リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

ひきこもりの支援から学ぶ~「解決型支援」の限界(前編)

解決」ありきの支援は当事者を追いつめる

「つなげる支援」、「切らない支援」への転換を

「ひきこもり」は青天井で増加しています

 コロナ禍以降、全国的に「ひきこもり」が急増しています。

61万人(2020年)→105万人(2021年)→124万人(2022年)→146万人(2023年)

と、天井知らずの激増です。15歳~64歳の約2%の50人に1人が「ひきこもり」で、65歳以上を入れると200万人を超えています。

 「全国ひきこもり家族会連合会(NPO法人):2023」によると、「きっかけ」は「退職」が1位で、就業経験は15歳~39歳で62.5%、40歳~69歳で90.3%と高く、ひきこもり状態の人の多くは、社会に出て何等かの就労を経験した後、ひきこもり状態になっていることがわかります。(3分の2は「不登校」経験者ではありません。)「ひきこもり」期間の平均は13年に上ります。

就労意欲はあっても、傷つき体験が次の就労をためらわせる

 実態調査では、就労意欲のある人は7割以上(74.8%)に上ります。

 その反面、職場での傷つき体験が深刻なトラウマとなってしまっている人が多く、具体的には半数が、いじめ、パワハラ、暴言、暴力、叱責、非難、仕事が出来ないこと遅いことを執拗に責められる、上司や同僚とのコミュニケーションが取れず孤立する、差別的な言葉を浴びせられる、職場の無理解、長時間労働などを訴えています。

 さらに、「ひきこもり」が長く晒されてきた、「本人の甘え」「親の甘やかし」という偏見によって、本人の同意なく家から引き出す暴力的な対応や、無理やり就労につなげる支援が続けられてきた経緯がありました。このような偏見が本人や家族を苦しめ、本人の社会参画を阻害し、ひきこもらざるを得ない状態に追い込んできたと述べています。

 

 内閣府の調査では、「将来に明るい希望を持てない」人が7割。「自分が将来多くの人の役に立てるとは思えない」人が8割(79.2%)近く。

 それを醸成してきた他人に向き合おうとしない「自己責任社会」の中では、将来への希望を持てずにひきこもらざるを得ない人は、けして特別な存在ではありません。

当事者は「解決ありきの相談」に限界を感じています

 さらに、実態調査では、相談支援について「相談したくない理由」は全世代で「相談しても解決できないと思うから」という方が5割超。このことは、従来の「解決ありきの相談」の限界を当事者自らが感じていることを示しています。

 期限を決めて社会に当てはめる支援ではなく、本人家族のニーズをキャッチし、それぞれのタイミングでSOSを出せるような、つながり続ける支援(継続的支援、伴走支援)、個々に合った支援(オーダーメイド支援)を望む声や、「問題は解決しなくてもいいから、事務的対応ではなく、親身に丁寧に話を聴いてほしい、信頼関係を作ってほしい」という強い要望が毎年多く出されているそうです。

 「夜間・休日も相談できる場所」、「誰も取りこぼされない体制」と、「継続して長くつながり続ける支援」が求められていると実態調査は結論づけています。

支援の本質が問われています

 また、実態調査では、家族や知り合い以外では「同じ悩みを持っている、持っていたことがある」人に相談したいという希望が高い数値が示されています。ここからは、同じ立場の当事者同士、いわゆる「ピアの関係性」の中で、ひきこもりの苦しみや葛藤に寄り添い分かち合える安心感を求めていることがわかります。

 相手の問題を直そうとする「支援―被支援」の関係ではなく、互いに支え合い、学び合い、エンパワメントし合う、対等なかかわり=「ピアの関係性」の必要性が示されています。

 調査の最後に、具体的な困り事の相談の前にまず、今抱えている孤独孤立感(7割~8割の方が感じている)を少しでも和らげる、ほっとできる空間としての「居場所」や、寄り添おうとする「人」の存在が重要だと書かれています。

 支援者育成の根幹には、本気で本人家族の状況を受け止め、本人がひきこもる状況に至るまでの痛みや苦悩や不安を感じ取れるか、真摯に理解を寄せていく姿勢と、当事者との信頼関係の構築が必要不可欠とも述べています。

「解決する」ことに走る危うさ

 以上の「全国ひきこもり家族会連合会(NPO法人):2023」のこれからのひきこもり支援の詳細な実態の分析からの提言は、現在のあらゆる分野の「支援」そのものを問い直しています。

 

 困難な状況を解決することを、今までの支援の現場では多く求められてきましたが、実際には、何年もかかって出来上がってきたひきこもりの困難な状況を「解決」することは、簡単なことではではありません。また、被支援者を再就職させて外に出せれば良いという単純なことでもありません。

 逆に、「解決のための支援」そのものが被支援者を追いつめてしまうことさえあります。「解決型支援」自体がもつ「今の困難なダメな状況から脱する」というメッセージが、「否定的な今」を作った「ダメなあなた」であると被支援者を断罪し、追いつめながら、深く傷つけていきます。

 それは、私が支援する教育現場でもそれは同じことが言えます。

 教育現場での不登校の支援の場合、学校への再登校をゴールとすると、「解決」していないケースが圧倒的に多いことになります。また、再登校したケースではすべて「解決」とされることになりますが、無理をして再登校している場合は目が離せません。

 逆に、たとえ再登校をしていなくても、支援が無駄になっている訳でもありません。「登校」はしていなくても不登校がきっかけで、親や学校、友人、塾や習い事の先生、フリースクール適応指導教室などの周囲の新しい人間関係などで得られる、理解ある関わりが子どもの健康度を高め、自律的な成長につながることもあります。

 たとえ今の学校に復帰できなくても、自分を見直せる機会を得て、将来いつか何らかの教育を受けて社会的に自立したいという希望が持てることもあります。

 もし支援につながることで、その人の自己否定しかなかった人生に、否定しない自分が存在するようになれば、その支援は新たな「解決」を導き出したと言えます。

 これまでの「解決型支援」では、被支援者の状況を「現状維持」しながら「支援」をつなげていく意味を重要視してきませんでした。

 しかしこれからは、状況は現状維持でも「つながり続ける支援」「切らない支援」こそ、被支援者の自己評価を下げない健康度のある生活を続けることにつながり、被支援者の社会的自立への意欲を担保する、ということを十分に踏まえた支援が求められます。

 支援者がひとりの人間として生きてきた被支援者に向き合い、彼ら自身が持っているリソースへの気づきを働きかけ、エンパワメントしていくことが、自ら立ち上がる糸口を見つける可能性を残していくのです。

 

→ひきこもり支援から学ぶ〜「解決型支援」の限界(後編)に続きます。

後編では、不登校の中学2年生Kくんの母親のケースで「支援」の意味と、「解決」とは何かを考えます。