リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

会食恐怖症(後編)~不登校に苦しんだIさん

小学校1年生の給食の強要から会食恐怖症になったIさん。

それをきっかけに不登校になったIさんは、中学校でも苦闘を続けました。

中学校への入学とフリースクール

 体調を崩して欠席することを繰り返し、断続登校をしながら小学校を卒業したIさんは、中学校入学から昼食時の別室の配慮を得ながら登校を続けますが、すぐに体調を崩してしまう状況は変わりませんでした。

 家庭でも腹痛や食欲不振、不眠などに悩まされます。その頃のIさんは、外食は勿論、車以外の外出ができない程になっていました。気分が落ち込み気味なると、車のシートのにおいが気になって家の中だけで過ごす時期もありました。

 

 両親とIさんは、学校への登校をやめてフリースクールに通う選択をします。

 1年生の秋から通い始めたフリースクールはIさんにフィットしました。フリースクールでは、多少休みがちになっても、昼食を別室で摂っても誰も何も言いません。ありのままを受け入れ、周囲の子どもたちや支援の先生たちが自然に接してくれることでIさんは徐々に馴染んでいきました。

 1年生が終わる頃には体調が改善し、人前の食事を除けば、自分から取り組めることが増え、人と交流することにも前向きになり、殆ど体調を崩すことはなくなりました。努力家のIさんは塾に通い始め、学習の遅れも殆どなくなりました。

 進路のことを考え始めたIさんは、意を決して2年生から学校に復帰します。

 クラスにも馴染もうとしました。昼食のお弁当は別室で摂り、体調が下降気味な時は、別室で過ごせるように座席も出入りがしやすい最後尾の列にしてもらいました。

 しかし、Iさんへの配慮が特別扱いだという視線が、クラスメイトとの距離を遠ざけていきます。Iさんは5月から教室に入れなくなり、再び不登校になります。それでも放課後登校して先生に勉強をみてもらいました。塾にも通い、夏休みの宿題はすべて提出しました。

 夏休み明けのIさんは、学校にもフリースクールへの復帰もせず、塾にも行かずに家にいました。家の中では元気でしたが、外へ誘っても玄関までしか出られません。生活時間はズレ気味で朝は起こさないと起きてはきませんが、睡眠はとれていて、食欲もある状態でした。昼間はお菓子作りやDNDの映画鑑賞、読書などで過ごしていました。

 

揺れ動きながら立ち直っていくIさんと、両親の葛藤と不安

9月(中2):両親の「見守り」へ

 9月に母親は相談センターにやってきました。

 内容は、「学校も病院もこれ以上何もしてはくれない。やれることはすべてやったが何が原因なのかわからない。発達障害(グレーゾーン)だから不登校なのか。」

「子どもの日記を心配でつい見てしまった。「私の人生を返してください」と書かれていた。いつまでも小学校の給食のことを引きずっているのかと思うとやりきれない。」

「夏休みの宿題は、もう学校に行かないから展示しないでと言っている。どうしたらいいのか。」というものでした。

 

 Iさんの現在の体調の安定、内省の深さ、両親の支える献身的な思いと力、中学2年生の9月という時間などを総合して、私は母親に、Iさんにフリースクールの復帰を一度提案しておいて本人が動くまで何も言わずに待ち、生活の細かい所も何も言わずにすべて本人に任せてみることを提案しました。母親は沈痛な表情を浮かべていました。

11月:「見守り」の力

 「試練でした」という母親の一言から面接が始まりました。前回面接後に父親と話し合って、Iさんをゆっくりと見守ることにしたそうです。

 

 「寝たい時間に寝て、起きたい時間に起きてきます。昼間もお菓子作り、映画鑑賞、やりたいことを気儘にやって娘は「天国の時間」過ごしているようにみえます。そんな娘を見ながら「こんなことは初めてかもしれない」と思いました。でも見守ることだけしかできないのは、私たちにとって本当に試練でした。」

 そう切り出した母親の声は、意外にもとても穏やかでした。

 

 母親によると、10月末の夜中にIさんは突然「将来のことを考えたい。やりたいことがある」と言い出し、朝方まで母親と話し合って実現するための計画を立てたそうです。

 その後は動くかと思い母親は声をかけますが、Iさんが「面倒、気分が乗らない」と言うのでそれ以降は声をかけていないそうです。

 10月末の文化祭では、夏休みの宿題の作品展示を再度学校から勧められたが、「学校に行っていないから作品を展示してほしくない」と渋りながらも、「隅っこならいい」と承諾したそうです。その頃、徐々に徒歩での外出ができるようになります。

 その後、Iさんは、「(フリースクールで知り合った)友人が頑張っているので自分も頑張りたい」「塾や習い事にも行きたい」と言うが、もう一方で不登校だから外に出てはいけないという気持ちと、においが気になって車に乗れなくなったこともあって、「私は病気が治らないから絶対に無理」「もう病気が治らなくてもいい」と度々泣いたそうです。

12月:揺れ動いて前に進む

 最近のIさんは 昼頃起きて、30分くらいゲームで遊ぶ。少量だがゆっくりと食事を摂り、TVや読書で過ごしています。具合が悪くなったら引き返す約束で、短時間なら母親の車で買い物などに出かけられるようになります。例年秋から冬は調子が上がるので、外出時の不安も少しずつ低減している様子。両親が協力してIさんを見守り、少しずつの成長を言葉にして伝えるようにしているそうです。

 

 12月に入って、Iさんが「今まですべてが失敗。将来なりたいものも無理。フツーの高校も無理。皆は全日制の高校に行くんだね。私は通信制なら行きたくない。勉強もしたくない。」と言ったそうです。

 母親は「長い人生1年や2年少し休んだらいい。自分と向き合うチャンスだよ。」と返したとのこと。その頃から、母親がちょっとしたことを意識的に見つけてIさんを褒めると、笑って「恥ずかしい」と言うようになります。

Iさんのその後(中2~3年):安定・取り戻した思春期心性、そして進学

 年明けから、Iさんはフリースクールに復帰しました。「学校は皆がウェルカムでなくいろいろ言われるから行けないが、勉強したいから通えそうな塾も探してほしい」と母親に頼みました。

 しばらくは体調優先で、塾や再開した習い事に通い少しずつ自信が出てきた様子が見られました。3月には初めて家族3人でスキーに行き、Iさんは朝食バイキングのスープを飲んだそうです。

 フリースクールの帰りに、今日で会えなくなる友人と「電車で帰る」と突然言い出して、Iさんが何年かぶりで電車に乗ったのを、母親は駅で出迎えました。

 

 春休みはフリースクールの友人たちと待ち合わせて、コンサートに行ったり、遊園地に遊びに行ったりするようになります。出かける前は食事を摂らないが、友人と一緒なら電車やバスに乗れるようになり、遊園地では昼食でチュロスを少し食べたとのこと。

 塾には母親の車の送迎で休まず行き始めます。その頃、母親に「勝手に部屋に入らないで」と言い出し、勉強の内容を教えなくなります。父親にも思春期らしい敬遠モードが出てきて、父親が誘っても断わるようになったそうです。

 中3の4月からはフリースクールに休まず通所します。自分のペースでやりたいことをしているIさんを見て、母親は「うれしい。本来の娘が戻ってきました。」と喜びを私に伝えました。

 その後もフリースクールで順調に過ごし、健康度を上げていきます。

 希望していた通信制高校の受験の前には、「自分のような学校も行っていない病気の人間は受からない」と悲観的になった時期もありましたが、合格して自信を深めていきます。合格後は外出、外食も徐々に楽しめるようになっていきます。

 

 高校の進学が決まってから、Iさんがフリースクールの友人の話や、塾の先生の話、学習の話などの振り返りを母親にする中で、感情が溢れてきて涙を流したしたことがあったそうです。

「小学校の(給食の)ことがなければ、全日制の高校に行けたのに・・・」と。

 母親は、以前「私の人生を返してください」と書いていた日記を思い出し、Iさんがいつまで「小学校のことが・・・」という所に捉われて生きていくのか、とても不安になります。

Iさんが教えてくれたこと

 苦闘の中から徐々に自己評価を高めながら不登校から精神的に立ち直り、高校進学を決めて、心の傷とも言える会食恐怖症も回復させたIさんの紆余曲折の歩みは、奇跡的とも言えます。

 根底にあるのは、Iさんの自分を諦めずに「生きよう」とする力強さです。

 ひとり娘のIさんへの両親の愛情の深さがそれを形作ってきたのでしょう。両親からどこまでも大切に扱われたIさんには帰る場所が常にあったのです。

 

 全日制の高校進学が必ずしもバラ色な訳ではないとしても、「小学校のことがなければ」こんな長期間の苦しみはなかったのではないかと、Iさん本人でなくても多くの人が思うはずです。実際に「時間内に完食する学校給食」を強要された話は少なくありません。これは大人数のクラス集団に一定時間で給食を詰め込む弊害でしょう。

 給食無償化や食品ロスを減らす取り組みが進む現在にこそ、学校給食が子どもたちの「食」の健康とは逆の方向に針を戻さないように注意を払う必要があります。

 子どもが学校給食で「会食恐怖症」になることは、けしてあってはならないのです。人の「食」は、「餌(エサ)」ではないのですから。