リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

子どもの自殺予防はできるのか(前編)~小中高生の自殺者数513人(2023年) 空前の高止まり

小学生13人 中学生153人 高校生347人(2023年:厚生労働省警察庁

小中高生の自殺者数の推移と、自殺者数の全体的な傾向を見ていきながら、

自殺のメカニズムと予防について考えます。

小中高生の自殺者数の推移と、全世代の傾向

 2023年度の小中高生の自殺者数は513人(前年度514人:厚生労働省)と、高止まりしています。内訳は小学生13人、中学生153人、高校生347人(昨年度小17人、中143人、高354人)で、統計史上、総計514人が最多で、2023年度が2位ということになります。

 数字だけでは、何も実態は見えてはきませんが、コロナ禍に見舞われた2019からの5年間で2398人(小学生63人、中学生702人、高校生1633人)もの自殺者が出ています。この自殺者数を見て、皆さんはどう感じられているでしょうか。

 

 全世代の自殺者数は1998~2011年までの14年間ずっと3万人を超えていましたが、その後緩やかに2023年度は21,837人まで減少しました。この14年間の中心となっていた世代は60歳以上の高齢者でしたが、その後高齢者の自殺者が減少に転じて現在の全体の数字に至ります。

 しかし、最近の5年間、世代間の傾向が大きく変化してきています。

 自殺者の中心の年代は働き盛りの50代と40代になり、自殺死亡者率は50代がトップ、40代が2位、20代が3位。これまで低かった10代も増加し、全体的に志望者率の世代間格差が狭くなってきています。

 50代、40代は介護と子育てのダブルケアになる親の世代で20代、10代がその子どもの世代と読み取ることもできます。

急激に増える小中高生の自殺

 小中学生の自殺者数は、この5年で跳ね上がりました。1980年代から2018年までの傾向では、小学生は一桁~10数人、中学生は100以下~100人前後、高校生は150~200人、全体では200~300人くらいでした。

 しかし、全体数は2011年(東日本大震災の年)からジリジリと増加傾向に入っており、2013年からの5年間で1725人が亡くなっています。そして2019年からのコロナ禍の5年間で2398人と急激に増えたのです。そこからは子どもたちの学校や家庭での生活の大きな変化が見て取れます。

 厚生労働省は「危機的状況」という表現でこの数字を発表しています。

 小中学生の不登校児童生徒数が約30万人になったこともあり、文科省や各自治体も学校での支援の対策をそれぞれ急ごうとしていますが、同時期に教員の雇用と勤務の問題が顕在化し(子どもの問題とけして無関係ではありません)深刻な教員不足に学校現場が苦悩する末期的状況に陥っています。

自殺のメカニズム(3つの主要因)

 自殺のメカニズムについては、アメリカの心理学者のトーマス・ジョイナーが2009年に開発し発表した「自殺の対人関係理論」が、ジョイナーモデルとして現在定着しています。

 ジョイナーモデルによれば、自殺の原因となる3つの主な要因があります。

①所属感の減弱

他者から受け入れられている所属感は、個人の心理的健康や幸福感に必要な生きるための基本的な欲求とされています。この所属感が減弱していくと、他人とのつながりがなく、自分はこの世界で一人きりであり、誰も自分のことを気にしていないという認識に陥っていきます。

負担感の知覚

負担感の知覚は、人の存在は他人や社会の負担であり、死んだ方がマシであると思うことをいいます。ジョイナーは「負担感の知覚」を「私が死ぬことは私が生きるよりも価値がある」と記述しています。

人間関係理論によると、①「所属感の減弱」と②「負担感の知覚」の二つが一緒になって「自殺願望」を生み出すとしています。

 

③身についた「自殺潜在能力」

 ジョイナーは、これを後天的に「身についた」潜在能力と言っています。自殺行動をとる能力は人生経験を通して獲得されます。

 死の恐怖は生まれつきの強い本能ですが、肉体的な痛みを伴う経験、子ども時代のトラウマ的な出来事の目撃、重病の罹患経験、自傷行為など、これらが痛みを伴う刺激に対して鈍感になる作用をもたらし、死への恐怖感が弱め、自殺行動を取る能力を高めていきます。

 身体的苦痛を伴う職業や、他人の死を多く目撃する仕事など(兵士・医師・看護師・警察官・消防士など)はこの作用が高まります。戦闘経験のある兵士の自殺率が高い事実は、ジョイナーの理論を裏付けています。

 また、社会的マイノリティの自殺や自殺予防研究の専門家の和光大学の末木新(すえきはじめ)教授は、過去の自殺企図の積み重ねも含めて、「自殺の潜在能力」は「訓練」によって獲得されていくと述べ、死の恐怖を克服して「死にきる」力であると述べています。

※「自殺願望」を高めた①「所属感の減弱」②「負担感の知覚」に、さらに③「自殺潜在能力」の3つの主な要因が加わると「自殺企図のリスク」が高まります。

 

平たく言えば、

①孤独で、②他人の負担になる、と思っている人が、

③生育歴・人生経験の中で死へのハードルを下げられる能力を身につけていると、

自殺のリスクが高まるということです。

 

更に言い換えると、

③潜在能力をもつ人が、①孤独と、②負担の知覚、が揃う状況になると

自殺リスクが高まるとも言えます。

 

つまり、逆に、①孤独と、②負担の知覚、が揃っても③潜在能力をもつ人でなければ、思いとどまる可能性があり、

③潜在能力をもつ人でも、①孤独と、②負担の知覚、両方が揃わなければ自殺を回避で

きる可能性が高くなるということです。

自殺予防の条件

 単純に考えてみます。

 自殺を予防していくためには、社会では誰にも役割があり、人との強い結びつきによってそれを分担しているという「所属感」をもつこと、他者にとって自分自身の存在そのものが役に立っているという利他的な意識(「他者への負担感」が少ない状態)があることが必要であることがわかります。

 そして、その生育環境において過酷なトラウマになるような「痛み」や「死」の経験を減らし、例えトラウマを負ったとしても、子どもに対する早期からの長期展望に立ったトラウマケアシステムが整い、大人になってもリスクの高い業種での体験や偶々遭遇した事故などへの必要なケアシステムがあることが、最大限「潜在能力」を育てない社会になり得るのでしょう。

 

 しかし現実は、負の方向に抗う社会制度をどれほど整備しても、人間の複雑な心理や集団のあり方、生育や家族のあり方は、社会の力動に揺れ動かされ、その渦に飲み込まれていきます。

 制度によって救われる人間は増えていくでしょうが、けして100%になることはなく、必ずスロットが3つ揃う人たちが出てくるのです。

 

 つまり、自殺予防対策は、自殺者を出さないというより、如何に減じていくかという観点での対策が重要です。そこを踏まえて考えると、「潜在能力」は、その人間からはとても見えにくいものですが、「所属感」がなく孤独であることや、その人自身が他人の「負担」になっていると考えていることは、その人の所属している同じコミュニティの人間からは見えてくる可能性がありそうです。実際に家族や職場、学校などで周囲が気づいて対応したケースも多くあります。

現在の学校での自殺予防の取り組み

 現在多くの学校では現在相談やケアにつながっている子どもたち以外に目を向けていこうという動きも出ています。各自治体や教育委員会、学校の危機感は高くなってきています。

 2023年の自殺統計を受けての文科省の通知「児童生徒の自殺予防に係る取り組みについて」(2024.2)でも、自殺予防の啓発や学校での子どもの状態の早期把握を呼び掛けています。

 しかしこれらの取り組みはすべて対処療法の域を出ていません。

 そのうえ今回の文科省通知には、これまでの学校教育行政への反省は微塵もありませんでした。子どもと教員の関係性を深めていくための時間の確保の必要性、子どもが見える少人数クラスの前倒し実施、困った保護者が早めに相談できる体制づくりなどにはまったく触れていません。

 通知の後半部以降は、具体的な対策例として、行政はGIGAスクール(IT化)を推進してきたのだから、この際「ICT」ツールを活用しましょうよ、という軽いノリ?にしか感じられないような文言で占められています。このお気楽さに、心に昏い穴が開く思いがしています。

 現実的には、根本的なバックアップのない学校では、子どもに日常の生活アンケートを定期的に実施して子どもからの困り感のサインが出しやすい支援体制を工夫したり、休日でもいつでも相談できる電話窓口を紹介したりしていますが、決まった枠組みの中ではそれが精一杯の取り組みです。

 その中で、次々と様々な子どもへの対応が必要になり、学校はそれに日々追われています。

 子どもたちの自殺予防への道のりは、遠く険しいというのが現状です。

→ 後編に続きます。

後編では、学校の実際の現状を紹介しながら、自殺予防の難しさを考えていきます。

 

ひきこもり支援から学ぶ~「解決型支援」の限界(後編)

不登校の中学2年生Kくんの母親の場合

「支援」の意味、「解決」とは何かをあらためて考えさせられたケースです

(ケースは実際のものとは変えてあります)

初回面接:母親の悩み

 中学2年生のKくんの母親は、顰め(しかめ)顔で相談を始めました。

以下、母親の話した内容です。

 

Kくんが小学校高学年の時に夫と離婚、現在は実家で自分の母親と息子のK君との三人暮らし。家計は正社員の自分が支えている。

Kくんは学習に苦手な面があり、中学ではなかなかクラスに馴染めず、1年生の夏休み前から不登校になった。夏休み明けからは断続登校。あまり外にも出たがらず、冬休みには昼夜逆転して夜中はゲームで過ごし、休み明けから完全不登校になった。母親が登校を促したり、外出に誘ったりしても覇気がなく、暖簾に腕押しの状態が続く。そのうち学校からの働きかけも殆どなくなってしまった。

2年生になっても状態は変わらず、ベテランの新担任は4月当初に家庭訪問して「生存確認」でKくんの顔を見てからは一度も訪れない。母親は仕事帰りに時々学校に寄って、プリント類を受け取り、担任には家での様子を伝えているが、親身になってくれないどころか「放置」に近い状態と母親は感じている。

Kくんは口煩い母親と顔を合わせるのが嫌で、一緒に過ごすのは母が仕事から帰宅して夕食を一緒に摂る時くらい。殆どの時間は自室でゲームに興じている。祖母(母親の母親)とは仲が良く、昼間は昼食(Kくんには朝食)で楽しそうに会話しているらしいとのこと。

母親は、自分の母親から、Kを何とかして学校に行かせないといけないと言われる度に口喧嘩になり、折り合いがどんどん悪くなっている。最近は離婚した夫からの養育費も途切れていて困っている。Kくんも母親の言うことを聞き流すだけなので最近は持て余している。

最近の窮状を母親は長い時間をかけて語り続け、最後には今の職場の上司の悪口まで付け加えました。

 

 少しこれからの支援の方向を整理するために、私は母親の来談と今の窮状を労いながら、今一番困っていることは何かと質問しました。

 すると、母親は迷わず、「(Kくんの)高校進学です」と言いました。

 次回は、面接でその話をすることにしました。

二回目面接:Kくんの高校進学と特性

 約束どおり、面接ではKくんの高校進学について話し合いました。

 ミスマッチを避けるために、最初にKくんの生育歴、発達歴、家族歴など今に至る経過を伺いました。その中で、母親はKくんの不登校に親の離婚が影響しているのではないかという自責の念を語りました。

 私は「それは多少なりともあるかもしれませんね」と言いつつ、幼児期の言葉の遅れや小学校の低学年からのKくんの集団への馴染みの悪さ、登校渋り、家庭でのこだわりの強い生活ぶりなどに対する母親の認識を確認しました。

 

 母親はKくんの特性について話し始めました。母親の話は、時系列も整理されていて詳細なものでした。初回面接では大雑把に語られただけのKくんの姿が、母親の細かい観察を通した事実の上に、実像として共有していくことができました。

 幼児期からKくんのことを母親は何度か療育機関に相談にも行っていました。私は母親を労いました。学校では集団に馴染むことが苦手なことや、学習面の苦手さなどを母親と再確認し、不登校の原因のベースにはKくんの特性が関係している可能性が高いことも指摘しました。

 

 母親は、高校進学についてもKくんが通えそうな通信制高校を既にいくつか調べてピックアップしていましたが、ミスマッチはなさそうでした。ただ、高い学費をかけても今のままのKくんでは通えないのではないか、無駄になるのではないかと心配で、学費も実際払えるかどうかのギリギリのところなので、どう進めていけばよいか迷って相談したかったとのことでした。

 次回面接は、今後の具体的な対応について、Kくんの今の生活を踏まえながら話し合うことにしました。

三回目面接:Kくんの生活

 母親の口から、近所のコンビニに買い物に行くくらいで殆ど外には出ないKくんの昼夜逆転気味の生活が細かく語られました。

 学校へはまったく行く気も見せず、母親と高校進学の話もできていません。夜中の入浴や、深夜のゲーム、夜食などの生活で光熱費や食費が嵩んでいる実態も判明しました。今は、母親は自分が口を開くと小言ばかりになってKくんがとても不機嫌になるので、出来るだけ何も言わないようにしているとのことでした。

 私は「お母さんが困っていることを、きちんと話してみたらどうでしょうか」と提案しました。

 Kくんに対する母親の思いや高校進学、現在の母親の収入と生活費の額、最近の光熱費、高校の学費、父親の養育費の滞りなども、話せる範囲でできるだけ具体的に話すように勧めました。

 

それ以降の面接:家族と向き合って、母親なりの「解決」にたどり着く

 母親は私の予想を上回る勢いで、自分が今困っている気持ちと共に、Kくんの高校進学への心配、養育費のこと、実際の生活費や学費について具体的に数字を書いて見せながら、すべて話したとのことでした。その時には祖母も一緒にいてくれたそうです。

 なぜそれができたのかと訊ねると、それはKくんが母親からの打ち明け話を、煩がることなく真剣に身を乗り出してじっと聞いていたからだったそうです。母親にとっては初めて見るKくんの姿でした。

 そして、次の日からKくんは、母親に言われた訳でもないのに、家族の後にすぐお風呂に続けて入るようになり、夜食を止めて早めに寝るようになったそうです。

 面接では、母親はまるで奇跡が起こったかのように、一連の経過を朗らかに語りました。そしてそのことを祖母と一緒に喜び合ったことも付け加えました。

 母親は次の面接に、予告なしに、何故か祖母(母の実母)を伴って来談しました。

 私は、二人を前にして、それぞれの目から見える最近のKくんの様子を訊いていきました。また、Kくんの特性の認識についても確認しながら、高校への進学について話し合いました。

 その時、祖母は母親(娘)を横目で見ながら、「この子が頑張ってきたので手伝ってやりたい」と言いました。私は、それを聴いて微笑む母親(娘)を眺めながら、「お母さん、ずっと娘さん頑張ってきましたよ」とお母さん(祖母)に言いました。

 その後の面接は母親だけで来談し、Kくんの様子を伺っていきました。

 K君は不登校の儘でしたが、高校への進学を意識して少しずつですが机にも向かうようになりました。

 面接終結の時に母親が笑顔で言ったことを私はよく覚えています。

「なんか不思議です。外から見たら息子は不登校だし、私はいつもバタバタしちゃってるし、母とは相変わらず口喧嘩しているし、何にも状況は変わってないんですけど、本当に、なんか気持ちがすっかり変わっちゃいました。」

 

 最後に、声を潜めるように、「最近は、大人はビール飲みながら、家族で三人麻雀やって遊んでます。」と言って、豪快に笑い飛ばしました。

 面接はKくんが中3になって、「さほど変わらない毎日」を送っている様子を伺って終結しました。その後はどうなったのかは定かではありませんが、母親からの相談依頼はありませんでした。

 

 このケースは、「解決型支援」を目指す支援者からは、「支援」になっていないと言われるかもしれません。しかし、子どもの不登校や家庭の経済状況などの窮状は簡単には変えられない状態です。

 そんな中でも、これ以上の状況の崩壊を避け、そこに日々生活する人たちの価値観や立ち位置を少し変えることで彼らの健康度を保てれば、この人たちには「次がある」と考えるのは、そんなに的外れな考え方ではありません。

 実際に、当事者の多くが求めているのは、支援の視点が社会的に共有される価値観の押しつけから、内省的な個人的な価値観の尊重にスタンスを移すことです。

 そのことで、当事者が孤立せず、自己の存在を肯定的に捉えながら明るい気持ちで日々を生きられるとしたら、「つながり続ける支援」「切らない支援」で培った人と人が築いてきたピアな関係性が機能したと言えます。支援者との関係性が支点となって、家族、友達、ご近所、職場同僚、趣味の仲間との日常的で現実の関係性が拡がっていくかもしれません。

 

 Kくんの母親のケースでは、社会が一般的に望むような形での解決は見えてきませんでしたが、元々あった当事者自身が持っていたリソースに目を向けることで、支援自体は終結しました。

 家の外から聴こえるのは、三世代で「三人麻雀」している麻雀パイの音と笑い声だけかもしれませんが、それを思い浮かべると少し温かい気持ちになれるのです。人それぞれに解決の形があることを教えられたケースでした。





 

ひきこもりの支援から学ぶ~「解決型支援」の限界(前編)

解決」ありきの支援は当事者を追いつめる

「つなげる支援」、「切らない支援」への転換を

「ひきこもり」は青天井で増加しています

 コロナ禍以降、全国的に「ひきこもり」が急増しています。

61万人(2020年)→105万人(2021年)→124万人(2022年)→146万人(2023年)

と、天井知らずの激増です。15歳~64歳の約2%の50人に1人が「ひきこもり」で、65歳以上を入れると200万人を超えています。

 「全国ひきこもり家族会連合会(NPO法人):2023」によると、「きっかけ」は「退職」が1位で、就業経験は15歳~39歳で62.5%、40歳~69歳で90.3%と高く、ひきこもり状態の人の多くは、社会に出て何等かの就労を経験した後、ひきこもり状態になっていることがわかります。(3分の2は「不登校」経験者ではありません。)「ひきこもり」期間の平均は13年に上ります。

就労意欲はあっても、傷つき体験が次の就労をためらわせる

 実態調査では、就労意欲のある人は7割以上(74.8%)に上ります。

 その反面、職場での傷つき体験が深刻なトラウマとなってしまっている人が多く、具体的には半数が、いじめ、パワハラ、暴言、暴力、叱責、非難、仕事が出来ないこと遅いことを執拗に責められる、上司や同僚とのコミュニケーションが取れず孤立する、差別的な言葉を浴びせられる、職場の無理解、長時間労働などを訴えています。

 さらに、「ひきこもり」が長く晒されてきた、「本人の甘え」「親の甘やかし」という偏見によって、本人の同意なく家から引き出す暴力的な対応や、無理やり就労につなげる支援が続けられてきた経緯がありました。このような偏見が本人や家族を苦しめ、本人の社会参画を阻害し、ひきこもらざるを得ない状態に追い込んできたと述べています。

 

 内閣府の調査では、「将来に明るい希望を持てない」人が7割。「自分が将来多くの人の役に立てるとは思えない」人が8割(79.2%)近く。

 それを醸成してきた他人に向き合おうとしない「自己責任社会」の中では、将来への希望を持てずにひきこもらざるを得ない人は、けして特別な存在ではありません。

当事者は「解決ありきの相談」に限界を感じています

 さらに、実態調査では、相談支援について「相談したくない理由」は全世代で「相談しても解決できないと思うから」という方が5割超。このことは、従来の「解決ありきの相談」の限界を当事者自らが感じていることを示しています。

 期限を決めて社会に当てはめる支援ではなく、本人家族のニーズをキャッチし、それぞれのタイミングでSOSを出せるような、つながり続ける支援(継続的支援、伴走支援)、個々に合った支援(オーダーメイド支援)を望む声や、「問題は解決しなくてもいいから、事務的対応ではなく、親身に丁寧に話を聴いてほしい、信頼関係を作ってほしい」という強い要望が毎年多く出されているそうです。

 「夜間・休日も相談できる場所」、「誰も取りこぼされない体制」と、「継続して長くつながり続ける支援」が求められていると実態調査は結論づけています。

支援の本質が問われています

 また、実態調査では、家族や知り合い以外では「同じ悩みを持っている、持っていたことがある」人に相談したいという希望が高い数値が示されています。ここからは、同じ立場の当事者同士、いわゆる「ピアの関係性」の中で、ひきこもりの苦しみや葛藤に寄り添い分かち合える安心感を求めていることがわかります。

 相手の問題を直そうとする「支援―被支援」の関係ではなく、互いに支え合い、学び合い、エンパワメントし合う、対等なかかわり=「ピアの関係性」の必要性が示されています。

 調査の最後に、具体的な困り事の相談の前にまず、今抱えている孤独孤立感(7割~8割の方が感じている)を少しでも和らげる、ほっとできる空間としての「居場所」や、寄り添おうとする「人」の存在が重要だと書かれています。

 支援者育成の根幹には、本気で本人家族の状況を受け止め、本人がひきこもる状況に至るまでの痛みや苦悩や不安を感じ取れるか、真摯に理解を寄せていく姿勢と、当事者との信頼関係の構築が必要不可欠とも述べています。

「解決する」ことに走る危うさ

 以上の「全国ひきこもり家族会連合会(NPO法人):2023」のこれからのひきこもり支援の詳細な実態の分析からの提言は、現在のあらゆる分野の「支援」そのものを問い直しています。

 

 困難な状況を解決することを、今までの支援の現場では多く求められてきましたが、実際には、何年もかかって出来上がってきたひきこもりの困難な状況を「解決」することは、簡単なことではではありません。また、被支援者を再就職させて外に出せれば良いという単純なことでもありません。

 逆に、「解決のための支援」そのものが被支援者を追いつめてしまうことさえあります。「解決型支援」自体がもつ「今の困難なダメな状況から脱する」というメッセージが、「否定的な今」を作った「ダメなあなた」であると被支援者を断罪し、追いつめながら、深く傷つけていきます。

 それは、私が支援する教育現場でもそれは同じことが言えます。

 教育現場での不登校の支援の場合、学校への再登校をゴールとすると、「解決」していないケースが圧倒的に多いことになります。また、再登校したケースではすべて「解決」とされることになりますが、無理をして再登校している場合は目が離せません。

 逆に、たとえ再登校をしていなくても、支援が無駄になっている訳でもありません。「登校」はしていなくても不登校がきっかけで、親や学校、友人、塾や習い事の先生、フリースクール適応指導教室などの周囲の新しい人間関係などで得られる、理解ある関わりが子どもの健康度を高め、自律的な成長につながることもあります。

 たとえ今の学校に復帰できなくても、自分を見直せる機会を得て、将来いつか何らかの教育を受けて社会的に自立したいという希望が持てることもあります。

 もし支援につながることで、その人の自己否定しかなかった人生に、否定しない自分が存在するようになれば、その支援は新たな「解決」を導き出したと言えます。

 これまでの「解決型支援」では、被支援者の状況を「現状維持」しながら「支援」をつなげていく意味を重要視してきませんでした。

 しかしこれからは、状況は現状維持でも「つながり続ける支援」「切らない支援」こそ、被支援者の自己評価を下げない健康度のある生活を続けることにつながり、被支援者の社会的自立への意欲を担保する、ということを十分に踏まえた支援が求められます。

 支援者がひとりの人間として生きてきた被支援者に向き合い、彼ら自身が持っているリソースへの気づきを働きかけ、エンパワメントしていくことが、自ら立ち上がる糸口を見つける可能性を残していくのです。

 

→ひきこもり支援から学ぶ〜「解決型支援」の限界(後編)に続きます。

後編では、不登校の中学2年生Kくんの母親のケースで「支援」の意味と、「解決」とは何かを考えます。

 

 

 

 

会食恐怖症(後編)~不登校に苦しんだIさん

小学校1年生の給食の強要から会食恐怖症になったIさん。

それをきっかけに不登校になったIさんは、中学校でも苦闘を続けました。

中学校への入学とフリースクール

 体調を崩して欠席することを繰り返し、断続登校をしながら小学校を卒業したIさんは、中学校入学から昼食時の別室の配慮を得ながら登校を続けますが、すぐに体調を崩してしまう状況は変わりませんでした。

 家庭でも腹痛や食欲不振、不眠などに悩まされます。その頃のIさんは、外食は勿論、車以外の外出ができない程になっていました。気分が落ち込み気味なると、車のシートのにおいが気になって家の中だけで過ごす時期もありました。

 

 両親とIさんは、学校への登校をやめてフリースクールに通う選択をします。

 1年生の秋から通い始めたフリースクールはIさんにフィットしました。フリースクールでは、多少休みがちになっても、昼食を別室で摂っても誰も何も言いません。ありのままを受け入れ、周囲の子どもたちや支援の先生たちが自然に接してくれることでIさんは徐々に馴染んでいきました。

 1年生が終わる頃には体調が改善し、人前の食事を除けば、自分から取り組めることが増え、人と交流することにも前向きになり、殆ど体調を崩すことはなくなりました。努力家のIさんは塾に通い始め、学習の遅れも殆どなくなりました。

 進路のことを考え始めたIさんは、意を決して2年生から学校に復帰します。

 クラスにも馴染もうとしました。昼食のお弁当は別室で摂り、体調が下降気味な時は、別室で過ごせるように座席も出入りがしやすい最後尾の列にしてもらいました。

 しかし、Iさんへの配慮が特別扱いだという視線が、クラスメイトとの距離を遠ざけていきます。Iさんは5月から教室に入れなくなり、再び不登校になります。それでも放課後登校して先生に勉強をみてもらいました。塾にも通い、夏休みの宿題はすべて提出しました。

 夏休み明けのIさんは、学校にもフリースクールへの復帰もせず、塾にも行かずに家にいました。家の中では元気でしたが、外へ誘っても玄関までしか出られません。生活時間はズレ気味で朝は起こさないと起きてはきませんが、睡眠はとれていて、食欲もある状態でした。昼間はお菓子作りやDNDの映画鑑賞、読書などで過ごしていました。

 

揺れ動きながら立ち直っていくIさんと、両親の葛藤と不安

9月(中2):両親の「見守り」へ

 9月に母親は相談センターにやってきました。

 内容は、「学校も病院もこれ以上何もしてはくれない。やれることはすべてやったが何が原因なのかわからない。発達障害(グレーゾーン)だから不登校なのか。」

「子どもの日記を心配でつい見てしまった。「私の人生を返してください」と書かれていた。いつまでも小学校の給食のことを引きずっているのかと思うとやりきれない。」

「夏休みの宿題は、もう学校に行かないから展示しないでと言っている。どうしたらいいのか。」というものでした。

 

 Iさんの現在の体調の安定、内省の深さ、両親の支える献身的な思いと力、中学2年生の9月という時間などを総合して、私は母親に、Iさんにフリースクールの復帰を一度提案しておいて本人が動くまで何も言わずに待ち、生活の細かい所も何も言わずにすべて本人に任せてみることを提案しました。母親は沈痛な表情を浮かべていました。

11月:「見守り」の力

 「試練でした」という母親の一言から面接が始まりました。前回面接後に父親と話し合って、Iさんをゆっくりと見守ることにしたそうです。

 

 「寝たい時間に寝て、起きたい時間に起きてきます。昼間もお菓子作り、映画鑑賞、やりたいことを気儘にやって娘は「天国の時間」過ごしているようにみえます。そんな娘を見ながら「こんなことは初めてかもしれない」と思いました。でも見守ることだけしかできないのは、私たちにとって本当に試練でした。」

 そう切り出した母親の声は、意外にもとても穏やかでした。

 

 母親によると、10月末の夜中にIさんは突然「将来のことを考えたい。やりたいことがある」と言い出し、朝方まで母親と話し合って実現するための計画を立てたそうです。

 その後は動くかと思い母親は声をかけますが、Iさんが「面倒、気分が乗らない」と言うのでそれ以降は声をかけていないそうです。

 10月末の文化祭では、夏休みの宿題の作品展示を再度学校から勧められたが、「学校に行っていないから作品を展示してほしくない」と渋りながらも、「隅っこならいい」と承諾したそうです。その頃、徐々に徒歩での外出ができるようになります。

 その後、Iさんは、「(フリースクールで知り合った)友人が頑張っているので自分も頑張りたい」「塾や習い事にも行きたい」と言うが、もう一方で不登校だから外に出てはいけないという気持ちと、においが気になって車に乗れなくなったこともあって、「私は病気が治らないから絶対に無理」「もう病気が治らなくてもいい」と度々泣いたそうです。

12月:揺れ動いて前に進む

 最近のIさんは 昼頃起きて、30分くらいゲームで遊ぶ。少量だがゆっくりと食事を摂り、TVや読書で過ごしています。具合が悪くなったら引き返す約束で、短時間なら母親の車で買い物などに出かけられるようになります。例年秋から冬は調子が上がるので、外出時の不安も少しずつ低減している様子。両親が協力してIさんを見守り、少しずつの成長を言葉にして伝えるようにしているそうです。

 

 12月に入って、Iさんが「今まですべてが失敗。将来なりたいものも無理。フツーの高校も無理。皆は全日制の高校に行くんだね。私は通信制なら行きたくない。勉強もしたくない。」と言ったそうです。

 母親は「長い人生1年や2年少し休んだらいい。自分と向き合うチャンスだよ。」と返したとのこと。その頃から、母親がちょっとしたことを意識的に見つけてIさんを褒めると、笑って「恥ずかしい」と言うようになります。

Iさんのその後(中2~3年):安定・取り戻した思春期心性、そして進学

 年明けから、Iさんはフリースクールに復帰しました。「学校は皆がウェルカムでなくいろいろ言われるから行けないが、勉強したいから通えそうな塾も探してほしい」と母親に頼みました。

 しばらくは体調優先で、塾や再開した習い事に通い少しずつ自信が出てきた様子が見られました。3月には初めて家族3人でスキーに行き、Iさんは朝食バイキングのスープを飲んだそうです。

 フリースクールの帰りに、今日で会えなくなる友人と「電車で帰る」と突然言い出して、Iさんが何年かぶりで電車に乗ったのを、母親は駅で出迎えました。

 

 春休みはフリースクールの友人たちと待ち合わせて、コンサートに行ったり、遊園地に遊びに行ったりするようになります。出かける前は食事を摂らないが、友人と一緒なら電車やバスに乗れるようになり、遊園地では昼食でチュロスを少し食べたとのこと。

 塾には母親の車の送迎で休まず行き始めます。その頃、母親に「勝手に部屋に入らないで」と言い出し、勉強の内容を教えなくなります。父親にも思春期らしい敬遠モードが出てきて、父親が誘っても断わるようになったそうです。

 中3の4月からはフリースクールに休まず通所します。自分のペースでやりたいことをしているIさんを見て、母親は「うれしい。本来の娘が戻ってきました。」と喜びを私に伝えました。

 その後もフリースクールで順調に過ごし、健康度を上げていきます。

 希望していた通信制高校の受験の前には、「自分のような学校も行っていない病気の人間は受からない」と悲観的になった時期もありましたが、合格して自信を深めていきます。合格後は外出、外食も徐々に楽しめるようになっていきます。

 

 高校の進学が決まってから、Iさんがフリースクールの友人の話や、塾の先生の話、学習の話などの振り返りを母親にする中で、感情が溢れてきて涙を流したしたことがあったそうです。

「小学校の(給食の)ことがなければ、全日制の高校に行けたのに・・・」と。

 母親は、以前「私の人生を返してください」と書いていた日記を思い出し、Iさんがいつまで「小学校のことが・・・」という所に捉われて生きていくのか、とても不安になります。

Iさんが教えてくれたこと

 苦闘の中から徐々に自己評価を高めながら不登校から精神的に立ち直り、高校進学を決めて、心の傷とも言える会食恐怖症も回復させたIさんの紆余曲折の歩みは、奇跡的とも言えます。

 根底にあるのは、Iさんの自分を諦めずに「生きよう」とする力強さです。

 ひとり娘のIさんへの両親の愛情の深さがそれを形作ってきたのでしょう。両親からどこまでも大切に扱われたIさんには帰る場所が常にあったのです。

 

 全日制の高校進学が必ずしもバラ色な訳ではないとしても、「小学校のことがなければ」こんな長期間の苦しみはなかったのではないかと、Iさん本人でなくても多くの人が思うはずです。実際に「時間内に完食する学校給食」を強要された話は少なくありません。これは大人数のクラス集団に一定時間で給食を詰め込む弊害でしょう。

 給食無償化や食品ロスを減らす取り組みが進む現在にこそ、学校給食が子どもたちの「食」の健康とは逆の方向に針を戻さないように注意を払う必要があります。

 子どもが学校給食で「会食恐怖症」になることは、けしてあってはならないのです。人の「食」は、「餌(エサ)」ではないのですから。

会食恐怖症(前編)~学校給食の強要から始まることもあります

会食恐怖症は、不登校のきっかけにもなっています。(Iさんのケース)

(ケースは実際のものとは変えています)

会食恐怖症とは

 食事を楽しむ人たちは世の中に多くいます。グルメと言われる人でなくても「食」への多少のこだわりを持つ人や、気に入った店の味に常連になる人も当たり前のようにいて、「会食」は人との交流を拡げ、楽しむ大事な社交の場にもなっています。

 しかし、「会食」を楽しめない人たちも社会の片隅にいることを知っておくべきでしょう。

 

 「会食恐怖症(Deipnophobia)」とは、人前で食事をすることに強い恐怖を感じる症状のことを指します。レストランなどでの外食や学校の給食などの場面が該当します。「Deipnophobia」という言葉は、「deipno(晩餐)」と「phobia(恐怖症)」を合わせた造語です。この症状は、社交不安障害(Social Anxiety Disorder , SAD)の一種であると言われています。(会食恐怖症と社交不安障害は、異なる疾患として診断されます。)

 

 具体的には、人前で食事をする緊張が過剰に高まることで、食べ物が喉に詰まったり、口からこぼしたりしてしまうのではという不安感や、自分が周囲の人から笑われたり嫌われたりするのではないかという恐怖感がある状態をいいます。また、他人の視線を気にしすぎて硬くなり、食事を取り分ける、口を拭うなども困難になり、食事中に動悸、手汗、吐き気などの身体反応が現れることがあります。

 原因としては、過去の会食中のトラウマ体験や、会食自体が持つ社交性への圧力などが挙げられます。また、他人から否定されることを恐れ、周囲の人々より自分自身が劣っていると感じる社会不安障害の症状の「自己評価の低さ」が原因の場合もあります。

 これらの要因が複合的に絡み合って引き起こされるため、症状に合わせた個別のアプローチが治療には必要とされます。

 また、摂食障害過食症などの症状がある場合にも、会食恐怖症が現れることがあります。(自分の体型を気にするところから始まる「摂食障害」とは異なる疾患です。)

理解されなかったIさんの、苦闘のはじまり

 Iさんの幼稚園はお弁当だったので、小学校の給食の時間はIさんにとって、教室から廊下へ、校舎内全体に「給食のにおい」が立ち込めていく初めての経験でした。

 就学前の健診から療育に繋がって、発達障害のグレーゾーンと診断されたIさんには味覚・嗅覚に強い感覚過敏がありました。特定のにおいのある食べ物や場所がとても苦手のために両親も事前に学校にはそのことを伝えていました。

 

 Iさんは給食の時間に緊張と苦痛を感じていましたが、食べられそうなものを選んで少しずつ口に運びました。時間内に完食することは到底できません。

 そのために1学期の途中から、家庭でも徐々に少食になり、元気を失っていくIさんをみて、母親は担任と話し合って給食を免除し、別室で自宅から持っていくお弁当を食べられるように提案しましたが、担任は「Iさんは今とても頑張っているところなのでもう少し続けましょう。」と受け入れてもらえませんでした。

 夏休み前にIさんは、腹痛を訴えて学校を休むことが増えてきましたが、学校の方針は変わりません。そんなある日、Iさんは「学校を休ませて」と母親に言いました。

 

 学校を休み始めてそのまま夏休みに入りました。両親は夏休み中に少しIさんの体調が回復することを願いましたが、Iさんは人前での食事へ恐怖感が強くなっていて、家庭での食事も進まず、外食は一切できなくなりました(会食恐怖症)。外出にも不安があるため、家族旅行に行くことも諦めました。

 給食時の恐怖の体験が学校生活全体のトラウマになってしまったIさんは、小1の夏休み明けから、中学3年生までの9年間、断続的な登校を繰り返す不登校を続けることになります。(Iさんの苦闘は後編で詳しく扱います。)

「給食」に救われる子どももいれば、「給食」に追いつめられる子どももいる

 給食が本来もっている機能としての食育の意義や、栄養バランスの取れた健康的な食事の提供は義務教育にとって大切なことです。子どもの貧困、ヤングケアラー、家庭の養育の問題が顕在化している現在の給食の意味も大きく、給食に救われている子どもたちも多くいます。

 しかし、持病によって皆と一緒の給食が摂れない子どもたちがいるのと同じように、味覚、嗅覚、聴覚(咀嚼音)などの感覚過敏によって皆と同じように給食を摂ることが難しい子どもたちも一定数います。現状では、感覚過敏自体が認知されにくく、ただの偏食やわがままのように受け止められ理解されずに追いつめられてしまうことも多くあります。

 

 また、学校では、時間内に食べ残しを出さない給食指導をする担任が力のある学級経営をしていると評価するような風潮が古くからあると聞いています。給食を子どもたちの口にただ詰め込むのではなく、本来の給食には皆で会食を楽しむ意義も謳われています。

(学校給食法:(学校給食の目標)第二条の三  学校生活を豊かにし、明るい社交性及び協同の精神を養うこと。)

 もっと子どもたちのペースで食べられる余裕のある給食時間と環境づくり、個々の苦手への配慮などが自然に行える雰囲気を作ることが何よりも大切です。

 本来「生きること」「育つこと」に直結している「食事」が、Iさんのように苦痛、恐怖になることは、子どもにとって自己の存在すら不確かなものになってしまうのではないかと心配になります。

 また、給食が直接のきっかけになっていない別の理由で不登校になった子どもたちでも、給食が食べられなくなるケースも多く見られます。おそらく、「学校」という不信や恐怖のあるものから提供される食事を、安易に自分の身体の中に入れられないという無意識の防衛(免疫機能)が働くのだろうと思われます。

 このように人の「食」というものは「育ち、生きる」ことに直結しているからこそ「安心して食事できる環境」が大切だと、子どもたちは教えてくれています。

 

~後編(不登校に苦しんだIさん)に続きます。

不登校~孤軍奮闘する母親たちを生む社会

不登校相談に訪れる親は、未だに母親が多数派で父親の相談は少なく、特に父親単独での継続相談はあまり増えません。

「子どもの学校のことは母親」という、古い社会通念がまだ色濃く残っているようです。

それどころか、子どもの支援をする母親の足を引っ張る父親が後を絶たないのも現実です。孤軍奮闘している母親がまだたくさんいます。

(ケースは実際のものとは変えています)

けして泣かない母親Sさんの戦いの始まり

 Sさんは、幼稚園と小学校3年生の二人の女の子の母親で。父親の実家に同居していました。長女には、感覚過敏や集団生活への不安などの特性があり療育センターにも繋がっていましたが、小2頃から登校渋りが出てきました。

 欠席する日が増えてくると、「学校くらいきちんと行かせろ」と父親から母親を責める言葉が投げつけられるようになりました。長女も父親の怒鳴り声に委縮して、不安が高まり、食欲を失くして体調を崩し始める中、母親は夫の両親にだけ事情を話し、夫に黙って子ども二人を連れて近隣のアパートに突然別居しました。

 私の所に長女の不登校相談でSさんが訪れたのはその頃でした。

 Sさんは、いつも相談の目的や内容もきちんと整理されて面接に臨む聡明な母親でした。面接でのアドバイスを自分のスタイルにアレンジして実行するセンスも高く、行動力も持ち合わせていました。

 Sさんは、次女の幼稚園の送迎、長女の学校や適応指導教室、療育センターの通所、その間に資格を持つ仕事のパートタイムのシフトを一杯に埋めながら、淡々と日々を送っているように見えました。別居から数カ月で、幸い子どもの体調も安定し、学校への登校日も週1~2日とペースができてきました。

 夫は、妻の突然の行動にショックを受け、反省のメールを送ってくるようになったそうです。

Sさんの生い立ちとパニック障害

 Sさんは地方都市にある実家には、あまり帰ることがなかったそうですが、別居後は娘さんたちの長期休業には三人で実家に戻って、子どもたち共々少しのんびりできているとのことでした。

 子どもの頃のSさんは、三人姉妹の長女で忙しい両親にあまり甘えることもせず、下のきょうだいを遊ばせながら育ったそうです。学生時代に実家を出てからは、実家に戻ることはあまりなく、自分の仕事や生活に専念してきたといいます。

 ある日、Sさんは面接の終了間際に

「ちょっと伺いたいことがあるんですけど良いですか?」と切り出しました。

「三日くらい前に、下の子を迎えに行く車の運転中に、急に胸が苦しくなっちゃって。実は最近、時々二週間に一回位あるんです。病院に行った方が良いでしょうか?」

私「そうですね。まずは、かかりつけのお医者さんに相談してみてください。多分パニック障害ですね。そこから心療内科か精神科を紹介してもらうといいですよ。」

キョトンとした表情を浮かべるSさん。「パニック障害ですか?」

私「多分ね。Sさん、ずっと頑張ってきたから、疲れが溜まってきているかもしれませんね。」

「あ~そうなんですか~わかりました。病院に行ってきます。」

 Sさんは、子どもの母親としての相談面接では非の打ちどころがない相談者でしたが、二つの特徴を持っていました。一つが「メモをとらない」こと。もう一つが「涙を見せない」ことでした。相談では、いつも穏やかで人当たり良く、カウンセラーの話を聴き洩らすことなく、次の面接までにできることは必ず実行しました。そして、一度も涙ぐんだことすらありませんでした。

 私は面接が進むほどに、そのことが気になり始めました。Sさんは、面接に対して気を遣い、気持ちを込めて相談に集中してきましたが、そこにSさん自身の気持ちがあると私は錯覚してしまったのではないか。Sさんはなぜメモを取らないのか。一度も涙を見せないのはどうしてだろうか。

Sさんの夢と気づき
 一カ月後の、次の面接は何事もなく、いつも通りに始まりました。


「春休みなので、先日、実家に子どもたちと帰ってきました。」
「(子どもたちが祖父母に可愛がられて)明るくて伸び伸びしていて良かったです。」
長女は安定している様子でした。

Sさんは、はじめて自分の話を始めます。

「それで、こちらに帰ってきて、その日の夜に夢を見ました。」

 

「私、実家で寝ているんです。そしたら夜中に目が覚めて。周りに誰もいなくて。
探してるんです。私、「おかあさん」「おかあさん」って呼んで母を探してるんです・・・私は子どもなんです。「おかあさん」って呼びながら、家中探して誰もいないんです・・・そこで目が覚めました。」


「目が覚めてから、「あ~、私がお母さんなんだ」って思ったんです。それで布団の中でしばらく号泣しました。20分くらいですね。そんなに泣いたの、本当に久しぶりだって気づきました。」


 Sさんは少し涙を浮かべていましたが、その後初めて満面の笑みを見せて「病院にも行っています。」と付け加えました。

Sさんのその後
 その後、Sさんは夫の実家に娘たちと戻りました。父親は子どもたちに会いたいと妻に何度も謝罪をし続けていたそうです。日常生活はいつも通りで、母子の部屋は別にし、勝手に夫が立ち入らないことを条件にしたとのことです。夫は、それ以後協力的な父親に変わったそうですが、Sさんから見ればまだまだだそうです。


 「子どもたちが眠ってから、独りでワインを飲みながら、海外ドラマを観るのが唯一の楽しみなんです。だって、スイッチを入れたら心はニューヨークですから。」とSさんは、お茶目に笑いました。
 長女の登校は断続登校でしたが、母子ともに全体的に健康度が上がり、安定したので終結になりました。

Sさんを追いつめた夫

 このケースを思い出すと、お母さんを探すSさんが、自分が母親であることに気づく姿に切なくなります。

 Sさんは、二人の子どもの養育の殆どを担っていながら、不登校気味になった子どもを支え、その上協力すべき夫からは追い詰められました。

 持ち前の行動力と聡明な能力を発揮してSさんは、子どもを守るためにワンオペの子育てをすることをあえて選びます。頼れるものは自分だけです。Sさんはこの環境に過剰適応し、過覚醒状態で生活を続けたのです。おそらく面接で、内容から次の予約まですべて一切メモを取らなくても忘れない程の覚醒状態だったのでしょう。

 自分の中に湧きおこる葛藤にも蓋をして、淡々と環境に適応し、24時間母親として、忙しい日々を送ったのです。それは、また自分が母親である自覚を失うほどの過剰な適応状態だったと考えられます。

 Sさんに、その異変を知らせたのは、他ならぬ子どもの頃のSさんだったのかもしれません。きっとしっかりとしたお姉さんだったことでしょう。

 結果的には、取りあえずSさんはしたたかに生きる道を選び取ります。Sさんの逆境での「メタ認知」力と、持ち前の行動力には驚くばかりですが、この逆境を生んだ原因は、父親である夫にあります。

 

 父親の不登校に対する無理解もかなり深刻な状態ですが、それ以上に問題は、母親に「学校に行かせろ」と父親が責めたてたことにあります。

根強い「不登校は甘え」論と、足を引っ張る父親たち
 不登校を理解しよういう社会の潮流は以前に比べて見えるようになってきましたが、一方で相変わらず「不登校は甘え」「親が悪い」「支援は甘やかし」「様子見は何もしないこと」「登校しないと将来がない」という言説が潮汐のように繰り返されています。

 「子どもは学校に登校するのが当たり前、親は子どもを学校に行かせる義務がある。子どものわがままに負けて甘やかしてはいけない。不登校の解決は再登校しかない。」
  意図的にこの一点を頑なに主張し、他の意見を一切聞く気がなく、攻撃的でさえある一部の人たちが今の日本社会には根強く存在しています。このステレオタイプの二択論が、個々の人の事情や苦しみを排除して切り捨てているのです。

 不登校を認めない、理解する気がない人たちの主張に一番影響を受けやすいのが、子育てを母親任せにして何も考えていない父親たちです。きっと家父長制の厳格な父親のような風情で物を言うのは「父親」っぽくて良いかな~くらいに思っているのでしょう。

 このことを上から目線で言うと妻から猛烈な反感を買い、「バカなのか」という勢いで反論されると、いよいよ口喧嘩になり、キレた夫がモラハラまがいの暴言を吐くことも多いようです。キレるといきなり関西弁?になる人もいるそうです。

 もちろん、そんな父親ばかりではなく、自ら熱心に相談に来談する人たちもいます。しかし、妻に連れられて渋々カウンセラーの所に来る父親は、子どもの発達や養育の知識がない人が母親に比べて多いのでこちらの力が抜けると同時に、母親がさらに気の毒に思えます。

 父親に子どもへの関わり方を伝えて、簡単に「勉強になりました~」なんて言う人も心配ですが、わかってくれたかなと思うと、最後に「あの~やっぱり教育しないと物事がわからないままなんじゃないですか?例えば~箸の持ち方だって大事ですよ。」などと言い出す人や、「父親ってやはり怖い存在じゃないといけないと思うんですよ~一緒に友達みたいに遊んでるだけでは、父親とは違いますよね。」と「振り出しに戻る」人も珍しくないのが実際のところです。

 

 それに比べて、社会の価値観がどうあれ、子どもの成長発達や学校の不適応に目を向けて、忙しい中でも独学で知識を得、周囲と情報交換してきている母親の多さには頭が下がる思いです。子どもの日々の様子をびっしりと書かれた分厚い記録ノートを面接に持ち込む母親も少なくありません。彼女たちの多くは面接中も熱心にメモを取っています。初回面接には母子手帳を持ってくる人もいます。

 母親たちの学びを無駄にしないためにも、父親が母親と一緒に学びを共有しながら、子どもを守り育てていくのが当たり前な世の中になってほしいものです。

 私たち支援者は子どもの発達成長に対する専門的知識はあっても、個々の子どもの詳細は親に訊かないとわかりません。その子の本当の専門家になれるのは、その子の親(養育者)なのです。





 

不登校を治すより、学校を直そう(その3)~子どもを「見える化」して、ゆっくりと子どもに向き合える学校に

少人数クラス(25人学級)の早期導入で、教員が子どもに落ち着いて向き合える環境にしていきましょう

35人学級でも多すぎます

 今は、現行の40人学級から35人への移行期になっています。計算上では40人学級では、1クラス20~40人の間、35人では17~35人の間の人数になります。実際には、前者は35人前後、後者は30人前後といったところでしょうか。

 35人→30人前後でもこれまでの日本の学校のイメージとしては随分少なくなった印象です。

 35人学級のイメージは教室の机で、35人で6列に約6人ずつ、30人では5人ずつになります。だいたいこのくらいの間ということです。

 では、これからあなたが、30数人の中学生がいる教室に入って、まとまった話をすることをちょっと想像してみてください。

相手が子どもとは言え、中学生ともなると集団に対峙すると、30数人の「圧」があなたにかかってきます。

緊張したあなたが教室に入っても、全員が自分の席に座り、あなたに注目する保障はどこにもありません。

まったく無視かもしれませんね。チラチラと30数人の視線が、あなたに降り注ぎます。

あなたが日頃の武器としている社会的地位や権威などはここでは役に立ちません。

やっと席に着いてもらって話し始めても、あなたは30数人の子どもを観察しなくてはいけません。

落ち着かない子どもに注意を与えながら、全員をこちらに集中させて話しを聞かせます。

どうでしょう。

おとなが前に立ったらみんな素直に座って、お行儀よくキラキラのおメメを向けて、頷きながら話を聴くなんてのは幻想です。

これが授業であれば、教員はもっと大変です。

授業をするには、大きな声を出して注目させ、話の内容を伝え、子どもの手元の作業を進めさせなくてはいけません。喉も枯れます。

授業進めながら、30数人の子どもたち全員に目を向けて観察します。

勉強がわからなくなっている子どもや、体調不良の子ども、やる気が出なくて構って欲しい子ども、隣に手紙を渡そうとしている子ども、聞いているふりしてボーっとしている子ども、どれだけ気がつくでしょうか?

学習障害(LD)などの特性をもつ子どもへの合理的配慮も忘れていませんよね。

 

 これを一日やっていくだけでも、教員はかなりストレス高い仕事だと思いませんか。

 そして35人学級って、やはりまだ多すぎると思いませんか?(イラストは34人です)

25人学級で、子どもを「見える化」する

 25人学級になると、実際21~2人として、5列で4~5人になります。

 見た目でもグッと減ります。テレビドラマの教室の様子くらいです。4人きょうだいの家が5件分しかありません。塾に近い雰囲気かもしれません。実質45人学級の半分が欠席した感じになります。

 教員は、授業中に机間巡視しても、1校時の授業で全員に声掛けができます。

 教員が、個別に子どもを見ていく余裕もあり、子どもと教員の関係性も深まります。提出物の添削やテストの採点などもゆっくりとみられます。全体の事務処理量が減ります。

 ブラックな職場の改善にもピッタリとフィットします。これで、部活動を地域移行できれば、後回しにしてきた教材研究をして、学習塾に負けないくらい「わかる授業」にスキルアップできるでしょう。

 

 教室は広いままなので、子ども同士の机の間隔も空いて、個別感が増し息苦しさが消えます。感覚過敏のある子どもには少し良い環境になります。個々の子どもの姿がズームアップさせたように見えるようになるはずです。アットホーム感が高まります。

 「クラスのまとまりや団結」を目標になんて、きっと昔話になるでしょう。

 半年に一回、人間関係を見直してクラス替えをすることもお勧めです。居心地が悪くても半年の我慢です。場合によっては、校内フリースクールに一時的に避難もできるようになります。

不登校は、子どもたちの生きづらさの指標です。

 文科省は、「不登校」の概念を定義しています。

「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあること(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)」

 「不登校」とは「状況」だ、と明確に言っています。この認識は重要な点です。

 学校基本調査では、「不登校」によって、年度内に30日以上欠席した児童生徒の長期欠席者をカウントしています。

 その数が2022年度に29万9028人(約30万人)だったということです。「30日以上の長欠」で「不登校」の子どもを、世間ではザックリと「不登校」と呼んでいます。

 この数を、子どもたちの「生きづらさの指標」として見れば、日本全国の小中学校で「生きづらく」て長欠になっている子どもが増えてきている、ということになります。

 実際は、年度内欠席が30日未満でも、長欠ではない「不登校」の子どもはいるのですから、予備軍も入れると、推計では40万人を既に超えているという報道もありました。

子どもの生きづらさは、大人の生きづらさの反映

 「生きづらさ」を抱えた子どもたちの周りには、ストレスや「生きづらさ」を抱えた多くの大人たちの存在があります。家庭では親、学校では教員といったところでしょうか。

 文科省は、「不登校」の具体例の中で、

「友人関係又は教職員との関係に課題を抱えているため登校しない(できない)。」

を一番目に挙げています。

 

 現在の学校はまだまだ、集団指導の徹底化のための「画一化」「均一化」の形を多く残しています。標準服や指定ジャージ、ブラックな校則、授業での一斉の挨拶、号令、整列など、まだいろいろありそうです。どこか「軍隊」に似ているので、比べるとわかりやすいと思います。

 しかし、現実の学校では、多様な課題をもった子どもの姿が顕在化してきています。

 特性への合理的配慮、問題行動やヤングケアラーなどの家庭の問題への対応、ジェンダーへの配慮、自傷行為希死念慮、自殺企図、激増中の不登校への対応など、個別の対応が必要なケースは、溢れんばかりに増え続けています。

 その水面下では、孤独で、苦悩を誰にも言えず、援助希求を諦め、自傷自死リスクのある子どもたちも学校は抱えています。

 学校での子どもたちの「生きづらさ」は、教員の「働きづらさ(=生きづらさ)」と相互的な関係があります。このことは、きっと家庭でも同じように起こっていることなのです。

 

 少人数25人学級で、子どもを「見える化」させることで、一律で杓子定規な指導が不要になり、学級崩壊のリスクも減少します。

 教員が高ストレス状態から解放されることは、子どもと教員の関係性や、クラスの子ども同士の関係性にも好影響が予想されます。個々の子どもに対してゆっくり向き合える時間が増えることでストレスは軽減されていきます。

 さらに教員と子どもとの個別的な関係性の深まりが、子ども同士の関係性のモデルにもなっていくのです。