リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

不登校を治すより、学校を直そう(その3)~子どもを「見える化」して、ゆっくりと子どもに向き合える学校に

少人数クラス(25人学級)の早期導入で、教員が子どもに落ち着いて向き合える環境にしていきましょう

35人学級でも多すぎます

 今は、現行の40人学級から35人への移行期になっています。計算上では40人学級では、1クラス20~40人の間、35人では17~35人の間の人数になります。実際には、前者は35人前後、後者は30人前後といったところでしょうか。

 35人→30人前後でもこれまでの日本の学校のイメージとしては随分少なくなった印象です。

 35人学級のイメージは教室の机で、35人で6列に約6人ずつ、30人では5人ずつになります。だいたいこのくらいの間ということです。

 では、これからあなたが、30数人の中学生がいる教室に入って、まとまった話をすることをちょっと想像してみてください。

相手が子どもとは言え、中学生ともなると集団に対峙すると、30数人の「圧」があなたにかかってきます。

緊張したあなたが教室に入っても、全員が自分の席に座り、あなたに注目する保障はどこにもありません。

まったく無視かもしれませんね。チラチラと30数人の視線が、あなたに降り注ぎます。

あなたが日頃の武器としている社会的地位や権威などはここでは役に立ちません。

やっと席に着いてもらって話し始めても、あなたは30数人の子どもを観察しなくてはいけません。

落ち着かない子どもに注意を与えながら、全員をこちらに集中させて話しを聞かせます。

どうでしょう。

おとなが前に立ったらみんな素直に座って、お行儀よくキラキラのおメメを向けて、頷きながら話を聴くなんてのは幻想です。

これが授業であれば、教員はもっと大変です。

授業をするには、大きな声を出して注目させ、話の内容を伝え、子どもの手元の作業を進めさせなくてはいけません。喉も枯れます。

授業進めながら、30数人の子どもたち全員に目を向けて観察します。

勉強がわからなくなっている子どもや、体調不良の子ども、やる気が出なくて構って欲しい子ども、隣に手紙を渡そうとしている子ども、聞いているふりしてボーっとしている子ども、どれだけ気がつくでしょうか?

学習障害(LD)などの特性をもつ子どもへの合理的配慮も忘れていませんよね。

 

 これを一日やっていくだけでも、教員はかなりストレス高い仕事だと思いませんか。

 そして35人学級って、やはりまだ多すぎると思いませんか?(イラストは34人です)

25人学級で、子どもを「見える化」する

 25人学級になると、実際21~2人として、5列で4~5人になります。

 見た目でもグッと減ります。テレビドラマの教室の様子くらいです。4人きょうだいの家が5件分しかありません。塾に近い雰囲気かもしれません。実質45人学級の半分が欠席した感じになります。

 教員は、授業中に机間巡視しても、1校時の授業で全員に声掛けができます。

 教員が、個別に子どもを見ていく余裕もあり、子どもと教員の関係性も深まります。提出物の添削やテストの採点などもゆっくりとみられます。全体の事務処理量が減ります。

 ブラックな職場の改善にもピッタリとフィットします。これで、部活動を地域移行できれば、後回しにしてきた教材研究をして、学習塾に負けないくらい「わかる授業」にスキルアップできるでしょう。

 

 教室は広いままなので、子ども同士の机の間隔も空いて、個別感が増し息苦しさが消えます。感覚過敏のある子どもには少し良い環境になります。個々の子どもの姿がズームアップさせたように見えるようになるはずです。アットホーム感が高まります。

 「クラスのまとまりや団結」を目標になんて、きっと昔話になるでしょう。

 半年に一回、人間関係を見直してクラス替えをすることもお勧めです。居心地が悪くても半年の我慢です。場合によっては、校内フリースクールに一時的に避難もできるようになります。

不登校は、子どもたちの生きづらさの指標です。

 文科省は、「不登校」の概念を定義しています。

「何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にあること(ただし、病気や経済的な理由によるものを除く)」

 「不登校」とは「状況」だ、と明確に言っています。この認識は重要な点です。

 学校基本調査では、「不登校」によって、年度内に30日以上欠席した児童生徒の長期欠席者をカウントしています。

 その数が2022年度に29万9028人(約30万人)だったということです。「30日以上の長欠」で「不登校」の子どもを、世間ではザックリと「不登校」と呼んでいます。

 この数を、子どもたちの「生きづらさの指標」として見れば、日本全国の小中学校で「生きづらく」て長欠になっている子どもが増えてきている、ということになります。

 実際は、年度内欠席が30日未満でも、長欠ではない「不登校」の子どもはいるのですから、予備軍も入れると、推計では40万人を既に超えているという報道もありました。

子どもの生きづらさは、大人の生きづらさの反映

 「生きづらさ」を抱えた子どもたちの周りには、ストレスや「生きづらさ」を抱えた多くの大人たちの存在があります。家庭では親、学校では教員といったところでしょうか。

 文科省は、「不登校」の具体例の中で、

「友人関係又は教職員との関係に課題を抱えているため登校しない(できない)。」

を一番目に挙げています。

 

 現在の学校はまだまだ、集団指導の徹底化のための「画一化」「均一化」の形を多く残しています。標準服や指定ジャージ、ブラックな校則、授業での一斉の挨拶、号令、整列など、まだいろいろありそうです。どこか「軍隊」に似ているので、比べるとわかりやすいと思います。

 しかし、現実の学校では、多様な課題をもった子どもの姿が顕在化してきています。

 特性への合理的配慮、問題行動やヤングケアラーなどの家庭の問題への対応、ジェンダーへの配慮、自傷行為希死念慮、自殺企図、激増中の不登校への対応など、個別の対応が必要なケースは、溢れんばかりに増え続けています。

 その水面下では、孤独で、苦悩を誰にも言えず、援助希求を諦め、自傷自死リスクのある子どもたちも学校は抱えています。

 学校での子どもたちの「生きづらさ」は、教員の「働きづらさ(=生きづらさ)」と相互的な関係があります。このことは、きっと家庭でも同じように起こっていることなのです。

 

 少人数25人学級で、子どもを「見える化」させることで、一律で杓子定規な指導が不要になり、学級崩壊のリスクも減少します。

 教員が高ストレス状態から解放されることは、子どもと教員の関係性や、クラスの子ども同士の関係性にも好影響が予想されます。個々の子どもに対してゆっくり向き合える時間が増えることでストレスは軽減されていきます。

 さらに教員と子どもとの個別的な関係性の深まりが、子ども同士の関係性のモデルにもなっていくのです。