リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

不登校~孤軍奮闘する母親たちを生む社会

不登校相談に訪れる親は、未だに母親が多数派で父親の相談は少なく、特に父親単独での継続相談はあまり増えません。

「子どもの学校のことは母親」という、古い社会通念がまだ色濃く残っているようです。

それどころか、子どもの支援をする母親の足を引っ張る父親が後を絶たないのも現実です。孤軍奮闘している母親がまだたくさんいます。

(ケースは実際のものとは変えています)

けして泣かない母親Sさんの戦いの始まり

 Sさんは、幼稚園と小学校3年生の二人の女の子の母親で。父親の実家に同居していました。長女には、感覚過敏や集団生活への不安などの特性があり療育センターにも繋がっていましたが、小2頃から登校渋りが出てきました。

 欠席する日が増えてくると、「学校くらいきちんと行かせろ」と父親から母親を責める言葉が投げつけられるようになりました。長女も父親の怒鳴り声に委縮して、不安が高まり、食欲を失くして体調を崩し始める中、母親は夫の両親にだけ事情を話し、夫に黙って子ども二人を連れて近隣のアパートに突然別居しました。

 私の所に長女の不登校相談でSさんが訪れたのはその頃でした。

 Sさんは、いつも相談の目的や内容もきちんと整理されて面接に臨む聡明な母親でした。面接でのアドバイスを自分のスタイルにアレンジして実行するセンスも高く、行動力も持ち合わせていました。

 Sさんは、次女の幼稚園の送迎、長女の学校や適応指導教室、療育センターの通所、その間に資格を持つ仕事のパートタイムのシフトを一杯に埋めながら、淡々と日々を送っているように見えました。別居から数カ月で、幸い子どもの体調も安定し、学校への登校日も週1~2日とペースができてきました。

 夫は、妻の突然の行動にショックを受け、反省のメールを送ってくるようになったそうです。

Sさんの生い立ちとパニック障害

 Sさんは地方都市にある実家には、あまり帰ることがなかったそうですが、別居後は娘さんたちの長期休業には三人で実家に戻って、子どもたち共々少しのんびりできているとのことでした。

 子どもの頃のSさんは、三人姉妹の長女で忙しい両親にあまり甘えることもせず、下のきょうだいを遊ばせながら育ったそうです。学生時代に実家を出てからは、実家に戻ることはあまりなく、自分の仕事や生活に専念してきたといいます。

 ある日、Sさんは面接の終了間際に

「ちょっと伺いたいことがあるんですけど良いですか?」と切り出しました。

「三日くらい前に、下の子を迎えに行く車の運転中に、急に胸が苦しくなっちゃって。実は最近、時々二週間に一回位あるんです。病院に行った方が良いでしょうか?」

私「そうですね。まずは、かかりつけのお医者さんに相談してみてください。多分パニック障害ですね。そこから心療内科か精神科を紹介してもらうといいですよ。」

キョトンとした表情を浮かべるSさん。「パニック障害ですか?」

私「多分ね。Sさん、ずっと頑張ってきたから、疲れが溜まってきているかもしれませんね。」

「あ~そうなんですか~わかりました。病院に行ってきます。」

 Sさんは、子どもの母親としての相談面接では非の打ちどころがない相談者でしたが、二つの特徴を持っていました。一つが「メモをとらない」こと。もう一つが「涙を見せない」ことでした。相談では、いつも穏やかで人当たり良く、カウンセラーの話を聴き洩らすことなく、次の面接までにできることは必ず実行しました。そして、一度も涙ぐんだことすらありませんでした。

 私は面接が進むほどに、そのことが気になり始めました。Sさんは、面接に対して気を遣い、気持ちを込めて相談に集中してきましたが、そこにSさん自身の気持ちがあると私は錯覚してしまったのではないか。Sさんはなぜメモを取らないのか。一度も涙を見せないのはどうしてだろうか。

Sさんの夢と気づき
 一カ月後の、次の面接は何事もなく、いつも通りに始まりました。


「春休みなので、先日、実家に子どもたちと帰ってきました。」
「(子どもたちが祖父母に可愛がられて)明るくて伸び伸びしていて良かったです。」
長女は安定している様子でした。

Sさんは、はじめて自分の話を始めます。

「それで、こちらに帰ってきて、その日の夜に夢を見ました。」

 

「私、実家で寝ているんです。そしたら夜中に目が覚めて。周りに誰もいなくて。
探してるんです。私、「おかあさん」「おかあさん」って呼んで母を探してるんです・・・私は子どもなんです。「おかあさん」って呼びながら、家中探して誰もいないんです・・・そこで目が覚めました。」


「目が覚めてから、「あ~、私がお母さんなんだ」って思ったんです。それで布団の中でしばらく号泣しました。20分くらいですね。そんなに泣いたの、本当に久しぶりだって気づきました。」


 Sさんは少し涙を浮かべていましたが、その後初めて満面の笑みを見せて「病院にも行っています。」と付け加えました。

Sさんのその後
 その後、Sさんは夫の実家に娘たちと戻りました。父親は子どもたちに会いたいと妻に何度も謝罪をし続けていたそうです。日常生活はいつも通りで、母子の部屋は別にし、勝手に夫が立ち入らないことを条件にしたとのことです。夫は、それ以後協力的な父親に変わったそうですが、Sさんから見ればまだまだだそうです。


 「子どもたちが眠ってから、独りでワインを飲みながら、海外ドラマを観るのが唯一の楽しみなんです。だって、スイッチを入れたら心はニューヨークですから。」とSさんは、お茶目に笑いました。
 長女の登校は断続登校でしたが、母子ともに全体的に健康度が上がり、安定したので終結になりました。

Sさんを追いつめた夫

 このケースを思い出すと、お母さんを探すSさんが、自分が母親であることに気づく姿に切なくなります。

 Sさんは、二人の子どもの養育の殆どを担っていながら、不登校気味になった子どもを支え、その上協力すべき夫からは追い詰められました。

 持ち前の行動力と聡明な能力を発揮してSさんは、子どもを守るためにワンオペの子育てをすることをあえて選びます。頼れるものは自分だけです。Sさんはこの環境に過剰適応し、過覚醒状態で生活を続けたのです。おそらく面接で、内容から次の予約まですべて一切メモを取らなくても忘れない程の覚醒状態だったのでしょう。

 自分の中に湧きおこる葛藤にも蓋をして、淡々と環境に適応し、24時間母親として、忙しい日々を送ったのです。それは、また自分が母親である自覚を失うほどの過剰な適応状態だったと考えられます。

 Sさんに、その異変を知らせたのは、他ならぬ子どもの頃のSさんだったのかもしれません。きっとしっかりとしたお姉さんだったことでしょう。

 結果的には、取りあえずSさんはしたたかに生きる道を選び取ります。Sさんの逆境での「メタ認知」力と、持ち前の行動力には驚くばかりですが、この逆境を生んだ原因は、父親である夫にあります。

 

 父親の不登校に対する無理解もかなり深刻な状態ですが、それ以上に問題は、母親に「学校に行かせろ」と父親が責めたてたことにあります。

根強い「不登校は甘え」論と、足を引っ張る父親たち
 不登校を理解しよういう社会の潮流は以前に比べて見えるようになってきましたが、一方で相変わらず「不登校は甘え」「親が悪い」「支援は甘やかし」「様子見は何もしないこと」「登校しないと将来がない」という言説が潮汐のように繰り返されています。

 「子どもは学校に登校するのが当たり前、親は子どもを学校に行かせる義務がある。子どものわがままに負けて甘やかしてはいけない。不登校の解決は再登校しかない。」
  意図的にこの一点を頑なに主張し、他の意見を一切聞く気がなく、攻撃的でさえある一部の人たちが今の日本社会には根強く存在しています。このステレオタイプの二択論が、個々の人の事情や苦しみを排除して切り捨てているのです。

 不登校を認めない、理解する気がない人たちの主張に一番影響を受けやすいのが、子育てを母親任せにして何も考えていない父親たちです。きっと家父長制の厳格な父親のような風情で物を言うのは「父親」っぽくて良いかな~くらいに思っているのでしょう。

 このことを上から目線で言うと妻から猛烈な反感を買い、「バカなのか」という勢いで反論されると、いよいよ口喧嘩になり、キレた夫がモラハラまがいの暴言を吐くことも多いようです。キレるといきなり関西弁?になる人もいるそうです。

 もちろん、そんな父親ばかりではなく、自ら熱心に相談に来談する人たちもいます。しかし、妻に連れられて渋々カウンセラーの所に来る父親は、子どもの発達や養育の知識がない人が母親に比べて多いのでこちらの力が抜けると同時に、母親がさらに気の毒に思えます。

 父親に子どもへの関わり方を伝えて、簡単に「勉強になりました~」なんて言う人も心配ですが、わかってくれたかなと思うと、最後に「あの~やっぱり教育しないと物事がわからないままなんじゃないですか?例えば~箸の持ち方だって大事ですよ。」などと言い出す人や、「父親ってやはり怖い存在じゃないといけないと思うんですよ~一緒に友達みたいに遊んでるだけでは、父親とは違いますよね。」と「振り出しに戻る」人も珍しくないのが実際のところです。

 

 それに比べて、社会の価値観がどうあれ、子どもの成長発達や学校の不適応に目を向けて、忙しい中でも独学で知識を得、周囲と情報交換してきている母親の多さには頭が下がる思いです。子どもの日々の様子をびっしりと書かれた分厚い記録ノートを面接に持ち込む母親も少なくありません。彼女たちの多くは面接中も熱心にメモを取っています。初回面接には母子手帳を持ってくる人もいます。

 母親たちの学びを無駄にしないためにも、父親が母親と一緒に学びを共有しながら、子どもを守り育てていくのが当たり前な世の中になってほしいものです。

 私たち支援者は子どもの発達成長に対する専門的知識はあっても、個々の子どもの詳細は親に訊かないとわかりません。その子の本当の専門家になれるのは、その子の親(養育者)なのです。