子どものために良かれと思う親の価値観の押しつけが、子どもの健康を損なわせます。
(ケースは実際のものとは変えています)
社会不安が、我が子の商品価値を高めたい親の気持ちに火をつける
中学受験の広がりがメディアでも多く扱われるようになりました。昨年12月30日付の毎日新聞では「令和のリアル 中学受験」と題して特集を組んでいて、臨床心理士で著書に「やりすぎ教育 商品化するこどもたち」がある武田信子さんの、「親の価値観を拒めず 追い詰める危険性 子どもとの対話を」インタビュー記事で掲載しています。
武田さんは、冒頭で「社会の先行きが不透明な中で、多くの親は子どもに先行投資するかのように塾や習い事に通わせ、学歴や資格、技術を身につけさせようとしています。」「親や教師は子どもを少しでも「よい商品」に仕上げて、売れる(就職できる)まで責任を持つように暗黙のプレッシャーを受けています。
しかし、子どもは商品でも親や教師の作品でもありません。感情や欲求を持つ人間です。」と述べています。
エデュケーショナル・マルトリートメントeducational maltreatment(教育虐待)とは
大人たちが自分の信じる価値観に基づいて、子どもたちに良いと思う教育を継続的に強制することで、子どもたちの身体、精神や社会的な健康度を損なうことを指します。
日本は、国連の「子どもの権利条約」を1994年に締結しましたが、「競争の激しい教育制度」について4度に渡って指摘を受けています。2019年には「児童が幼少期及び発達を競争的性質によって害されることなく享受できることを確保するための措置をとること」が日本の緊急措置として必要な問題として求められています。
実際にエデュケーショナル・マルトリートメント(教育虐待)の事例は増加しています
武田さんは、「子どもは幼いほど大人の価値観を受け入れて頑張ります。しかし、大人が子どもの意思に関係なく自分の理想を求めると途中でついていけなくなる子どもが出てきます。大人はそれに気づかず、子どもを精神的な限界を超えるまで追い詰めてしまします。」と解説しています。
さらに、「親から愛されたい子どもは強くは拒否できません。いやいや続けて親子間に緊張が高まりストレスがたまります。そして、受験に失敗すれば自己肯定感は下がり、合格しても競争は続きます。そんな中で無気力になったり、精神症状が出たりするケースも出てきます。」と続けます。
ここから推察できることは、今広がりを見せている中学受験にこの危険性が大きいということです。先のブログ記事「私立校の不登校」で触れましたが、私立校から公立校に転入する不登校生徒は減る気配はありません。
公立校では、私立中受験を失敗して入学してきた生徒や、年上のきょうだいが優秀で私立校に通学している生徒、小学校から優秀で公立トップ高校を目指して塾通いを続けてきた生徒などが、突然不登校になるケースが増えています。
ブラック職場並みの多忙な小中学生の生活
中学3年生になると週6~7日通塾している生徒も珍しくありません。習い事も続けている場合もあります。長期休業中は夏季講習、冬期講習とスケジュールは埋まっていきます。内申書もどこか意識しつつ、中学1年生から3年生の引退まで活動も朝練、午後練、休日練、大会への参加など頑張り続けながら、睡眠時間や友だちとの遊びに時間も削って、高度成長期やバブル期のモーレツ熱血サラリーマン並みの多忙な中学校生活を過ごすのが今やスタンダードです。
深夜にゲームで息抜きしたり、ライングループでお喋り?したりしてかろうじて気持ちを保っているのかもしれません。
そして質の違いこそあれ、習い事や塾通いで週の殆どが埋まっている小学生時代からそんな多忙な日々は続いてきています。
突然、不登校になった中学3年生男子のケース
先日、ある公立中で中学3年生の男の子が1学期の夏休み後の9月に、突然朝起きられなくなって不登校になったケースの話を訊きました。
今や不登校のケースは私たちの仕事のルーティンのように多くあるのですが、今まであまり訊いたことがなかったケースなので印象に残っています。その子は、学校はまったくノーマークでした。
小学校から真面目で学習成績も優秀、運動部の部活も頑張るイマドキのフツーの子で、お姉さんは県立のトップ校に楽々進学し、家庭も教育熱心だと伺いました。
両親も突然の不調に驚き、心配してしばらく休ませようと考えたそうです。
しかし、10月に入っても状況はまったく好転せず、子どもが毎朝泣き叫ぶようになり担任の勧めで母親がスクールカウンセラーの相談に繋がったそうです。
「行きたい、僕は学校に行きたい、行きたいのに行かれない。学校に行きたいけど行けない。行けないよ~・・・」と、毎朝泣き叫ぶ中学3年生の男の子の姿を、私はなかなか想像できませんでした。
もっと早く本当の気持ちを親に伝えられていたらと思いますが、無理だったのでしょう。何も言えないから「折れた」のです。このような折れ方から立ち直るには時間がかかりますし、きっと進路先も変更もしなくてはいけないでしょう。
それでも私たちはこの折れ方で、まだ良かったと考えるべきなのです。
受け継がれエスカレートしてきた学業成績や受験のストレス
現在は中学受験の広がりで、「エディケーショナル・マルトリートメント(教育虐待)」という概念がクローズアップされていますが、これまでも中学受験に限らず、小学校受験の失敗の影響で、自己肯定感を下げ承認欲求が強迫的に強くなったために不登校なったケース、幼児期からの音楽やスポーツの英才教育に親が追っかけになるほど夢中になって振り向かれないきょうだいが不登校なったケース、高校受験のプレッシャーからリストカットやオーバードーズ、自殺企図してしまうケースなどがずっと続いてきました。
「エディケーショナル マルトリートメント」は、直訳では「教育虐待」になりますが、教育上の不適切な健康状態を意味していて、背景には子どもに良かれと思う親の気持ちがあることを忘れてはいけません。
親がなぜこの選択をしてしまったのかの原因が改善されなければ、この悲劇はずっと続くのです。
大人自身が安心できない不安な社会が悲劇的な競争を生む
先行き不安な競争社会の背景にあるのは、格差社会です。
社会のヒエラルキーの頂点の角度が鋭角的になるほどに格差は大きく拡がっていきます。生き残りのための競争の激しさは強いストレスとなります。競争にはそれ相応の努力と勝ち負けがつきもので、その結果に自己肯定感が左右されます。
もし自分が競争の勝利者側にいれば、自分の価値を肯定し正当化する気持ちは強くなります。そのため過剰適応している人ほど自己肯定感が強化され、敗者側を見下した上から目線の言動が出やすいのです。
その自己肯定感の裏側には敗者側に自分が陥ることへの強い怖れがあります。それゆえ我が子の商品価値を高めて勝ち組にするのが親の使命だと信じなくてはならないのです。
競争社会では、集団の力学が働くため、遅れを取りたくない心理が加速度的に強まり、雪崩を打つように学業や進学に親たちの熱が入ります。
速度が出るほど視野が狭くなるのは車の運転と同じです。多くの親が影響を受け、他の価値観がみえなくなり、子どもの気持ちを柔軟に捉えづらい状態が親たちの間に拡がります。
今こそ客観的に自分を見つめ、物事を柔軟に捉える複合的な価値観での子育てが親には求められているのです。
「嫌になったら必ず親に伝える」というルール作りが必要です
高学歴のエリート層ほど、情報を集めて堅実な子育てを乳幼児期から目指します。発達に一喜一憂しながらも、より目に見える英才教育、学歴重視の教育に傾倒しがちです。
しかし、子育てほど親の思い通りに行かないものはありません。この大前提が親として最も大事な立ち位置になります。
親の養育と子どもの成長がぶつかり合ってこその子育てなのです。ここの立ち位置を見失って楽な道を選ぶとその先に見えるのは、エディケーショナル・マルトリートメントか、ネグレクトか、いずれにしても子どもが虐待される可能性が高まります。
また、親の中には、子どもの言いなりになることを極度に嫌う人もいます。殊に父親には、子どもに厳格であることが父性であると勘違いしたままの人が未だに多く、子どもの自律的な成長の足を引っ張っていることもしばしばみられます。日本の家父長制の負の遺産かもしれません。
社会的に自立していくべき子どもを一人の個人として見ていれば、問題があれば話し合って解決していく姿勢をもつことができるはずです。(武田さんは、民主的に対話を続けることが重要だと言っています。)
たとえ子ども時代に失敗をしても、親に支えられてやり直すことは将来社会で人を信頼し話し合いながら生きていける力を養います。自分が納得して自分の人生を自己決定することは、価値観の変化の大きいこれからの社会を生き抜くためには欠かせません。
そのためには「嫌になったら必ず親に伝える」というルールを最初に子どもと作っておくのがいいと思います。
子どもの思わぬ成長に感動できる親になる・子育ては意外性が醍醐味
20年ほど前に、不登校になった中学3年生の女の子が話してくれたことがあります。
彼女は小学校からずっと塾通いや習い事をして、成績はトップクラスで生徒会長も務めていました。母親が優秀な娘の突然の不登校に大慌てで5月頃に相談に繋がったケースです。母親だけが先に相談し、女の子は自分一人の面接なら来談すると約束をして来てくれました。
「ずっと母が私を導いてくれて、これまで母の言うとおりに全部きちんとやってきました。でも去年くらいから何かスッキリしなくなってきていて、それをもうやめることにしたんです。母に話してもわからないと思うので。」
「お母さんに、あなたの気持ちをお母さんに伝えてもいいですか。それともあなたから伝えますか?」
「まあ、話しといてもらえますか」感情のない平板な声でした。
後日、母親面接でそのことを伝えると母親は茫然としていました。
私はしばらく子どもに何も言わず見守るように勧めました。その後、母親は気を取り直したかのように子どもを観察し、面接で細かく報告をしてくれました。
女の子は、学校には行かず、毎日外出先を告げずに出かけるようになります。今まで溜めたお小遣いで化粧品や洋服を買って帰り、当時流行っていたゴシック(黒系)のゴスロリファッションを身にまとうようになります。マニキュアは黒です。
話し方もすっかり変わって母親と対等になり、別人のように感じた母親がやっとの思いで外出先を訊くと、街角で毎日絵を描いているおじさんと話しているのだということでした。とても不思議なエピソードでした。
これもまた突然、子どもは夏休み明けから再登校しフツーに登校を続けます。ただ進路は、親が勧める高校は拒否、美術系のコースのある高校を選び進学させてくれと言ってきたそうです。
最後の面接で母親はこう語りました。
「あの子は、私が考えていた子ではありませんでした。私が間違っていました。あの子は私が思っていたところなんて超えていました。私なんかよりずっと凄い子だったんです。それがわかって良かったです。」
見えない何かから解放されたような満面の笑みでした。
親の知らぬ間に、子どもはサナギが蝶になるように成長していたのです。