リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

梅雨時の健康~6月病?「長引く不調」は要注意

大型連休も過ぎてあっという間の6月です。

「5月病」の不調の時期を何とか乗り越えても、やる気が出ない状態が続いていませんか。

近年は「5月病」よりも慢性化しやすいと言われる「6月病」も話題になっています。

アクセルを踏み込む時期にやる気が出ない・・・早めに「セルフチェック」を

 多くの人が「さあこれからだ。頑張らなきゃ」と思う時期に入りました。6月は新年度に慣れて仕事や学校のリズムを作っていく時期です。

 小中学校では授業が本格化する中で行事が組まれ、中学の定期試験などもあって、だんだん忙しくなっていきます。それと同時に大人たちの仕事もフル稼働に入ります。

 新年度が始まりGW前後で多少疲れや不調は感じ、軽い5月病だったのかもと思いつつもエネルギーが戻ってきている人がほとんどかもしれません。

 

 しかし油断は禁物です。アクセルを踏み込もうとしても例年と調子が異なると感じた時は、是非親子で早めに<健康セルフチェック>をしてみてください。

 「身体面のチェック」から順番に「心の面のチェック」をしていきましょう。

<健康セルフチェック>

 

【身体症状がありますか】

・朝起きるのがつらい

・なかなか寝つけない

・疲れが取れない

・食欲がない

・めまいや頭痛がある

・肩こりがある

・下痢や便秘などでお腹の調子が悪い

 

【心の症状がありますか

・イライラする

・原因のわからない不安がある

・趣味を楽しめなくなった

・注意力や判断力が低下した

・感情の起伏が激しい

・飲酒や喫煙を我慢できない

・すぐに謝ることが増えた

・人と会う予定を直前でキャンセルしてしまう

まず「身体症状」があれば早めの対応を

 

<早めにできる対応のポイントは>

・十分な睡眠

・適度な運動

・こまめなストレス解消

 

 この健康のための至極当然の3点を意識して、生活の忙しさに埋没しないようにしましょう。身体面に1点でもチェックが入ったらやってみてください。

 

 具体的には、身体が「気持ちがいい」「すっきりした」のようなことを心がけることです。どんなに忙しくて終わらせなければならない仕事や勉強に追われていても、身体は正直です。

 どんなときにも健康に生きようとしてくれるのが身体です。まず。身体の声を聞いて素直に従ってみることが大切です。医療のケアも視野に入れてください。

 

 「心の症状」が1点でもあった人はさらに要注意です。何か学校や職場のストレス以外に心が重くなるようなことを抱えていませんか?

 梅雨時は何となく心が晴れないこともありますが、この後、梅雨明けからしばらく続く酷暑もやってきます。

 

 例えば、職場と家庭でのストレスを二重に抱えているとなかなか不調から抜け出せない状態になります。 家庭内の問題も顕在化しやすい時期です。そしてそのことが不調の根本原因であることも多くあるのです。

 

 大人も子どもも、無理をしやすいこの時期は好不調を繰り返しながら、結果的に不調を長引かせていくことで慢性化して「うつ病」につながってしまうケースも増えています。

 セルフチェックを欠かさずやっていきましょう。そして、早めに自分をケアしていきましょう。



 

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その7)前回の続き:文科省現役官僚:藤井健人さん~失ったのは経験の共有(6/2付記事)

家庭状況から不登校になり、定時制高校で学び早稲田大学に進学した藤井さんの「不登校」の新たな苦しみは大学進学後に始まります。

大学進学によって不登校から救われたわけではなかったのです。

不登校になっただけで「教育格差」を突きつけられなければならない社会の理不尽さを考えます。

【以下記事】

不登校とわたし:失ったのは経験の共有

 

文部科学省現役職員  藤井健人さん(下)(「毎日新聞」<教育の森>2026/6/2付)

 

5年超の不登校を経て入学した定時制高校を卒業し、早稲田大に進学しました。

親が病気で頼れないため日本学生支援機構の奨学金を満額で借り、民間の給付型奨学金も得ました。その後、東京大の大学院まで進学したため、返済総額は1000万円を超えています。

 

よくある不登校経験談であれば、大学に進学したことを「不登校の克服」と捉えていたと思います。

しかし、人生を振り返って最もつらい時期は大学に進学してからの4年間でした。人生をやり直せると考えていましたが、入学直後、クラスでの自己紹介で違和感にすぐに気づきました。

同期のほぼ全員が私立中高一貫校か公立学校のトップ校出身。

放課後の過ごし方や部活動の話は、定時制に置き換えた時に当てはまらないことがたくさんありました。

 

不登校によって失ったのは学力だけではなく、経験の共有そのものだと理解しました。

 

私にとって大学に入るまでの過程は「不登校経験」に過ぎず、「不登校問題」は大学に入ってから始まったのです。

 

多くの時間を一人で図書館で過ごす中、「教育社会学」に出会いました。教育と格差の関係について扱っており、それまで個人の問題として受け止めていた自身の状況が、生き方や個性の問題ではなく、社会的な格差の問題と捉えられることを知った時、重荷が少し軽くなった気がしました。

卒業後は民間企業に就職するつもりでした。

ただ、不登校によって生じる進学や就職機会などの格差への関心が消えず、大学院進学を選びました。

東大院では教育行政や教育社会学の観点から不登校や定時制について研究しました。一緒に研究する院生の中で、直接の経験を踏まえて不登校や定時制について研究しました。

 

一緒に研究する院生の中で、直接の経験を踏まえて不登校や定時制の話ができるのは私しかいないと思い、この場にいることが多様性の一端を担っているのではないかと考えるようになりました。

 

教員になろうと思ったのも同じ理由です。東大を出て教員を目指す人は限定的。最初から夜間定時制高校の教員になろうとする人もいないので、自分から手を挙げました。4年務め、企業から届く求人票に全日制と差があることを初めて知りました。

教員を続ける中で、今まで見続けてきた課題を行政側から捉えた時にどう変わるのかを確かめたいと思い、文部科学省に入りました。

不登校問題は「不登校を問題視する側の問題であって、君の問題ではない」といった捉え方をされることがあります。

 

学校や教育制度の硬直性を批判する文脈で使われる言葉ですが、

学校の役割は、民主主義社会において主権者を育成すること。生徒もまた社会の形成者として主権者になる責任を背負っていることを自覚する必要があります。

(聞き手・斎藤文太郎)

【以上記事】

中学校で講演する藤井さん 

藤井健人さん:小中で不登校体験。定時制高校から早大卒。定時制高校教諭を経て文部科学省官僚。

記事を読んで

共有できる経験を失っていたことを思い知った大学時代

 5年間の不登校から人生をやり直せると思い、多額の奨学金の負債を背負って進学した早稲田大学。定時制高校からの進学は並大抵の努力ではなかったはずです。

 しかしここからの4年間が「人生を振り返って最もつらい時期」になったと藤井さんは言います。藤井さんの事情を知らない者から見れば、(藤井さんもそうだったが)きっと大学から人生をやり直せるだろうと思ってしまいます。ましてや高偏差値の難関大学です。

入学していきなり直面したのが、私立の中高一貫校か公立トップ校出身者というほぼ同質の経験をしてきた同級生と、定時制高校出身の自分との「違和感」でした。

藤井さんは、「不登校によって失ったのは学力だけではなく、経験の共有そのものだと」思い知ったのです。

 

これは、日本の学校教育では中学高校で偏差値の輪切りによって、「切り身」それぞれの生活経験の「同質化」が進んでいることを示しています。

多様化の社会と言われていますが、異質なものを分離する社会構造が出来上がり、切り身の中身が、多様なものが排除されて「同質」になっていることを現わしています。

自らを多様性の一石に

 自ら選んだ不登校ではなかった藤井さんは、「普通」を目指して定時制高校に入り、努力して早稲田大学に進学しましたが、同期の仲間との最初の自己紹介で、既に共有する経験を失って「普通」でない異分子になっていた自分を知ることになります。

 

 4年間の苦しみの後、自分の独自の経験を「教育社会学」に活かすことを考えた藤井さんは東大院に進み、自ら定時制高校の教員になります。藤井さんは自分が歩んできた経験の特異性を活かす方向を見出します。

 さらにその教員経験を活かして教育行政職になりました。自分が教育行政に入って何が見えるのかを知りたかったのかもしれません。

 やはり、不登校から抜け出し立ち直ったように見える藤井さんには、「不登校問題は、不登校を問題視する側の問題であって、君の問題ではない」という声が聞こえてきます。

 学業に優れた藤井さんでなければ、このような道を選ぶことは難しいでしょう。それだけに藤井さんの語りは、不登校を知る上で貴重なケーススタディになります。

 

 自分の不登校経験に向き合ってきた藤井さんから見えたものは、「不登校」になることで、取り返しがつかない不利益を被る社会構造でした。

 この理不尽な教育格差を生む社会構造に藤井さんは疑問を呈し、自らを多様化の一石となって向き合おうとしています。

 ケースバイケースで異なる個々の不登校のケースに共通した根幹の課題があるとすればこのことなのかもしれません。

 

 不登校になると、得られるものと失うものとがあります。得られたものが多い人は幸運ですが、多くの場合失うものの方が大きいのです。

 藤井さんが言うように、学力や仲間と共有できる経験を始めとして、友人、家族、健康、社会的な立場、人への信頼感、基本的人権・・・

 一度失ったものは自力で取り戻すしかない冷たい社会がそこに見えてきます。

 

 「学校の役割は、民主主義社会において主権者を育成すること」という藤井さんの言葉は、誰もが等しく享受できるはずの学校教育がその目的を忘れて「教育格差」を生み続けてきたことへの警鐘なのです。





 

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その6)文科省現役官僚:藤井健人さん~強迫観念に駆られ勉強(5/5付記事)

不登校の格差を感じて、「普通」の人生を歩みたかった藤井さん。

不登校の原因や経過は人それぞれで共通したものがあるわけではありませんが、

家庭環境が不登校になった藤井さんは定時制高校への進学しか選択肢がありませんでした。

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その4)で紹介した「知られるのがこわかった」(上)に続いての「強迫観念に駆られ勉強」(中)を紹介します。

 

学校不適応ではないのに不登校になった人生を苦しみ悔やむ当事者の声です。

 

埼玉県の川口市立高校で講演する藤井健人さん=同校提供・毎日新聞より

【以下記事】

不登校とわたし:強迫観念に駆られ勉強

 文部科学省現役職員  藤井健人さん(中)(「毎日新聞」<教育の森>2026/5/5付) 

 

小学4年の半ばから中学卒業まで不登校でしたが、高校には行きたいと思っていました。

中学3年のころ、当時の自宅近くの全日制高校の説明会に行きました。しかし、学校生活が楽しみになる話は冒頭だけで、後は内申点の評価や、特別活動や保有資格による加点の仕組みなど入試の説明でした。

 

中学での私の評定は全科目1。出席日数も皆無に等しい。この高校には行けないんだ、と実感しました。そして、夜間定時制の高校に進みました。

高校進学後も家庭環境は不安定で、ここで失敗したらもう後はないと考えていました。

 

授業は午後5時から午後9時まで。日中は授業を予習し、放課後はギリギリまで職員室に残り次の単元について先生に確認していました。とにかく赤点を避けたかった。完全に強迫観念に駆られていました。

 

入学当初は高卒での就職を考えていました。私の学力的にも家の経済的にも余裕がなかったからです。

高校生の頃の藤井さん(週刊PRIMEから)

 

高1の終わりごろから少しずつ考えが変わりました。

両親は病気で経済的に私が支えざるを得ない。でも、定時制に届く求人票の待遇で家族を支える未来が見えなかった。

大卒で就職した方が選択肢は増えると思うようになりました。

 

ただ、当時通っていた高校には、大学受験のノウハウの蓄積がなかった。

模試を受けた時、定時制の授業の進度の遅さに気づきました。普通の高校の授業進度を想定した範囲から出題される、という触れ込みだったのですが、「普通」の中には定時制は想定されていないと自覚させられました。

 

当時のことを振り返ってほしいと、講演や取材対応を依頼されることがしばしばあります。「不登校や定時制の経験があるから今がある」というようなサクセスストーリーを期待される方もいます。

しかし、自分としてはそういう自覚はありません。不登校になりたくてなったのではないし、全日制に行けるのだったら全日制に行きたかったからです。

定時制に通っている生徒の中には、その学校を選ばざるを得なかった人もいます。

同時に、全日制と定時制の間には進学や就職の機会の面で大きな格差があります。それを無視して定時制に進学して良かったと評価することは、格差の構造自体を肯定することにつながります。

 

さまざまなところで「個性・ありのまま」「他人と比べなくてよい」と言われますが、「普通」が社会から消えるわけではありません。それを私は身をもって体験しました。

「普通」を獲得できなかったことを個性と言い換えて肯定しようという風潮は、かえって格差の固定化をもたらす可能性があると感じています。

 

【聞き手・斎藤文太郎】

【以上記事】

藤井健人さん:小中で不登校体験。定時制高校から早大卒。定時制高校教諭を経て文部科学省官僚。

→藤井健人さんの記事「下」が掲載され次第また紹介します。

「普通」だけが救いになることも

 学校への不適応で不登校になった人ばかりでなく、家庭環境によってエネルギーを奪われ不登校になった人たちも大勢います。

 学校に行きたくても行けない状態になり、望んでいる進路に進めなかった人には、もし環境が違っていたらという思いは拭えないだろうと思います。

 

 自分の性格や特性、学校でのいじめなどで不登校になった人には、「自分」に合った教育環境で学習することができる、「普通」でなくてもいいことが救いになります。

 むしろこちらの方が専門的な相談にもつながりやすく、無理に登校しないことで健康度を回復し自ら自分に合った教育を選んで自立への道を歩きやすいのかもしれません。もちろん「普通」の人と比べれば職業選択の時の格差はあると思いますが。

 

 藤井さんは前者の不登校です。相談機関につながることもなく頼る人も少ない中で、独りでもがきながら暗い道を必死で歩む高校生の姿には悲壮感と鬼気迫るものを感じます。

 

 「個性」だ「ありのまま」だと言われても「普通」は消えない、彼の苦しみを顧みようともしなかった社会に対して、この言葉は鋭く警告しています。

 「不登校」は、学校の支援体制や子ども個人の問題や家庭に帰する問題ではなく、社会構造の中にある学校教育のあり方そのものが問われる問題です。

――「普通」を獲得できなかったことを個性と言い換えて肯定しようという風潮は、かえって格差の固定化をもたらす可能性がある。――

 

 この言葉は、何事も終わりが良ければ何も考えずに「良かった、良かった」で済ましてしまうこの社会の浅薄さを的確に表現しています。

 藤井さんはやっとの思いで定時制高校に辿り着き、孤独な逆境にあっても偶々そこから抜け出せるだけの強い意志と学習能力とをもっていて自分を救いました。それは奇跡的とも言えるほど稀なことです。

 もう、藤井さんには「普通」になるしか生きる道がなかったのです。

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その5)~「大型連休明け・ 子の学校行き渋り」(5/5付)の記事の紹介します

大型連休明けは、子どもの学校行き渋りが出やすい時です。

今回は、エッセー漫画家の今じんこさんの実際の体験へのインタビュー記事を紹介します。

小学校低学年の子どもの行き渋りから不登校になっていく過程を母親の目を通して、その葛藤とともにリアルに伝えています。

今じんこさん著「学校に行かない君が教えてくれたこと 親子で不登校の鎧を脱ぐまで」

【以下記事】

大型連休明け、子の学校行き渋り 

エッセー漫画家・今じんこさんの葛藤

 

大型連休明けの運動会をきっかけに不登校になっていく長男との日々を親の立場から赤裸々につづったコミックエッセーが、発売から3年たっても重版を続けている。

「学校が合わないのは子どもの問題」「不登校は親の責任」……。そんな自身や周囲の偏見を克服する過程を丁寧に描いた今じんこさん(41)に、これまでの葛藤や考え方の変化、長男のその後を聞いた。

 

不安凝縮の「運動会」

―――今さんの長男が「学校に行かない」と言い出したのは、小学校に入学してまだ間もない5月のことでした。

◆もっちん(長男)に「なんで行かないの?」と聞いたら、「運動会の練習やりたくない」と返ってきました。そのときは「なぜ?」と思いました。私自身は運動会の練習に疑問を持ったことがなかったからです。

 もっちんは保育園までは運動会が好きな子でした。しかし、小学校の運動会は整列の厳しさや炎天下での練習に加え、先生が声を荒げる場面もあったようで、保育園の運動会の雰囲気とは違いました。

大きな音、強い日差し、長い拘束時間はまさに、もっちんの苦手が凝縮されたイベントでした。

―――運動会への不安もあり、学校へ行くのを泣きながら渋るようになったそうですね。

 

◆最初は困惑しながらも、なだめて送り出せばどうにか学校に行ける日々でした。

運動会前日は学校を休みましたが、当日は先生や友達の励ましもありなんとか参加。

不安がっていた徒競走の整列も乗り越え、ゴールしました。

しかし、午前中には「もう帰りたい」と涙を見せました。無理をしていたんだと思い、昼食後に早退しました。

周囲の反応が気になり

―――運動会後は学校に行けるようになると期待していましたが、行き渋りは続きます。どのような気持ちでしたか?

 

◆そのときは原因が分かりませんでしたが、今思えば運動会のような同調圧力が学校には日ごろからあって、窮屈に感じていたのかなと思います。

朝になると、おなかが痛くなったり、吐いたりすることもありました。でも、休むと元気になる姿に葛藤も覚えました。

 

当時の私は「どうしたら学校に行けるようになるのか」しか考えていませんでした。そのための方法を検索したり、家で学校の時間割通りに勉強させたり。

「必ず学校に行ける」とうたった不登校ビジネスのような情報も見ていました。

周囲の視線や言葉も気になって、混乱していました。

―――2年生になるとコロナ禍も重なり、今さんも心を病んでしまいます。

 

◆もっちんは教室にも入れなくなり、別室での付き添い登校が始まりました。思い出したくないくらい一番つらい時期でした。

仕事もできなくなって自分の時間もなくなりましたし、もっちんの笑顔も消えていきました。でも。あきらめてはいけないと思っていました。

私の不安が伝わったのか、もっちんも「学校を頑張る」と言うようになりました。ただ、そう口で言っても、体が学校に向かおうとはしません。

 

親の前ですら「頑張れない」と言えないことに、当時の私は気づいてあげられませんでした。私自身も軽いうつ病との診断を受けました。

本音を言えなくさせる失敗

―――その後、学校を休む決断をしました。なぜでしょうか。

 

◆ずっと休むかは分かりませんでしたが、ひとまず休もうと思いました。一方で、まだ学校に行けるかもしれないという期待がありました。

学校に少しでもつながってほしいと思い「給食だけでも行ってみない?」と声かけしたことも。もっちんは「行く」と言いましたが、直前になると行き渋りました。

 

結局、また親の不安から子どもに本音を言えなくさせる失敗を続けていることに気がつき反省しました。

学校の先生に「給食を止めたい」とお願いしましたが、「給食を停止したら学校に戻りづらくなる」と。先生も善意で言っているのが分かるからこそ、強く主張することができませんでした。親も先生も子どもを思う気持ちは同じ。それぞれの立場から気を遣い合って、うまくいかないことがあるのを実感しました。

 

転機は、冷静だった夫が「もっちんや私(今さん)の心を大事にして」ときっぱり給食を停止したことです。

学校に戻りたいという気持ちを手放す一つのきっかけになりました。

 

その後、フリースクールやSNSなどで同じ境遇の仲間に出会えたことで更に前を向けるようになりました。

もっちん以外の不登校の子と出会い、みんな素晴らしい子どもたちなのだと思えたのです。

 

私の不安の正体は「不登校を知らないこと」だったと気づけました。学校に行く道しか知らなかったのです。

―――現在長男は中学2年になりました。どのように過ごしていますか。

 

◆テストの時や放課後にたまに登校していますが、普段は塾や習い事、地域の居場所などで過ごしています。学校の外に友人もいますし、学校以外でも学べることを彼は知っているので、とても充実しています。

 

今では自信をもって「あのとき学校にいかない選択をしたのは間違っていなかった」と言えます。周囲に流されず、自分の考えを実行できる彼の良いところを潰さずに、面白い子に育っていると思います。

もっちんが「不登校」への不安や固定観念で固まっていた鎧を脱がせてくれました。

何に困っているか見極め

―――連休明けや、5月の運動会がきっかけで子どもの不登校や行き渋りに悩む人がいます。どんな言葉をかけたいですか。

 

◆運動会を楽しめる子はいいですが、それがきっかけで潰れてしまうほどであれば、休んだり部分的に参加したりするのも選択肢の一つだと思います。

親は「学校に行かせる」ことだけ考えるより、子どもが何に困っているか、どういう道が合っているのかを考えた方が、長い目で見れば良いと思います。

いったん落ち着いて、子どもと安心して向き合える環境を作ってほしいと思います。

【聞き手:萩原桂菜・写真も】

【以上記事】

いま・じんこ 1985生まれ、福島県出身。中2と小5の2児の母。不登校の体験をつづったコミックエッセー「学校に行かない君が教えてくれたこと 親子で不登校の鎧を脱ぐまで」(オーバーラップ)2023年4月出版。不登校の講演活動も行う。ペンネームはジョン・レノンに顔が似ていることから。

親子の葛藤がリアルに描かれた小学校低学年からの不登校体験

 コロナ禍のになった2020年~小学校低学年の不登校が急増しました。社会不安とともに学校や家庭でのそれまで当たり前だった生活が急変しました。

 それは成長発達過程の緒に就いたばかりの子どもたちにとって大きな阻害を受けた数年間だったのです。このケースは丁度その頃に当たるため、コロナ禍が背景にあることを前提に理解していくと良いと思います。

 でもここに描かれている不登校になっていく子どもの心情や母親、父親の葛藤には、それ以前にもまたそれ以降にも共通したものがあり、いま目の前にいる登校を渋る子どもに対する理解にきっと役立つものとなるでしょう。

 

 大事なことは結果ではなく、このケースで語られる苦しい葛藤を知ることにあります。処方箋を知るために読むのではなく、子どもの心情、親の思いの揺れ動きを自分事として捉えていく姿勢が必要なのです。

 すべてがまったく同じケースはありません。それぞれ違っていても、それを学ぶことによって、人の心の仕組みを知ったり、子どもの発達成長の意味を深く考えたりできるようになります。ケーススタディは、確実に自分への心理教育になっていくものです。

 

 今さんは、現在自分の気づきの体験と成長を多くの人たちとシェアすることで、もっちんと社会にお返しをされているのかもしれません。

 

 その気持ちは彼女の著書名の「学校に行かない君が教えてくれたこと 親子で不登校の鎧を脱ぐまで」という平らな目線によく表れているように思います。

 

教育虐待「あなたのため」が刃に変わる(東京新聞5/2付)~記事を読んで再度「教育虐待」を考えます

小中学校では「教育虐待」が原因だと思われる子どもの不調のケースが後を絶ちません。

「教育虐待」は、社会問題化してマスコミでも取り上げられていますが、中学受験への過熱ぶりは相変わらずです。

このブログでも2年前に取り上げましたが、この記事を読みながらもう一度考えていきます。

「教育虐待=エデュケーショナル・マルトリートメント(educational maltreatment)」とは

 

大人たちが自分の信じる価値観に基づいて、子どもたちに良いと思う教育を継続的に強制することで、子どもたちの身体、精神や社会的な健康度を損なうことを指しています。

 教育ジャーナリストのおおたとしまささんは、著書「ルポ 教育虐待 毒親と追いつめられる子どもたち」や、東京新聞「東京すくすく」虐待防止月間「変わりたいあなたのために」(2019,11)の中で、「あなたのため」「いい教育を」「選択肢を増やしてあげたい」という親の言葉は「呪いの言葉」だと言っています。

 

本当に「あなたのため」なのか?

子どもにとって「いい教育」とは何なのか?

この受験で本当に「選択肢を増やしてあげたい」ということにつながるのか?

 

【以下記事の抜粋】

教育虐待 「あなたのため」が刃に変わる 告発する子ども、大人の悲痛な叫び…コメント欄にあふれた体験談 (2026/5/2)

教育虐待の引き金となる「親の正解」

教育虐待とは、「良い学校に入れたい」「成績を上げたい」という思いから、親が子どもに限度を超えた勉強を押しつけることだ。多くのコメントが寄せられているのは、2019年11月18日に「東京すくすく」に公開された、奥野斐記者が教育ジャーナリストのおおたとしまささんにインタビューした内容をまとめた記事だ。一部を抜粋する。多くのコメントが寄せられている。

呪いの言葉「あなたのため」の危うさ

──なぜ、子どもに過度に求めてしまうのでしょう。

 

理由は複合的だと思います。親自身が「これが正解」という教育を受けてきたので、子育てにも正解があると思ってしまう。情報をいっぱい集めて、その「正解」に子どもを合わせなくてはと思ってしまうのです。親自身が幼いころに「あなたはダメだ」と言われ続けて育ち、自己否定するくせがついていると、それを子どもに投影してしまう場合もあるでしょう。

「あなたのため」「いい教育を受けさせたい」「選択肢を増やしてあげたい」という言葉を日常的に使っていませんか。そういう人には気をつけてほしいな、と思います。

 

偏差値の差だけが教育の質ではない

──「いい教育」と言っているのは、どんな教育なのでしょう。

 

「いい教育を受けさせるために受験させる」などと言う人がいます。でも、偏差値の差や学校の違いだけが教育の質にかかわるわけではありません。親の窮屈な人生観によって、子どもを追い詰めてしまうことを自覚する必要があります。

 

「選択肢を増やす」というのも要注意です。「選択肢を広げるために東大にいかせたい」と言う親にも出会ってきましたが、そうでしょうか。「頑張って東大に入ったのだから、年収のいい職業に」「社会的地位の高い仕事を」と、結局、限られた範囲の中から将来を決めつけてしまう場合が多いと思います。

盾になり「安全地帯」を作る大切さ

──配偶者が教育虐待をしている場合はどうすればいいでしょうか。

 

もし、目の前で教育虐待が行われていたら、僕は「それは傷つけすぎている」「もう止めて」と言って、子どもの前に立ち、盾になるべきだと思います。深刻な場合は、児童相談所など専門機関に相談することも必要でしょう。

 

微妙だなという時でも、少なくとも子どもにとっての安全地帯になってあげてください。子どもがつらそうにしていると思ったら、まずは一緒にいて話を聞いてあげたり、楽しい時間を過ごしたりして様子を見ます。

教育ジャーナリストの「おおたとしまさ」さん

 

<この記事には、多くのコメントが寄せられている>

「居場所がない」中学2年生の悲痛な声

中2です。毎日つらいです。勉強が怖くてなかなか進むことができません。高校に合格できなかったから出ていってもらうと言われました。私には居場所がありません。もうどこにもありません。私はいらない子供なのかな。もういなくなった方がいいかも。 (10代女性)

◆暴言と暴力にさらされる日常の光景

小学5年です。僕は、勉強でわからないところがあったら先生に教えてもらってと言われて、終わった後に必ず、「聞いた?」と聞いてきます。聞かなかったら叩かれるので、聞いたと言ってしまいました。

自分がいい大学行っているからって、上から目線で暴言を吐いたり、たまには、定規で叩いてきます。「生まれてこなければいいのに」などと言ってきます。大好きだった野球も「お前には絶対できない」などとレッテルを貼られます。

一回死にたいなどと思って、一回飛び降りようとしたこともあります。いっそ生まれてこなければよかったなどとも思うようになり、勉強が怖くなりました。大学を卒業したら、縁を切りたいと思います。 (10代男性)

絶縁を選んだ40代が振り返る過去

小学生のころ、無理やり進学塾に通わされました。毎週のテストで成績が落ちたり、自宅に帰ってからも勉強しないと度を超える暴言を吐かれたり。友達と比較して私のできないところをあげつらってきたり、ひどいときは悪魔、死ね、など言いたい放題でしたね。無事志望校には不合格。公立中に進学後も、勉強、勉強と接してきました。

大人になっても干渉は続きました。35歳の頃に絶縁し、それ以上は関わってはいません。 (40代男性)

トラウマに苦しむ親子の断絶

中学受験が終わったら勉強しなくていいといわれたから頑張ったのに、入ってからも怒られます。

過去に怒られたトラウマでうまく勉強がはかどらず、もたもたしていると怒られます。勉強していても少し遊んだらすぐ怒られて耐えられません。いなくなろうかなー。 (10代男性)

夫が子どもに…「離婚したいくらい」

小学4年生の塾に通う息子がいます。

塾の課題が終わるまで夫は子どもを寝かせません。夫は夜8時ぐらいから寝てしまい夜10時ごろに起きてきて、子どもに夜10時から勉強させます。自分は寝たから元気は当たり前です。子どもは寝ていないので、だんだん眠くなります。それを怒りながら夜中の1時過ぎまで勉強させます。

ひどくないですか? 教育虐待ですよね。離婚したいくらいです。 (40代女性)

いつまでも「自分が悪い」と思わないように…

自分の母は、ドリルを私に押し付けたり、一問でも間違えたら、叩(たた)いたり、蹴ってきます。痛くて泣いてるのに、私の気持ちを考えないで、「泣きたいのはこっちだよ」など言ってきます。自分が最もびっくりした言葉は、テストで良い点数を取れなかったときに、「産まれてこなければ良かった。」など、心が傷つく言葉を言ってきました。

悪いのは自分だと、思いながら我慢して学校に行ってたのですが、その心の傷がだんだんと重くなってきて苦しかったです。

けれど、学校に相談場所があって、話した後にはホッとしました。

今もそういうことが起きていますが、いつまでも「自分が悪いんだ」という事を思わないようにしています。 (10代女性)

 

一緒に考えたい」 浅野有紀・東京すくすく編集長

紹介したコメントにある悲痛な声は、昨年の秋以降に届いたものです。今もコメントは続いています。・・・

 

子育ての責任も、家庭に重くのしかかります。学歴社会は根強く残っており、先行きが不透明な社会で変わらない教育システム、募る親の不安…。さまざまなものが重なり合い、教育虐待につながっているのではないかと想像します。

 

人は何のために学ぶのでしょうか。まずは、各家庭で何が起こっているのか、起こったのかを教えてください。何がそうさせているのかを一緒に考えていきたいです。あなたが体験したことを聞かせてもらえませんか。 

【以上記事】

 

 多く寄せられたコメントには、教育虐待が子どもへの心理的虐待(時には人体的虐待)になっていることを示しています。多くの親が、「加害者」意識のないままに自分が子どもの将来を思う「良い親」だと錯覚している様子が見えてきます。しかし、被害者である子どもにとって虐待はトラウマ(心の外傷体験)でしかないのです。

 

 親は「子どもが望んでいるから」と言いますが、親の言うことを聞いて頑張ろうとする子どもの素直さがそうさせているのかもしれません。子どもが苦しそうな時、嫌がっている時、体調不良に陥っている時にも親は厳しくやらせようとします。「厳しさ」を乗り越える強さをつい求めてしまうのです。「自分だって乗り越えてきたんだ」と。

 

 でも子どもは親とは別の人格をもっています。親の持ち物やペットでもありません。転んだ子どもをすぐに抱き起す気持ちを抑えて自分で立ち上がるのを見守ったことがあるでしょう。そうやって本来は自分の意志で自己決定しながら自立して生きていってほしいと願ってきたのではないでしょうか。

人間は誰しも「自分で選んだ」からこそ、自分で立ち直ろうとします。

この受験を本当に望んで選んでいるのは子どもでしょうか?

子どもと対等に向き合っているでしょうか?

 

コメントを読みながら、子どもたちの孤独な闘いに胸が痛むのです。

 

「不登校」当事者から不登校を学ぶ(その4)~逆境的小児体験があるケース

逆境的小児体験(ACE:Adverse Childhood Experiences)は、その後の二次障害によって

複雑性PTSDにつながる怖れがあることが知られています。

今回は、小学生で不登校になったまま、誰からも助けを得られない過酷な状況に陥った体験を振り返って当事者が語る記事を紹介していきます。

【以下記事】

不登校とわたし:知られるのが怖かった

文部科学省現役職員  藤井健人さん(上)(「毎日新聞」<教育の森>2026/4/7付) 

 

小学校に入ったばかりのころは明るく活発でした。あの時が人生のピークだったんじゃないか、と思うこともあります。

「健人」という名前の由来には健康な人になるように、という親の願いがあったようです。

5人暮らしで、祖父母も両親も自分が生まれる前から病気でした。

物心ついたころには既に父が仕事を辞めていました。うつ病が重くなり、自宅でずっと寝ている生活でした。父親が窓から飛び降りようとするのを必死に押さえたこともありました。

 

祖父母は入退院を繰り返しており、母の病状にも波があった。

生活のリズムが崩れ、自分では朝起きられず、起こしてくれる人もいない。集団登校に参加できず、学校から徐々に遠のいていきました。

 

学校には小学5年で完全に行かなくなりました。

自分自身もうつ病の診断を受けたんです。休めるなら休みたい、という気持ちから、家から一歩も出たくないという思いに替わっていきました。

 

家ではカーテンを閉め切り、理髪店にも歯医者にもコンビニにも一切いかずに過ごしていました。髪の毛は肩くらいまで伸び、歯は虫歯だらけになりました。

登校していれば学校の健康診断などをきっかけに医療や福祉につながる機会があったかもしれないですが、不登校になり、そこも途絶えた。

精神科にも通いましたが、通院を継続できませんでした。

進学先は地元の公立中学でした。かつては学校生活を楽しんでいたし、授業も嫌いではなかった。だから、また元の生活を取り戻そうと思って中学入学直後には少し通ったのですが、最初のテストで全く歯が立たなかった。

思ったようなスタートが切れず、中学生活に希望が見いだせなくなり、身も心も疲れてしまいました。

自宅ではずっとパソコンでゲームをやっていました。

でも、将来どうなってしまうんだろう、という不安は大きかったと思います。だからこそ、現実逃避のためにゲームに逃げていました。視力はすごく悪くなりました。

 

中卒で働くことは現実的ではなく、高校には行こうと考えました。

中学卒業直前に眼科や歯科に行ったんですが、「この視力でどうやって中学の授業を受けていたの」とか「なんでここまで放置していたの」とか言われるわけです。

 

学校に行っていないと見抜かれるのでは、とすごく怖かった。

でも、そこにおびえを感じることは、自分を客観視できるようになる過程だったと思います。

自分の状態をおかしい、と思えたからこそ高校進学にもつながったように思います。

 

学校に通っていたら自分はどう違っていただろうと想像する余地がありました。社会に戻りたいという思いがかろうじて残っていたのかもしれません。

(聞き手・斎藤文太郎)

【以上記事】知られるのが怖かった「中」に続く(掲載次第紹介します)

藤井健人さん:小中で不登校体験。定時制高校から早大卒。定時制高校教諭を経て文部科学省官僚。

幼少期・児童期の2枚の写真は「週刊女性PRIME」から。

記事を読んで気づくこと

 まず記事の冒頭で文科省の現役官僚にこのような過酷な不登校体験をもった人がいることに驚かされますが、それよりも幼少期からの過酷な家庭環境の中で小5に完全不登校になって家にひきこもり、中学校卒業までの間ほとんど学校の支援のアプローチや外部からの関わりがほとんど語られていないことに愕然とします。

 不登校の増え始めの時期で、スクールカウンセラーの配置や学校の支援体制が表立って語られる以前だったのかもしれませんが、それにしても学校がこの子に対してあまり関心を向けていない様子が伺えます。

学校とつながっていない不登校ケースはどのくらいあるのか

 文科省の調査によると、不登校で専門的な機関での相談・指導につながっている子どもは約6割で、4割は専門的支援につながっていないという報告があります。

 もちろん統計だけでは具体的な状況が見えてはきませんが、10年前という単位で比べれば、不登校支援の認知度は確実に上がっており、学校が専門的支援につなごうという意志は出てきています。また専門機関につながっていなくても、学校と家庭で連絡を取り合い、担任が子どもの状態を把握しているケースも増えています。

 

 しかし、ひとつひとつの学校という単位で支援状況を見ていくと、依然として学校との関りが薄く、ほとんど切れてしまっているようなケースも少なからずあるのも現実です。

 

 不登校が全国で35万人を超え、全国平均では小学校で1人以上、中学校でクラスに2人以上いる割合の、全校の不登校児童生徒の状況をつぶさに支援担当者が状況把握している学校はかなり優秀な?学校です。

 スクールカウンセラーや外部の相談、病院などに不登校の初期からしっかりつながっているケースは、それだけ親と学校の対応がしっかりしていますし、家庭と学校の連携が安定していれば当然子どもも健康的な状態に向かっていきます。

 

 その、一方で不調の子どもを間に置いて、家庭と学校が理解し合えないままになっているケースもあるのです。

 中でも、学校側の不登校理解の不足から、不登校の初期に親から「登校刺激を避けてほしい」と言われたまま放置状態になっているケースは意外に多く、何らかの理由で学校と親の関係がギクシャクしている場合はさらに子どもへのアプローチに二の足を踏むことになります。

 また、この記事のケースのように親の健康状態を抱えていたり、ネグレクトやヤングケアラーなどの虐待、家族の不和などで家庭が機能していなかったりするケースも多く、学校のアプローチを困難にさせている要因になっています。

 

 もうひとつ、現実的な学校のキャパシティの問題があります。

 学校の担任にとっては不登校の子どもを数名抱え、さらに他にもメンタル系の支援や配慮を要したり生活指導に手がかかる子どもを抱えていたりすると、連絡のつきにくい不登校の子どもの支援は徐々に後回しになっていくこともあります。

 不登校理解が進んでいない学校ではなおさらです。学校に拒否反応があり再登校する意志がない子どもは「わがまま」「甘えている」と捉えて、アプローチせずに放置してしまっている実態も未だにあるのです。

不登校の増加は学校の機能不全の現われ

 このブログでずっと書いてきましたが、文科省の不登校を始めとする子どもの支援への対応は、本丸の学校の少人数クラス化や教員の働き方などの根本的な課題に向き合うことを避けてきました。

 例えば、教員増で25人の少人数学級や複数担任制の実施、教員の定額働かせ放題を止めるというだけでも多くの子どもの課題が軽減されていくのは誰の目にも明らかです。

 

 しかし学校は変わることなく不登校を生み続け、不適応を起こした子どもへのセイフティネットの構築という対処療法に終始してきたのです。その場当たり的対応の積み重ねの結果、学校教育は先の見えない混迷の時代に入ったと言えるでしょう。

 ただ、「不登校」を知られたくない、「不登校」=「恥」という傷つき体験をした現役文科省官僚がその過酷な体験をカミングアウトすることは今までありませんでした。

 

 この記事からは、学校がもう少し余裕をもって子どもたちを観察し、持っている障害特性のつらさや重い家庭環境、身の上に起こる苦しく悲しい体験、将来への不安や孤独に心を砕ける教育現場になっていけたらと、僅かに「希望」を感じるのです。

 

→藤井健人さんの「不登校とわたし」(中)は、新聞掲載後に、また紹介していきます。

身近な病気「うつ病」を理解するために~記事の紹介です

「うつ病」は良く知られている精神疾患ですが、まだまだ誤解や偏見が多くあります。

日本人の約1割が生涯で経験すると言われ、全世代で発症しますが、20代・30代が多めで女性の罹患率は男性の2倍です。主な原因はストレスと言われています。

今回は、うつ病を経験した精神科医による記事で、「うつ病」をとてもわかりやすく解説しています。

【以下記事】

「精神科医・益田裕介さんも乗り越えた生きづらさ 驚くほど身近なうつ病」毎日メディカル(4月9日付)

 

「うつ病」と聞くと、どこか遠い世界の話のように感じる方もいるかもしれません。

しかし、実際は驚くほど身近な病気です。日本では生涯で約10人に1人がうつ病を経験するとされており、誰がいつ発症してもおかしくありません。にもかかわらず、あまり身近に感じられないのはなぜでしょうか。

 

日本人の場合、うつ病が最初に見つかる際、「心の不調」としてではなく、原因不明の「体の不調」として、であることが多いからでしょう。

 

頭痛が続く▽腰が痛い▽胃の調子が悪い▽眠れない▽食欲がない――。

そうした身体症状をきっかけに内科を受診し、検査をしても異常が見つからない。

 

本当は軽度のうつ病なのに「自律神経失調症」と診断され、「軽度だから」と薬なども必要とせず、時間経過と共に改善する——。そんなケースは日常的にあります。

しかし、病状が良くならなかったり、悪化してやる気がなくなったり、喜びや楽しみを感じにくくなったりしたら精神科を受診し、うつ病の治療を検討すべきです。

うつ病の本質

うつ本質を一言で表すなら――。それは「病的な疲れ」です。

誰でも疲れることはあります。忙しい日が続けばぐったりするし、嫌なことがあれば気分は落ち込みます。

しかし、通常の疲れであれば、休めば回復するし、楽しいことがあれば気持ちも持ち直します。

 

うつ病の疲れはそうではありません。

休んでも、休んでも、回復しない。好きなことにも興味が湧かない。朝起きた瞬間から鉛のような重さが全身を覆い、何をするにもエネルギーが足りない。

それは「怠けている」のでも「気合いが足りない」のでもなく、脳と体がまさに「病気の状態=病的な疲労状態=うつ状態」だからです。

 

この「病的な疲れ」という理解は非常に重要で、本人にとっても周囲にとっても、うつ病を正しく捉えるための出発点になります。

うつ病の時、頭で何が起きているの?

では、うつ病のとき脳の中では何が起きているのでしょう。

近年の研究では、うつ病が単なる「気の持ちよう」ではなく、脳に生物学的な変化が起きている状態であることが明らかになってきました。

 

注目されているのが炎症反応との関連です。

ストレスが慢性的に続くと、脳内でも炎症性の物質「サイトカイン」が増加し、それが脳内の神経細胞などにも影響を及ぼします。

この炎症反応によって、脳の神経細胞同士をつなぐ「シナプス」の数が減少したり、神経伝達物質「セロトニン」が減ったりして、日々新陳代謝される神経細胞が新たに育ちにくくなります。

その結果、脳内の神経細胞のネットワークが「貧しく」なります。このような状態が「うつ病の脳」なのです。

 

健康な脳は、ネットワークが豊かなので状況に応じて柔軟に考え方を切り替えたり、新しい視点を取り入れたりできます。

しかしうつ病の脳は、そのネットワークが減っているために思考が硬直し、ネガティブなパターンから抜け出せなくなります。

 

「自分はダメだ」「未来に希望がない」という考えにとらわれてしまうのは、本人の性格の問題ではなく、脳の状態がそうさせているのです。

うつ病は「こころの骨折」

うつ病の治療で最も大切なことの一つは、「回復には時間がかかる」という事実を受け入れることです。

 

風邪なら数日で治りますし、骨折ならば数カ月で回復に向かいます。しかしうつ病の回復は、数カ月から時に年単位の時間を要します。

それゆえ、うつ病は「こころの風邪」というよりも「こころの骨折」と呼んだ方が適切かもしれません。

減ってしまった脳のネットワークが再び作られ、柔軟性を取り戻すには、それだけの時間が必要です。

焦りは回復の大敵です。「もう何カ月もたつのに良くならない……」と自分を責めたり、「いつまで休んでいるんだ!」と周囲がプレッシャーをかけたりすることは、症状を悪化させかねません。

 

休息中にもかかわらず、脳にストレスを与えることは、回復が遅れたり、むしろ傷を深めたりすることになります。

筋肉痛同様、脳を休ませるには、脳はできるだけ使わず、安静に保つのが良いです。

怪我をした際、急に体を動かすのではなく、リハビリを程々の運動から始めるように、うつ病の脳にもゆっくりと刺激をあたえてやるイメージが大切です。

抗うつ薬は「植物栽培の肥料」

うつ病の治療において、薬物療法は重要な柱の一つです。「抗うつ薬」は、脳内の神経伝達物質のバランスを整え、弱った神経回路の回復を助ける働きがあります。

薬に対して抵抗感を持つ方が多いです。

「薬に頼りたくない」「依存してしまうのではないか」

そんな心配の声をよく聞きます。しかし、うつ病の薬は糖尿病のインスリンや高血圧の降圧薬と同じように、体の異常を補正するためのものです。

必要な時に適切に使うことは、決して「弱さ」ではありません

 

抗うつ薬は植物栽培の肥料の役割に似ています。すぐに効果が出るわけではないものの、神経細胞が育つのを助けます。ですから、飲んでいる人の方が飲んでいない人よりも、回復が早いのです。

 

もちろん、薬だけで全てが解決するわけではありません。

しかし薬によるサポートを得ながら、次に述べるカウンセリングや周囲のサポートを受ける方が回復も早くなります。

カウンセリングを受けるべき理由

うつ病の治療においてカウンセリングを受けることも重要です。

カウンセリングで最もエビデンスが蓄積されているのが「認知行動療法(CBT)」という技法です。

まずは自分の感情に気づき、行動を変化させる。何気なくやっている言動を客観的に記録し、改善していく。それらの行為が認知行動療法の本質です。

 

認知行動療法では、うつ病で硬直した思考パターンに気づき、それを少しずつ柔軟なものに変えていく練習もします。

 

例えば「一つ失敗したから自分は全部ダメだ」という考え方に対して、「本当にそうだろうか」「別の見方はできないか」と検証していきます。

これは脳のネットワークを言語的に再構築する作業ともいえ、生物学的な回復を心理的なアプローチから後押しするものだと僕は理解しています。

 

よく誤解されるのですが、認知行動療法は「ポジティブ思考になれ」という話ではありません。

無理に前向きになるのではなく、現実を多角的に、より正確に捉え直す力を育てていく。

感情に支配されず、冷静に物事を対処できるようになることこそ、大事なのです。

100%を求めない

うつ病の回復で、家族や友人、職場の理解は大きな力になります。

しかし同時に「100%は理解されない」ことの苦しみもまた、うつ病の患者さんが抱える大きな悩みです。

診察の場面で僕が患者さんらによく話すのは「周囲に100%の理解を求めるのは、あきらめたほうがいい」というなんとも「残酷な」助言です。

 

うつ病のつらさは、経験した人にしか本当にはわからない。

どれだけ優しい家族であっても、医師や支援者、おなじうつ病当事者であっても、完全にわかってもらうことは難しい。そしてそれは、相手が冷たいからではなく、人間の共感には限界があるからです。

 

「10~30%わかってもらえたら上出来」。そのくらいの気持ちでいたほうが、お互いに楽になれます。

最悪を受け入れた後の方が、余計に傷つくこともありません。このような仏教的な態度を僕はよく説明し、患者さんらにも受け入れてもらっています。

「ピアサポート」の力

同じ経験をした仲間とのつながりを指す「ピアサポート」は、うつ病の回復において見過ごされがちですが、非常に大切な要素です。

 

患者会や自助グループでは、「わかってもらえた」という体験が生まれやすいからです。

周囲に求めても得られなかった「かゆいところに手が届く」ような共感が、同じ苦しみを知る仲間からは自然と得られることがあります。

 

「自分だけじゃなかったんだ」という安心感が孤立感を和らげ、回復への大きな支えとなります。

うつ病治療のゴールとは?

最後に、うつ病の治療のゴールについて触れます。

 

治療のゴールは、「不安がゼロになること」ではないと僕は思っています。

人生にはつらいこともあるし、思い通りにならないことだらけです。

一つの問題が解決しても、また新たな問題に遭遇する。

その連続であり、問題が解決する前に寿命がきて死ぬ、これが人生です。

それゆえ、うつ病を経験した人が再び社会に戻ったとき、全てが順調にいくとは限りません。

 

だからこそ、治療のゴールとして僕が大切にしているのは、「仕方がないな/生まれてきてよかった」と思えることです。

完璧な人生ではなくても、不完全な日常の中に喜びと感謝を見つけられる。

つらいことがあっても「まあ、仕方ないか」と受け流せる柔軟さを取り戻す。

 

淡々と日々の問題を解決しつつ生きる中、時折、ふとした瞬間に「生きていてよかった」と思える。

それこそが、脳の配線が回復し、柔軟性を取り戻した証しだと僕は考えています。

うつ病は確かにつらい病気です。しかし、適切な治療と時間、そして周囲や仲間の支えがあれば、回復できる病気でもあります。

焦らず、あきらめず、毎日を過ごしていけば「仕方がない/生まれてきてよかった」とわかる日がやってくるはずです。

【以上記事】

益田裕介(ますだ・ゆうすけ) 1984年生まれ。防衛医大卒。自衛隊勤務を経て2018年に早稲田メンタルクリニックを開業。開設するユーチューブチャンネル「精神科医がこころの病気を解説するCh」は登録者数70万人を超えている

https://www.youtube.com/@masudatherapy/videos

※現在、不調を抱えて苦しんでいる方は、これを機会に是非、今のご自分の状態に向き合って治療・療養への第一歩を踏み出してみてください。