoさん」を救えませんでした。学校は彼女を「わがまま」だと、排除したのです。

居場所を奪われて苦しんだcocoさんからのメッセージ

「不登校甲子園」は、不登校を経験した10代の若者たちが、自身の思いや日常の気づきをショート動画にして、夏休み明けなどにつらさを感じて同じ思いをしている当事者に向けて、言葉や等身大のメッセージを発信しています。

 動画投稿サイト「TikTok(ティックトック)」、教育にとりくむNPO法人カタリバなどが主催。不登校の経験が1日でもある13歳以上20歳未満の個人、グループが参加条件で、友人関係や夢中になったものなど不登校になって見つけた「居場所」に関する動画作品42本が全国の中学、高校生らから寄せられました。

今年のテーマは「わたしが見つけた居場所」。24日に「不登校生動画甲子園2026」の表彰式が都内で行われたそうです。

その様子を「東京新聞8/22付」が伝えています。

 

【以下記事】(抜粋)

(今年の最優秀賞に選ばれた、埼玉県の中学2年生・cocoさん(13歳)の作品「私の居場所」の動画が紹介されています。)

学校に居場所はなかったけれど…cocoさんが見つけた道

〈学校が嫌で 自分に合う居場所が欲しかった〉

 そんな言葉で始まる動画で今回「初出場」した中学2年の女子生徒coco(ココ)さん(13)は、「新しい学びの場をつくりたい」と夢を描く

 

1の頃、親友が転校し離れ離れになった。心のよりどころを失い、誰にも話しかけられたくない。学校では教室や図書室で本を読むことが多かった。

 

担任は「休み時間はみんな校庭で元気に遊ぼう」という考えだった。1人で読書していたいのに。居場所を強制され、悔しかった。

 

当時の日記には、強い筆圧でこう記されている。

◯◯(親友)の学校にいきたい(今の小学校を)やめたい」

6年生になり、担任から帰ってきた言葉は

2年生から休みがちになり、自宅や塾、オンラインフリースクールで勉強した。

5年の担任は、テストの別室受験やフリースクールでの学習の出席扱いを認めてくれた。その年度の卒業式では在校生代表でスピーチした。

 

しかし6年になると、担任は別室でのテストなどを認めなかった。

勇気を出し、認めてほしいと言ったが、返ってきたのは「それはわがままだ」。

 

<学校は私の居場所じゃない〉

登校しなくなり、自分の卒業式は出なかった。

 

フリースクールでは仲間と歴史研究会を立ち上げた。

プレゼンテーションのコンテストに出たり、子どもが事業の企画・運営を体験するビジネスキャンプに参加したりも。

自分の意見を言い、他人の反応を聞き、話し合うことで発見がある──。その過程が楽しかった。

〈自分でも知らない自分に出会えて 友達にも出会えた〉

12学期、フリースクールをやめた。

〈満足できなくなっていく自分がいた やっと見つけたはずの居場所だった〉

 

好きな歴史上の人物は津田梅子(18641929年)。満6歳で日本初の官費女子留学生として渡米。帰国して華族女学校の教授となるが、飽き足らず、再び米国へ留学。現在の津田塾大を創設し、女性教育の道を開拓した。

   津田梅子

行きたい高校が見つかった将来の夢は

(歴史が好きなcocoさんの愛読書。歴史能力検定にも挑戦している。)

 

「普通なら1回の留学で満足するのを、満足しない、学びを止めない、どんどん進むって、すごい」とcocoさん。

中学でも不登校だが、行きたい高校が見つかった。

授業内容と教育理念に引かれたといい、毎日計画を立て、教科の勉強などに取り組む。

 

将来の夢も描く。

「学校でも、フリースクールとかでもない、新しい学びの場をつくってみたい。みんなの良いところを出せる居場所、みたいな」

 

動画は、こんな言葉で締めくくられている。

〈居場所はずっと居続けなくちゃいけないものじゃない。その時の自分に合わせて変化していくものだ 私の居場所は私が決める〉

 指定した楽曲に乗せ、テーマに沿った1分以内のオリジナル動画を審査する。

 審査委員長は、不登校経験があるタレント中川翔子さん。

 著名人の審査委員のほか、公募で募った不登校経験者やその家族計125人が特別審査委員を務める。

 

 審査委員の不登校ジャーナリスト石井しこうさんは、「『不登校はネガティブ』と一面的に捉えるのではなく、多様な学び方、過ごし方があるという理解を広げたい。不登校を経験したからこそ伝えられる言葉や作品があり、その声が誰かの支えになる可能性がある。10代の皆さんの声が、同じように悩む誰かや社会に届くきっかけになれば」と話している。

【以上記事】






 

本の紹介~「ケアと編集 」白石 正明 (著) (岩波新書) 「ケア」から、精神医療、心理学、介護、統合失調症、依存症、摂食障害、吃音症、発達障害、ALSを見つめる・・・「図」を変えずに「地」を変えると「傾き」が「輝き」に変わる

「正解か間違いか」「進むか退くか」「To be not to be」・・・二者択一の人生に疲れ、「もはやこれまで」と諦めかけたとき、足元にまったく違うモノサシが落ちています。

 

与えられた問いの外に出てみれば、弱さは克服すべきものではなく、存在の「傾き」として不意に輝きはじめます。

〈ケアをひらく〉の編集者、白石正明さんが一人ひとりの弱さを後押しし、自分を変えずに生きやすくなる逆説の啓発書でもあります。

 

何らかの人の支援に携わる仕事をしてきた人には、対象者と向き合った時にどこかで感じてきた息苦しさや迷いの正体が、言葉になっていると感じるはずです。

傾きから輝きへのスイッチとは・・・

「反ではなく非」

「与えられた問いの外に出る」

「分子でなく分母を変えてみる」

「図を変えずに地を変えて見る」

「信でも不信でもなく、ちょっと信じてみる」

「困難は複数あった方がいい」

「解決しなくても解消すればよし」

「準備や目的より、過程を味わう」

「原因探しの沼から抜け出せる」

「受けの豊かさを知る」

「時間を止めるのではなく進める」など

  

    白石正明さん

目 次
 いかにして編集の先生に出会ったか
 1 ケアとは
  刹那的なケア
  リハビリの昼と夜
  失禁と世界の回復
  太陽と空気と地面とケア

 

 2 べてるの家との出会い
  意外に遠い福祉と医療
  病院のにおい
  もうけている作業所
  網走での出会い
  自分自身で、共に
  「反」ではなく「非」
  戦わないでさっさと逃げる

 3 編集の先生

  試されている感じがしない
  肯定と否定の外側で
  「そこがいいね!」がなぜ通用するか
  〈図〉は変えないで〈地〉を変える
  「商業」という魔法
  医学的編集とソーシャルワーク的編集

 ズレて離れて外へ
 1 問いの外に出ざるを得ない人たち

  問いの外に思考が流れてしまう人たち
  風変わりな言葉たち
  主語が患者と入れ替わる
  土管の中で話を聞く
  二つのことを同時に伝える
  因果沼からかどわかし
  問いの圏外に出るために


 2 分母を変えるのが編集
  強いロボットは歩けない
  依存症は依存が足りない
  「治す」「克服する」ではない物語へ


 3 吃音者は分母を変えて生きていく
  『どもる体』のはじまり
  吃音者の方法(1)(4)諦める・準備しない・波に乗る・周囲を変える
  分母を変える一発逆転芸


 4 面と向かわない力
  架空の劇なのに言えない
  後ろから、波のような温かい圧が……
  「信」をめぐって――東大での体験
  内面の「信」から、対人の「信」へ
  「側聞」という方法
  「正対」から逃れて

 ケアは現在に奉仕する
 1 ケアと社交
  ヘルパーへのアドバイスがなぜ役に立つ?
  社交するために社交する
  対話するために対話する
  過程に内在するための工夫
  二〇年以上前の潔さんの言葉


 2 消費と浪費と水中毒
  過食嘔吐の記憶
  「浪費」としての飲水へ
  十全な、今ここでの満足


 3 今ここわたし
  「惚れる」の謎
  人がもっとも充実しているとき
  すでに本番は、はじまっている
  リスクとワクワク


 4 ナイチンゲールを真に受ける
  生体は善き方向に進む
  本来治りやすい病気である
  ケアと痛み止め
  俺はすでにして完全

 ケアが発見する
 1 原因に遡らない思考
  因果論から構成論へ
  幻視・幻聴を聞きまくってデータ収集
  幻覚妄想の社会モデル?
  前提を変えること


 2 手を動かすより口を動かせ
  依存症の回復モデル
  マイノリティの逆襲?
  「ケア論的転回」としてのハームリダクション


 3 同じと違う
  中井久夫と発達障害
  見ている世界が違う
  住む星が違うから体も違う
  量的な違いが無視される
  発達障害と「脳の多様性」
  言語化への努力


 4 いつも二つある
  輻輳する時間
  チキンカレーとラムカレー
  食べると逃げるが併走する
  一列に並べることの利点

 「受け」の豊かさに向けて
 1 蘭の花のように愛でる
  ALSとは
  身体への着目
  意図の推測から勝手な解釈へ
  蘭の花のように
  生を享受する人


 2 受ける人
  接続詞はドアを閉める
  世界は受け取ることで発生する
  「いる」のは忙しい
  受け身と可能がなぜ同じ言葉なのか


 3 いい「波」はどこから来るか
  よそに行ったら縛るから
  「内面」という無間地獄に落ちる前に
  べてるに来れば病気が出る
  なぜ、いい「波」が来るのか
  規範から遠く離れて


 4 受動性と偶然性
  蹴る前に受けるスポーツ
  受動性や偶然性が排除される
  中動態と能動的受動
  弱い編集

 弱い編集――ケアの本ができるまで
  1 山の上ホテルのペーパーナプキン
   ――中井久夫・山口直彦著『看護のための精神医学』
  地下の薄暗い書庫で
  病院のカビ臭い倉庫で
  ニワトリと卵と、拾う人
  生活の政治学
  普通への愛と憧れ
 2 魔法と技術のあいだ
   ――本田美和子、イヴ・ジネスト、ロゼット・マレスコッティ著『ユマニチュード入門』
  「好き」にさせる技術
  人間的というより動物的?
  属人化と標準化のあいだで


 3 弱いロボットの吸引力
   ――坂口恭平著『坂口恭平 躁鬱日記』、岡田美智男著『弱いロボット』
  ひとり音楽会と中二病
  閉じない人たち

 あとがき

   べてるの家(HRより)

 

パワハラ横浜市長を育んだ市役所・市議会の職場体質~あなたの上司は自分でエレベーターのボタンを押しているか? 【記事の紹介も】「日本は『世界一のパワハラ地獄』、消えない6大理由 根絶できない『日本独特の深い背景』とは?」

横浜市の山中竹春市長のパワハラ告発による第三者委員会の調査報告書では、今年1月に当時の市人事部長が告発した言動のほとんどが事実であり、パワハラに該当すると評価されました。

しかし、市長は口先だけ「ごめんなさい」をして現職に居座るつもりのようです。(8/28に辞意表明しました)

私たち横浜市民はそれを容認してしまうのでしょうか。市役所と市議会の責任はどうなるのか?

どんなパワハラだったのか

報道では、第三者委員会は、山中横浜市長の人事を巡る「飛ばす」「粛清」といった発言など言動の大半をパワハラと認定しました。

▼銃口に見立てた人さし指を向ける

▼国際会議を「誘致できなければ切腹だ」との発言

▼市長室への出入り禁止 

▼人事権を背景に職員を支配「飛ばす」「粛清」発言 

▼市長室での「机を叩く」「書類を投げつける」行為 

▼人格否定侮辱発言 ▼深夜・休日の業務連絡など

 

「職員の尊厳を深く傷つけ、職場環境を悪化させる、決して看過できない重大なパワハラ行為があった」と総括し、特別職も含めたハラスメント防止条例の制定を提言したとのことです。

これだけのパワハラをやってのける人には、まったく加害者の自覚はなく、何を反省して良いのかもわかっていないはずです。(だから辞職する気がないのですが)

 

横浜市大時代から山中竹春氏のパワハラが続いていたことは知られており、山中氏個人の人格としての問題があるのは確かですが、それを容認して育てて(?)きた市役所や市議会の職場体質が背景にあるのは明らかです。

日本の職場組織のもつ「パワハラ体質」

日本の職場組織における「パワハラ体質」は、個人の資質だけでなく日本独特の雇用慣行や組織文化が絡み合って形成された構造的な問題です。

2020年のパワハラ防止法義務化以降も、厚生労働省の調査では労働者の約5人に1人(19.3%)が過去3年間にパワハラを経験したと回答しており、根深い社会問題となっています。

 パワハラを生み出す「日本型組織の特徴」として、「上司から部下への縦社会」、「背中を見て育つという指導文化」、「閉鎖的なコミュニティと同調圧力」などが挙げられています。(横浜市役所の執務室はセキュリティを理由にとても閉鎖的な構造です)


 またパワハラが発生しやすい職場の共通点としては、過度な成果主義や競争、失敗が許されない風土、長時間労働・慢性的人手不足、コミュニケーション不足などがあると言われています。(厚労省データ)

そして何より「ハラスメント」をしても出世できる現実が、ハラスメントが消えない元凶でもあります。

パワハラを発生・深刻化させる典型的な悪しき職場風土

 上司に忖度し、祭り上げて「特権意識」を持たせる職場の風土が「パワハラ」上司を次々と作っていきます。

上司を過剰に忖度しチヤホヤしたり絶対的な存在にしたりする環境では、組織の自浄作用が完全に失われてしまいます。

 

市役所の部長級の役人が、部下にエレベーターのボタンを押させて、先頭になって真ん中に乗り込み、ドアが開くとまた先頭になって出ていく姿を、私はかつて幾度となく目にしたことがあります。もちろん「ありがとう」の一言もありません。

見慣れた人にとっては、この程度のことと思うかもしれませんが、何度見ても私には異様で恥知らずな光景としか思えませんでした。

また、人事権を振りかざし「ここでは働けなくしてやる」「働けるだけありがたいと思え」という類の言葉を役所の上司が口にするのを何度か耳にしたこともあります。

 

行動に現れる露骨な「階級意識」の体質は、パワハラが日常化する「超危険な土壌」です。これは単なるマナーの問題ではなく、組織の中に「上司は上位の人間、部下は下僕」という歪んだ身分意識が定着している証拠です。

「特権意識」が暴走する職場にパワハラは根を張っていく

「自分は特別だから周りがお世話をして当然」という「特権意識」は肥大化して暴走していきます。部下がボタンを押し忘れただけで「自分の特権が脅かされた」と激怒し、不当な叱責やペナルティに発展します。

日常的にこうした理不尽な上下関係を刷り込まれると、次第に部下の側も奴隷化のマインドコントロールに近い状態になり、パワハラを受けても声を上げられなくなります。

※あなたの職場では以下のようなことが日常化していないでしょうか。(エレベーターの他に)

〇上司は部下の挨拶を無視するが、部下は最敬礼する挨拶や返事の強要。

〇カバン持ち、書類の片づけ、個人的な買い物などを部下にやらせる雑用の強要。

〇会議室の座席だけでなく、タクシーの座席位置や歩く位置(上司の一歩後ろを歩く)まで求める席次への異常なこだわりの強要。

〇飲食時にお酒を注がせる、食べ物を取り分けさせるなどの「お世話」の強要。

 

ありがちな光景ですが、如何でしょうか?ハラスメントの本人は「強要はしていない」と言いそうですが・・・。

 

 横浜市役所が具体的にどこまでの状態だったかは想像の域を出ませんが、元来パワハラ体質の山中横浜市長のパワハラが花開くには十分な環境だったのではないでしょうか。

 当時の人事部長が、自ら顔を晒して会見で被害を訴えたことがせめてもの救いのように感じられます。(それだけ飛び抜けて度を越していたとも言えます)

 しかし、問題は山中市長だけの個人的な問題だけでは済まされません。市役所はもちろん、市議会の体質そのものが問われています。(全国的にも多くの首長や地方議会のパワハラ体質が金銭がらみで問題になっています。)

以下に、日本の職場のパワハラ体質について書かれた記事を紹介します。

是非参考にして、ご自分の職場の体質を見直すきっかけにしてほしいと思います。

 

【以下記事】

日本は「世界一のパワハラ地獄」 消えない6大理由  根絶できない「日本独特の深い背景」とは? 

(東洋経済オンライン:2022/9/18)岡本純子(コミュニケーション戦略研究家・コミュ力伝道師)

(抜粋・略あり)

「世界一のパワハラ大国」である日本

(略)埼玉県にある准看護師学校で、理事長が生徒にパワハラし、生徒の半分以上が辞める事態になっていることが「文春砲」によって明らかになりました。

理事長は、生徒が少し答えに窮すると、「なんでわからないの」と長々と説教をしたり、「カス」「アホ」「認知症」などの暴言を吐いたりすることもあったと言います。

 

なぜ、日本ではここまでパワハラが跋扈し、なかなか根絶できないのか。その根源に迫っていきましょう。(略)自治体から警察、学校、企業まで、パワハラのニュースを聞かない日はありません。まさに、「パワハラ地獄、日本」といった様相です。

 10年で2倍以上も増えた「パワハラ」

「パワハラ」とは、「強い立場の者が、その力を利用してより低い立場の者に嫌がらせやいじめを行うハラスメントや職場のいじめ」を意味しますが、都道府県の相談コーナーに寄せられた相談件数は、2019年には87570件。この10年で2倍以上に増加しています。

厚生労働省の調査では、31.4パーセント、実に回答者の3分の1が「パワハラを受けたことがある」という驚きの結果でした。

(略)大企業では20206月、中小企業では20224月から「パワハラ防止法」が施行されていますが、まだまだ根絶には程遠い状況です。

 

そもそも、この国で、なぜ、パワハラがはびこるのでしょうか。その背景には、日本独特の「労働文化」「コミュニケーション文化」があります。

1】「成長は『苦行』の後にしか得られない」という日本人固有の超マゾ体質

(略)日本には、「仕事や勉強は『苦行』であり、つらさや痛みに耐え、乗り越えてこそ、成長できる、目的が達成できる」という、極めてスポコン的な価値観が根強くあります。

 

「ほめるのは甘やかすことであり、パワハラはある意味、苦しみを与え、成長させるために必要な指導である」ととらえる上司やトップが生まれやすい素地があるのです。

 

「威厳を持ち、多少の反対も恐れずに独断専行で実行する人こそが、強いリーダー」。こうした「父権的カリスマ」リーダーが、日本においてはもてはやされる傾向があります。

2】「非情で強い『ドS型』カリスマリーダー」信仰

「強権型」「トップダウン型」のリーダーであれば、下の人たちは、ただその意向に従えばいいだけ、自ら考え行動しなくてもいいのですから、ある意味ラクなものです。

 

「鬼教官」「軍曹」のようなリーダーに、それに疑いもせず従う役員や社員という「共存関係」が築かれやすい企業文化が存在しているわけです。

 

「日本人の我慢強さ」が問題を見えにくくする

 

3】ガチガチの「上意下達」「タテ社会」の弊害

日本のように長幼の序を重んじる国では、「目上の者は、目下の者に指令し、下の人は上の人に敬語を使い、従う」という「上下関係」でコミュニケーションが規定されてしまいます。

こうした身分の固定化によって、年齢や序列が上の人が、ぞんざいで横柄な言葉遣いになりやすいという弊害が生まれやすくなります。

 

【4】ちょっとのことは忍耐で乗り越える「我慢至上主義」

日本人のギネス級の「我慢強さ」が、パワハラ問題を見えにくくしている部分はあるでしょう。

実際、私にも新聞記者時代、壮絶なパワハラ上司がいました。1時間おきに電話をしてきたり、ポケベルを鳴らされて行動をチェックされたり、ネチネチと嫌味を言われ、説教をされました。

職場の隣の席には、延々と、堂々と、ポルノ動画を見続ける上司もいました。

 

しかし、「事を荒立てないほうがいいだろう、私さえ我慢すれば」と口をつぐんでいました。「告げ口をして仕返しをされたくもない、ちょっとの忍耐で済むなら」とあきらめていたのです。そういった我慢強さが「パワハラ野郎」をのさばらせる結果につながってしまった部分もあるでしょう

これが海外であれば、声を上げるか、もしくは、嫌な上司なら、さっさと辞めるというオプションもあるでしょう。

5】なかなか会社を辞められない「雇用流動性の欠如」

アメリカのある調査では、6割を超える人が「仕事を辞めたい理由」として「上司が嫌いだから」と答えています。仕事を辞める理由は、「仕事そのもの」ではなく、「上司が嫌だから」というのが最も多いのだそうです。

 

つまり、「嫌な上司であれば、さっさと辞める」。これが世界の常識なわけですが、雇用流動性の低い日本ではそうもいきません。「パワハラに耐え続けるしかない」とあきらめてしまう人も少なくないわけです。

また、そんなパワハラ上司でも、解雇は難しく、なかなか企業からは排除しにくいという事情もあります。

 

6】日本全体が「叱る依存」に陥っている

臨床心理士の村中直人さんは著書『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)の中で、私たち現代人に「叱ることに依存している人」が増えていると指摘しています。

 

「叱ること」「一方的な説教」は基本、何の効果も生まないにもかかわらず、人は叱りたがるものです。

それは、ルール違反を犯した相手に罰を与える体験をすると、脳の報酬系回路が活性化し、強い満足感や快感を得られるからだそうです。

 

「叱る」という行為で得られる「自分の行為には影響力がある」「自分が行動することで何かよいことが起きる」といった感覚に依存してしまいがちになる。

まさに、「パワーハラスメント」とは、職場における〈叱る依存〉の一形態、もしくはその延長線上であると指摘しています。

パワハラ根絶は「話し方」を刷新することから

(略)「叱るは正義」と考える人たちがいまだに多く存在するこの国に、「パワハラの萌芽は無数にある」ということなのです。

「パワハラ根絶」は、法制度を整えるだけで済む話ではありません。「上下関係に縛られないフラットな関係性」と「円滑なコミュニケーション」はパワハラを抑止するばかりではなく、イノベーションや企業変革にも大きな効果を発揮します。

 

日本企業の風土改革は、まずは一人ひとりが「話し方」をはじめとする「コミュニケーションスタイル」を刷新していくところから始める必要があるでしょう。

【以上記事】

「認知バイアス」と戦争~『変身』する民衆への冷めた目(毎日新聞(8/12)記事から)

今年の夏は、戦争が身近に感じられます。

戦火と国家の暴力・暴走が止まない世界情勢とそれを後押しする人々。

戦前の日本に逆戻りしたような政治家の出現とそれを支持する人々の拡がり。

なぜこんなにも民衆の心は移ろいやすいのでしょうか。

 

そんな中で、毎日新聞(8/12)特集ワイドに、作家の吉村昭の歴史文学「戦艦武蔵」を紹介した、「『変身』する民衆への冷めた目」という記事が目に留まったので紹介します。

戦争を推進し、破綻していった日本の民衆の「認知バイアス」を考えます。

 「認知バイアス」とは

「認知バイアス」とは、人間の判断や意思決定が無意識に偏る心理的傾向で、人が情報を処理する際に生じる思考の偏りや誤りを指します。

 

人の脳は日々膨大な情報を処理するために、経験則やパターン認識に頼ることで迅速な判断を行います。

この省力化の過程で、合理的でない判断や誤った認識が生じるのが「認知バイアス」です 

<「認知バイアス」の特徴>

 「認知バイアス」の最大の特徴は、個人差はあってもすべての人に現れる可能性があり、無意識に働く点です。誰もが「認知バイアス」からは逃れられないと考えていいでしょう。

 「認知バイアス」は、非合理的判断や誤った認識を生じますが、情報処理の脳の省力化のために迅速な意思決定が得られ、状況に適応的な行動に結びつくこともあります。

 しかしその一方で、よく知られている「正常化バイアス」のように、災害や戦争などの異常事態に直面した際に、根拠もなく「自分は大丈夫」「大したことではない」と都合よく危機を過小評価して、生命の危機を招くこともあるのです。

 代表的な認知バイアス

1,確証バイアス

自分の考えを正しいと信じたいために、それに合う情報ばかりを集め、反対や都合の悪い情報を無視してしまう。(例)喫煙者・雨男雨女・対人偏見・ネット検索・・・

 

2,正常化バイアス

予期せぬ事態が起きても「自分は大丈夫」「たいしたことない」と都合よく解釈し、危機感を持てなくなる傾向。(例)災害・戦争・火災報知器・ハラスメント・・・

 

3,ハロー効果

学歴や見た目などの対象の目立つ特徴に引きずられて過大評価してしまう傾向。

 

4,自己奉仕バイアス

物事がうまくいった時は自分の能力や努力の成果と考え、うまくいかない時は環境や他人のせいにする傾向。

 

5,ダニング=クルーガー効果

経験が浅く、能力が低い人ほど自分を過大評価してしまう傾向。

 

※その他多くの「認知バイアス」があると言われています

 

・アンカリング効果:最初に目にした数値や情報が基準(錨)となり、その後の判断をゆがめる傾向。

 

・利用可能性ヒューリスティック:物事を判断する時に、頭に浮かびやすい情報や記憶を優先してしまうクセのような傾向。

 

・記憶の歪み:個人の価値観や人生経験などの「心の枠組み=スキーマ」に基づき、物事を偏った解釈で捉えてしまう傾向。

 

・集団思考(グループシンク・集団浅慮):集団の中で調和や同調を優先するあまり、健全な批判や多角的な検討が失われ、不合理な意思決定をしてしまう傾向。

 

・権威への服従:上司などの地位が高い人や指示する人の命令に、内容を深く考えずに従ってしまう傾向。

「認知バイアス」への対策

 どれも、「あるある」ですね。でも、人間は他人のことには気づきやすいのですが、自分のことになると見えなくなってしまいがちです。

 自分は大丈夫だと思う人ほど「認知バイアス」に気づかないのです。

 

 「認知バイアス」を知らず、その自覚がないと、無意識に他人を傷つけたり、自分を貶めたりしてしまうことがあります。また、災害時に危険を回避できず、生命の危機に直面したり、社会の流れに無自覚に流されていつの間にか戦争に協力して、家族や友人、自分の命を失ったりしてしまいます。

 

 偏った情報処理による「誤った判断や意思決定」をしないためにはどうしたらよいでしょうか。一般的には以下の点が大切だと言われています。

 

意識化する

自分の判断が偏っていないか振り返る。(事実を点検する)

 

多角的情報収集

異なる視点やデータを確認する。(広い情報収集)

 

意思決定プロセスの工夫

チェックリストやデータ分析を活用する。(情報収集の客観化)

 

心理教育をする

「認知バイアス」の知識を学び、自分のクセや認知の傾向を知っておくことで誤判断を減らす 。(自己認識)

 

    認知バイアスは完全に排除できませんが、理解し対策を講じることで、より客観的・合理的でバランスの取れた意思決定につなげることが可能です。

「戦争」と「平和」と「認知バイアス」

 今年、戦後81年目の夏には多くの戦争関連の報道がされました。

戦争の世紀と言われる20世紀の歴史の上に、現在も続くウクライナやガザ、イランなどの戦争がリアルに伝わる中で、他人事とは思えない危機を感じている方も多いのではないでしょうか。

 

 なぜ悲劇は繰り返すのか、人間は何も学ばないのか、という思いを抱きながら、「戦争」を見直してみると、けして民衆(庶民)は国家や民族の戦争に抗いながら巻き込まれただけではないことに気がつきます。

 「認知バイアス」の観点から見れば、上記のあらゆる種類の「認知バイアス」が統合されて民衆も戦争に突き進んでいったのではないか、とも考えられるのです。そして、また戦後の平和も同じように移ろいやすいものと思えます。

 

以下の記事には、民衆が変身していくことについて書かれています。

これを読むことは、ご自分への「認知バイアス」の怖さについての心理教育になることでしょう。

 

                                   真珠湾攻撃(1941)

【以下記事】

 毎日新聞(2026,8,12付)特集ワイド  読みたい 会いたい 2026

「変身」する民衆への冷めた目  作家・吉村昭さん「戦艦武蔵」

(抜粋)

(吉村昭さんの「戦艦武蔵」の)取材日記「戦艦武蔵ノート」(1970)の一言だ。

 

<嘘をついてやがら>

戦争は軍部が引き起こした、庶民は軍部に引きずられた ―――。

戦後にあふれた著名人や新聞社の言説を痛烈に評した。

 

なぜか。戦時中に吉村さんが見たのは、戦争に疑問も抱かず、「勝利」のために力を尽くす民衆の姿だった。「戦艦武蔵ノート」はこう続く。

 

<その庶民が、今や戦争を必死に避けようとつとめ、平和の恵みを享受しようとしている人々に鮮やかに変身した。喜ぶべき過程であり、喜ぶべき結末である。が、同時に、そうした変身の鮮やかさには、戦慄すべき危険な要素がひそんでいないとは決して言えない>

            戦艦武蔵

「戦艦武蔵」では、技術者や造船所幹部、無数の工員たちが進んで「武蔵」建造にのめり込む。

戦果に喜び勇み、「武蔵」を一日でも早く戦列に加えるため、徹夜作業も志願する。

なあ、俺たちはそうだったじゃないか。それを忘れて、「変身」して済ませるのか。

吉村さんの独白が聞こえてきそうだ。

 

(中略)

(吉村さんは作家・城山三郎さんと晩年親交を深めた)

(ともに敗戦の年に18歳だった。この世代は多くが『皇国』を信じていた。『裏切られ感』の深さは、戦後世代には決して分からない。・・・佐高信)

 

城山さんは海軍特攻隊に志願した。吉村さんは結核を病んでなお「戦うつもりだった」と城山さんとの対談(1997文芸春秋)で打ち明けた。

 

「人間に対する、どこか全面的に信用できない冷めた部分がある」と漏らしている。

膨大な取材に基づく戦記小説は、「戦慄すべき危険な要素」を探求した記録でもある。

 

「おやじは「『戦艦武蔵』を書くために、名刺交換しただけでも70人以上の人に会いました。なぜあんな船を真顔で造れてしまうのか。おやじなりに戦争の異様さを感じたと思います」(戦争の主役が戦艦の時代は終焉し、既に航空機の時代に移っていた)

 

吉村さんが居を構えた東京・三鷹で長男の司さん(70)が振り返った。(略)

 

「・・・あの本では、建艦過程に大部分の筆が割かれていますね。浸水にこぎ着ける場面は読み手も泣ける。いつの間にか当事者の、彼らの気持ちになる。

 

その意味ではおやじには『細菌』(70年、後に『蚤と爆弾』に改題)という作品もありますが・・・」

旧満州(現中国東北部)で、細菌兵器開発のための人体実験を繰り返した旧日本軍の731部隊を描いた。森村誠一さんの「悪魔の飽食」(1981)に先立つ力作である。

 

「戦争に勝つ。そのために俊英や軍医が知恵を絞り、人体実験を繰り返していく。しかも、読み手もいつの間にか『成功してほしい』と応援する気になってくるんですね。戦争の異様さですよ、これが

 

司さんが少年時代、米爆撃機B29のプラモデルを作り、自室に飾った。父はそれを見るや、ばきばきと折り捨てた。

「東京の空襲で実家を焼かれ、多くの死体も見ている。私は美しい飛行機だと思ったのですが、おやじはそういう『軽さ』が許せなかったのでしょう。

8月15日の前後には、小麦を丸めて汁で煮たスイトンを食べるのが吉村家のならわしだった。敗戦後、人々はこれで飢えをしのいだ。司さんが小学校5,6年の夏、スイトンの食卓を囲みつつ、父が「戦争に負けてよかった」とつぶやいた

 

「驚きました。でも今なら分かる。おやじはかつての自分や日本を『心から戦争をやっていた』と表現しました。そんな日本が勝って、どうなっていたか。恐ろしいですよ。今、おやじが生きていても『負けてよかった』と言うと思いますね。 

 

城山さんとの別の対談でも、城山さんに「負けてよかった」「今はいい時代ですよ」と言葉を重ねた。

 

この対談を6年前、(親交があった)佐高信さん(81)が報道番組で紹介すると、「負けてよかったとは何だ」と批判が殺到した。

「『いい時代』は終わろうとしているのでしょうね」(佐高さん)

 

あるいは私たちはまたも「変身」しようとしているのか。

今年は「戦艦武蔵」が出て60年、吉村さんの没後20年である。

(記事:吉井理記)

【以上記事】

吉村昭19272006

作家。現場、証言、史料を周到に取材し、緻密に構成した記録文学、歴史文学の長編を書いた。代表作「戦艦武蔵」「関東大震災」「破獄」「冷い夏・暑い夏」「天狗争乱」など

(写真)戦艦武蔵

「戦艦武蔵」1966刊)

「戦艦武蔵」の建造に携わった人たちや乗組員、遺族らに取材を重ね、建造から沈没までの事実を丹念に追い「戦記小説の嚆矢(こうし)」とされた。新潮文庫版は今年7月末までに85刷。「週刊ビッグコミックスピリッツ」で、高橋のぼるさんによる漫画の連載がスタートしている。

 

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その10)~ノンフィクション作家・澤宮優さん(下)受け止め認めてあげる(毎日新聞7/21付)

前回に続いて澤宮優さんの「不登校とわたし」(下)です。

今回は、大学生から作家になるまでの時代を振り返ります。

 

ノンフィクション作家、澤宮優さん(62)は、幼少期からの家庭環境や学校・地域からの偏見によって、小学校5年生の頃から理不尽な考えに頭を埋め尽くされる強迫性障害を発症しました。

中学では「神罰恐怖」、高校では「対人恐怖」から「視線恐怖症」になり、高2の担任に目の敵にされて、引きこもり不登校になりました。

高3の担任に助けられてなんとか卒業を迎えます。

自宅近くの書店が開いてくれたブックフェアにて 澤宮優さん(毎日新聞から)

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その9)~ノンフィクション作家・澤宮優さん(中)「どう死ぬか」そればかり、の続きです。

【以下記事】

 

受け止め認めてあげる

大学時代の自殺未遂

2浪して入った大学では日本拳法部に入りました。

おやじのことでからかわれ続けたことや、小さいころから感じていた肉体的なコンプレックスもあって、強くなりたかった。

 

4年生の時は主将も務めました。でも入部当初は練習がいやでたまりませんでした。

防具は着けますが、殴り合うとやっぱり、ものすごく痛い。練習が怖くて、故郷の熊本に逃げ帰ったこともあります。

 

大学2年の時に自殺をはかったのも拳法部の練習がきっかけでした。

スパーリングで部員全員からメッタ打ちにされました。

 

自分は拳法も弱い、当時目指していたシナリオ作家の芽も出ない。絶望し、世の中から見捨てられた存在だとその時、思い込みました。

「眠れないから薬をください」と言って自宅近くの病院をまわり、7、8軒からかき集めた薬を一気に飲みました。

 

4日間ぐらい眠っていたでしょうか。そんなに強い薬ではなかったのが幸いしました。その後、診てくれた大学病院の先生に「それはよく寝られたでしょう」と言われました。

自分の強み

どうにか生きる側に踏みとどまっていられたのは、多少なりとも自分に自信が持てるようになったからだと思います。

ひとつでいいから、これだけは負けないというものを持っていれば生きていけるものです。僕にとって、それは文章を書いて表現することでした。

 

自殺未遂の後、シナリオ作家養成所の先生が僕の書いたものを褒めてくれていたことを知りました。先生は「コンクールに出してみよう」と言ってくれ、最後の最後まで手直しに付き合ってくれました。

結局、賞は取れなかったけれど、そこから少しずつ「生きたい」という方向へと動き出していきました。

 

大学職員として働きながらシナリオを描き続けました。

コンクールで落選が続くなか、脚本家の神波史男さんから「この作品はルポにしたら面白い」とアドバイスを受け、初めて書いたノンフィクション「巨人軍最強の捕手」(晶文社)でミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞しました。39歳の時でした。

 

その後、上司からのパワハラを受け離職し、45歳で独立しました。

 

同調圧力が強い日本の社会で、学校に行けないのは本人にとって大変つらいことでしょう。僕もそうですが、一生引きずっていかざるを得ない経験でもあります。

 

僕は考古学や文章を書くことに助けられました。何かのめり込める「こと」や「もの」があるといいですね。

でも、その場合、やはり親御さんが受け止めてあげてほしい。悩んでいること自体を認めてあげてください。

 

人生を振り返って、決して悪いことばかりじゃなかったなと思える日はきっと来ます。

「聞き手:小松やしほ」

【以上記事】

プロ野球創世期、沢村栄治やスタルヒンをリードし、ファンから愛された「炎のキャッチャー」吉原正喜。25年の短い生涯を、川上哲治や千葉茂ら僚友、遺族の証言や昭和初期の世相などとあわせて綴るノンフィクション。澤宮優(著)

 

何をやってもダメ 認められなかった大学時代の自殺未遂

 2浪後20歳で大学進学。父親のことで周囲からバカにされてきた過去や肉体的な劣等感から「強さ」を求めて日本拳法部に入部。

 強迫性障害の症状でもあるのでしょう。将来も目の前にある物事も見通せない状態にあった澤宮さんの選択は、さらに自分を苦しめていきます。

 

 痛くてつらい拳法部の練習、弱者いじめのようなスパーリング。シナリオ作家としても芽が出ない。そんな自分に絶望し、澤宮さんは自殺未遂をします。

 足掻くほどに、どん底に落ちていったと言っていいでしょう。

 

 しかし偶々生き残った澤宮さんには、また救いの手が差し伸べられます。

 シナリオ作家養成所の先生が澤宮さんの作品を認め、コンクールに向けて共に手直しをしてくれたのです。三度目の正直です。

 難解な考古学の専門書を読んできた澤宮さんが身につけてきた文章力が生きたのです。

 このことをきっかけに、何とか「生きていく」側に行けた澤宮さんは、脚本家との出会いによってノンフィクション作家として自立していきます。これが四度目の救いの手になります。

人間関係に傷ついた人は、人間関係で回復していく

「ひとつでいいから、これだけは負けないというものを持っていれば生きていけるものです。僕にとって、それは文章を書いて表現することでした。」

 この言葉は、澤宮さんにとって特別な意味があります。

 

 不適切な養育環境と偏見によって、周囲の人間から無条件に受け入れられる環境で育つことができない子ども時代を送った澤宮さんにとって、人間関係は自己の存在を否定する不安の根源でした。そのために、小学生で強迫性障害を発症し、自己否定に苦しみ続けてきました。

 それでも、考古学との出会いによって小5、高3の担任に認められ、文章を書くという「自分のこれだけは負けないもの」を見つけていきます。

 それができたからこそ、絶望の次にまた人との出会いがあって「生きたい」と思えるようになっていったのです。

 

 自己否定しながらも「これだけは負けないもの」を諦めずに持ち続けたことが、人との信頼をつなぎとめ、現実に成果として他者から評価されて人に対する基本的信頼感が澤宮さんの心に芽生えて、その後の自己評価を回復させていきました。

 でも「これだけは負けないもの」という言葉のフレーズには澤宮さんの追い詰められた苦しい心情が投影されています。

 

 乳幼児期から当たり前のように親や家族から無条件に愛され、その成長発育を喜んでくれる日常が続いてきた子どもには、殊更に「これだけは負けないもの」が直ちにほしいとは思わないでしょう。

 彼らの内面には人への信頼感が十分に定着していて、彼らの存在の安全や安心を無条件に保障してくれているかのように感じられているはずです。

 心も平穏で安定しているので、直ぐにでも「負けないものが欲しい」と焦ることもなく、「自分の強み」をじっくりと伸ばしてもいけるのです。

 

 しかし、澤宮さんは「これだけは人に負けないもの」を持つことで初めて立ち上がることができました。それほど小さく今にも消えそうな自分だったのだと思います。

 

 39歳の時、澤宮さんは初めて書いたノンフィクション作品で、ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞しました。「最優秀賞」という評価は澤宮さんの大きな転機になったはずです。

 その後に上司のパワハラを受けて大学職員を退職しても、それをきっかけに45歳で独立する姿に逞しさを感じて少しホッとするのです。




 

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その9)~ノンフィクション作家・澤宮優さん(中)「どう死ぬか」そればかり(毎日新聞7/14付)

前回に続いて澤宮優さんの「不登校とわたし」(中)です。

ノンフィクション作家、澤宮優さん(62)は、幼少期からの家庭環境や学校・地域からの偏見によって、小学校5年生の頃から理不尽な考えに頭を埋め尽くされる強迫性障害を発症しました。

今回は、中学生から、不登校になった高校生の時代を振り返ります。

                        土井ヶ浜遺跡にて   澤宮 優さん

→「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その8)~ノンフィクション作家・澤宮優さん(上)強迫性障害に苦しみ不登校に 「神の罰」おびえ続けた作家の青春、の続きです。

【以下記事】

「どう死ぬか」そればかり

「神様からの罰」を恐れる日々

小学5年生で発症した強迫性障害の症状は、中学に入ってさらにひどくなりました。

一番苦しんだのは「神罰恐怖」です。

 

「神罰恐怖」は、良くないことを考えては、神様から罰が下るのではないかと過剰に恐れ、不安に支配される状態です。

 

中学で入ったソフトテニス部の練習場近くに火葬場がありました。

煙突から煙が上がっているのが見えると、もうダメです。

自分の意思とは関係なく、亡くなった人に対して「死んで、ざまあみろ」と勝手に思ってしまうのです。

それで今度は「ひどいことを思ってしまって申し訳ありません、許してください」と神様に謝る。

けれどまた「ざまあみろ、ばかやろう」と思い、「ごめんなさい」と否定する。

 

堂々巡りです。だいぶ症状は軽くなりましたが。今でもお墓とか遺影とか事件事故など死を連想させるものを目にするのは苦手です。

 

日本で強迫性傷害が病気として認識され始めたのは1990年代に入ってから。当時は受診して改善する可能性にはまったく思い至りませんでした。

「どうしてこんな“罰当たり”なことばかり考えてしまうのだろう」「自分がダメな人間だからだ」などと一人思い悩むだけでした。

高校からの対人恐怖・不登校

高校生になってからも症状は治まらず、加えて対人恐怖も強くなりました。

視線が怖くて人となじめない。友達もできない。

成績も330人中300番台の最低ライン。1年生の2学期になってからは、ゴミを机の中に入れられるなどのいじめにも遭いました。

2年生になると、大学で剣道部の主将を務めたという体育会系の教師が担任になり、運動が得意でない僕は何かにつけて目の敵にされました。

級友を巻き込んで反発しましたが、僕一人が責められる日々が続きました。

追い詰められ、挫折。すっかり自信をなくし、そのまま不登校になりました。

「どうやって死のうか」。それ以外、考えられなくなり、ずっと布団の中にこもっていました。

 

3年生の始業式から数日後、新しい先生が自宅を訪ねてくれました。

その時、考古学の専門書が並ぶ僕の本棚を見て、「これは学者の卵じゃないか」と褒めてくれたのです。

地理の先生でしたが、考古学にも詳しく、僕が日本考古学会に入会していることを知ると、驚いて「将来、考古学の道へ進めばきっと大成するから頑張りなさい」と励ましてくれました。初めて「認められた」と思いましたね。

先生は「悩みがあれば、何でも相談しにおいで」とも言ってくれました。

口先だけでなく、何時間でも話に付き合ってくれた。

それでも傷ついた心が元に戻るわけではなく、周囲の何気ないひと言に敏感に反応しては何日も休んだりしていました。

そしてまた先生が家に来てくれて登校する、この繰り返しでした。

「聞き手・小松やしほ」

→(下)に続く

【以上記事】

澤宮優(さわみや・ゆう) ノンフィクション作家。1964年生まれ。スポーツや庶民の歴史などをテーマに幅広く執筆。

 

強迫性障害から対人恐怖・視線恐怖症になった澤宮さん

 視線恐怖症とは、社会不安障害(SAD:Social Anxiety Disorder)の代表的な症状のひとつです。

 他人の視線に恐怖を感じたり、自分の視線が相手を不快にさせているのではないかと過剰に恐れたりします。

 そのため、外出ができなくなる、人との会話に支障をきたすなどの生活上の困難につながります。

【視線恐怖症の主なタイプ】

〇他者視線恐怖

 常に人に見られていると感じる。街中や電車の車内で他人の視線を極度の気にする。

 

〇自己視線恐怖

自分の目つきが悪いのではないか。自分が相手を睨んでいると思われるのではないかと不安になる。

 

〇正視恐怖

相手の目を直接見て話すことが怖く、視線を逸らしてしまう。

 

 主な原因は、過去の対人関係でのトラウマなどにより、脳内の神経伝達物質(セロトニンなど)のバランスが乱れることで症状が現れるとされています。

 本人の性格や特性だけの問題にせず、適切な治療やケアを要する疾患として扱われる必要があります。

 

 澤宮さんは、長年の強迫性障害のために、中学生で「神罰恐怖」、高校生で「対人恐怖症」になり、「視線恐怖症」で友人もできず、いじめを受けた挙句、教員から目の敵にされて家にひきこもって不登校になりました。

 ただの不登校ではありません。「どう死のうか」と考えるまで生きることに追い詰められてしまったのです。

澤宮さんの「学校」の功罪

 他人を敵だと考えるようになった小学生の澤宮さんに「考古学」の道を開いてくれた小5の担任との出会いは、強迫性障害を背負いながら中学校、高等学校と進んだ澤宮さんを支えたはずです。

 しかし高校進学後、病状が悪化し対人恐怖・視線恐怖症になった澤宮さんを目の敵にして排除して不登校へ追い込み、希死念慮に苦しませたのは高校2年の担任でした。

 そして再び澤宮さんに救いの手を差し伸べたのは高校3年の担任だったのです。

 

 様々な教員がいると言えばそれまでですが、不安定な家庭環境の澤宮さんの人生はさらに教員との出会いによって大きく左右されていきます。

 澤宮さんにとって「学校」は、暴力と救済とが混在する功罪相半ばする場所だったと言えるかもしれません。(「罪」の時間の方が長かったとは思いますが)

 

 「強迫性障害」が精神疾患であることが認識されていなかった時代には、他の障害や発達特性を含めて無理解や偏見に苛まれた人たちは今よりずっと多かったことでしょう。

 努力不足、能力の欠如、怠け、甘え、わがままなどと周囲から責められ、殆どケアを受けられる状況ではなかった時代です。

 

 現在は、精神疾患や発達障害への理解は拡がっていますが、未だに理解することに背を向けている一定の人たちも存在します。

 家庭や学校での子どもを巡る状況はけして好転しているとは言えません。

 そう思うと、学校のシステムを超えた教員個人の意識が学校をつくっていることの「功罪」も、昔も今も変わっていないのかもしれません。

学校の「チーム支援」は機能しているのか?

 知識を得て理解を深める機会は増えても、それを活かす人間を育てるシステムが必要です。

 現在の学校では、子どもの状況や特性を理解して支援する方法として、いわゆる学校の「チーム支援」が進められていますが、十分に機能していないのが現状です。

 本来は、関係教員とSC、SSWなどの専門職が連携して、子どもや親への支援を継続していくためにありますが、学校の体力がなく支援体制が十分に機能していない学校が多く見られます。

 また「チーム支援」自体が形骸化・空洞化していて、子どもよりも学校組織を守るために注力している学校もあります。

 日常的な個々の支援のあり方を見れば、どの方向を見ている学校なのかは明らかです。

 

 教員たちが忙しい中でもやりくりしてSC・SSWを交えて個々のケースをケース会や支援会議で情報交換しているのか。

 それとも普段は担任やSCら任せにしていて支援会議も開かず、重大事案になりそうな時だけケース会をもつのか。

 それは管理職やコーディネーターの姿勢にすべて現れます。

 

 「どう死ぬか」そればかり考えた澤宮さんの「生」を支えた二人の教員は「個に向き合える健全な意識」を身につけた人間でした。

 彼らのような教員を支え育てる学校があたりまえになることを願うばかりです。

 





 

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その8)~ノンフィクション作家・澤宮優さん(上)「ダメ人間と自分を責め」毎日新聞(7/7付)

年子の弟の出産に伴う母の養育放棄で、物心ついた時から強権的な祖母に育てられ、理不尽に罰せられる養育を受けてきた澤宮さん。

奇行が目立つ父親だったことで学校や地域でも次第に孤立していきます。

過酷な家庭環境と、強迫性障害の発症よって、その後も苦難の思春期・青年期を過ごし高校で不登校になった澤宮さんの思いを辿ります。

  ノンフィクション作家の澤宮優さん=小林努撮影

【以下記事】

「陰のヒーロー」にスポットを当てた数々のノンフィクションで知られる作家、澤宮優さん(62)は、たびたび理不尽な考えに頭を埋め尽くされ、苦しんできた。高校に通えなくなった澤宮さんの支えになったものとは――。【聞き手・小松やしほ】

強迫性障害に苦しみ不登校に 「神の罰」おびえ続けた作家の青春

 

おもちゃを「捨てる」と脅され

「罰当たり」なことを考えては、「そんなひどいことを思ってごめんなさい」と天に謝る――。

中学生のころ、僕の頭をこうした思考が支配しました。

そのうち人と接することが怖くなり、自分を「ダメな人間」だと責めるようになりました。

高校生の時、学校に通えなくなりました。

 

いま思い返すと、これは一種の「強迫性障害」の症状でしょう。当時、病気だとは思いもせず、治療を受けることもありませんでした。

僕の場合、個人的な気質と、環境によるストレスとが合わさって症状が出たと言えそうです。 

 

生まれ育った熊本県八代市。実家は菓子や日用品を扱う雑貨店でした。

祖父母と両親、弟の6人家族。弟とは年子だったので、僕は1歳になるかならないかのころおふくろから離され、祖父母の隣で寝かされていました。

 

祖母は強権的で感情的になることがあった。

自分が嫌いだからと肉は食べさせてもらえず、ご飯はおかゆみたいな軟らかいものばかり。

大事なおもちゃを「捨てる」と脅され、手を上げられたことも。

母はもちろん、祖父や父も祖母の言いなりで何もしてくれませんでした。

父の奇行 強まる強迫観念

おやじは奇行の目立つ人でした。

夏になると、パンツ一枚で単車に乗って配達に出かけたり、線路の傍らで走る電車に向かって毎朝立ち小便したり。地域でも目立つ存在でした。

 

近所の子どもだけでなく、大人までもが僕をおやじのあだ名で呼びました。

思春期にさしかかろうとするころ、好きな女の子や自分より年下の子どもから笑われるのは、やはりつらかったですね。

 

こうしたことが続くと、防衛本能が強くなるのでしょう。

小学校5年生のころから「みんな敵だ」と思うようになり、他人を信じられなくなりました。

強迫性障害と思われる症状が出始めたのはこのころです。

 

それでも何とか小学校を卒業できたのは考古学が好きだったから。

興味を持ったきっかけは、6年生の時に授業で見せられた古墳の写真でした。

先生の専門書に背を押され

おやじに連れられて行ったことのある古墳だったのです。

当時担任は理解ある先生で、僕が考古学に関心を持っていることを知ると、専門書を貸してくれ、見た古墳は記録するようアドバイスをしてくれました。

 

おかげで将来、考古学で身を立てようと勉強に励むことができました。

いまこうして物書きとしてやっていられるのは、先生のおかげです。

 

長じてから、おやじのことがどうしても気になって、医師に相談したことがあります。

「発達障害ではないか」と言われ、腑に落ちました。

それまでいくら注意しても聞いてくれない、直してくれない。恨みに思っていましたが、そういう「特性」なのだと知れば、仕方がないと思えました。

自分なりに納得のいく答えが出たと思っています。 

 

【以上記事】→(中)に続く

強迫性障害とは

 「強迫性障害 OCD(Obsessive-compulsive disorder)」は、ただの心配性や不安症、潔癖症ではなく、生活上の機能障害を引き起こす精神疾患です。  

 神経質や潔癖症の領域を徐々に超えていくために、自他ともに気づきにくく進行しやすい病気ですが、治療が可能であるとされています。「病気だという自覚(外在化)」が治療の第一歩になります。

 

 「強迫性障害」には、「強迫観念」と「強迫行為」の二つの症状があります。

 「強迫観念」は、頭から離れない考えのことで、その内容が自分では「不合理」だとわかっていても、頭から追い払うことができません。

 「強迫行為」とは、強迫観念から生まれた不安にかきたてられて行う行為のことです。自分で「やりすぎ」「無意味」とわかっていてもやめられません。

 例えば、不潔が怖くなって過剰に手を洗う、侵入が怖くて戸締りを何度も確認するなどです。

担任からの救いの手が 

 小学校5年生の澤宮さんは、父親の奇行に端を発した、日常的に繰り返される周囲からのからかいや嘲笑のストレスから「みんな敵だ」という「強迫観念」の症状を持つに至ります。「強迫性障害」を発症したのです。

 

 澤宮さんの受けた養育は、他者を信頼する基本的信頼感を内面化しながら発育する乳幼児期からの養育者との愛着(アタッチメント)形成が不十分だったことが想像できます。きっと幼児期の澤宮さんにとって、他者は自分に恐怖と不安を与えるものだったのでしょう。

 その上に、社会性を育むべき児童期では、周囲から謂れのない嘲笑と嫌がらせを受け続ける過酷な環境が待っていました。

 

 内外で他者からの虐待と阻害を受け続けて、子どもの澤宮さんの心は「みんな敵だ」という強迫観念に取り憑かれていきます。

 「強迫性障害」を発症する条件が揃ってしまったと言えるような養育環境だったのです。

 

 しかし救いの手は担任から差し伸べられます。

 

 子どもにとって自分を受け入れてくれる安定した身近な「大人」の存在は欠かせません。

 自己存在のかけがえのなさを感じさせる愛情、変わらずに見守って安全・安心を与えてくれる信頼、これらは人間が自分を健康な大人に育てていくために子どもの成長発達には必要です。

 でもその「大人」は必ずしも親でなくても良いのです。

 子どもと養育者(教育者)との愛着は、どの年齢からでも、まったくの他人であっても、再生できる可能性をもつと言われています。

 

 他人同士でも愛着関係を結べるのは、厳しい人間社会を生き抜くための本能なのかもしれません。