リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

私立校の不登校~支援級スタートから県立高校トップ校に合格したNくんの紆余曲折

私学教育の「建学の精神」は何処に行ったのか?人間教育の理念は忘れられたのか?

Nくんとの出会い(実際のケースとは内容を変えています)

 ある日、適応指導教室の入り口に立って活動の様子を見ていると、すっと横から私が首から下げたネームホルダーを勝手に手に取って眺めている中学生の男の子がいました。

 「カウンセラー」と、読む声がしてびっくり、顔を見て「よろしくね」と私が言うと、目が一瞬合ってから、ちょっと頷いたようにしてネームホルダーを手から離し、黙ってそのまま部屋に入っていきました。Nくんとの出会いはこれだけですが、私には意外に鮮烈な記憶になっています。

 私のその時のNくんの印象は、見た目中学生の小3少年でした。その後、母親が相談に繋がり、不登校の生活から高校進学まで1年半ほどNくんの様子を見ていくことになります。

経過

 Nくんは乳児検診で早期に指摘を受けて療育に通い、ASD自閉症スペクトラム症)の診断を受けて、地元の公立小の支援級に通いました。大勢の集団での生活や対人関係に苦手な所が多くあって、少人数での学びの方が落ち着くため、母親は支援級を選びました。

 Nくんは徐々に学校適応も良くなり、進級するしたがって交流級(一般級)で授業に参加する機会も増えていきました。療育のドクターもNくんの成長を認め、母親や本人とも話し合って小学校6年生は1年間一般級で生活することになりました。思っていたよりも適応も良好で学校で一緒に過ごせる友達もできました。

 それでも、母親はこのまま公立中学に進学して、Nくんが多感でやんちゃな中学生の中でやっていけるのか不安でたまらなかったそうです。そこでNくんの学力が高いこともあり、中高一貫の私立中学を受験させたのです。

 Nくんは、刺激が多い所で過ごすととても疲れやすく、通常でも一日10時間の睡眠が必要なロングスリーパーです。イレギュラーなことがあると、どんなに楽しい家族旅行などでもエネルギーを多く消費し、二日間寝込むこともありました。母親は、Nくんには少しでも落ちついた学校環境が必要と考えたのです。無理のない程度に受験勉強をして受験は合格でした。

冷たかった私立中学の不登校対応

 私立中学は、通学もNくんは電車に乗るのが好きなのであまり負担になる様子もなく、スタートは順調にみえました。

 しかし、5月GW頃から徐々にNくんは朝なかなか起きられない日が増え、遅刻や欠席が多くなっていきました。母親はNくんの生活時間帯の組み直しをして睡眠時間の確保に努めましたが、効果が上がりません。頭痛や腹痛を訴え始めたのでドクターにも相談して本人と話し合いをもったところ、Nくんの口から、クラスメイトから嫌がらせを受けていると初めて話してくれたそうです。母親は学校に相談に出向いて、クラスの指導をお願いし、体調が回復するまでNくんを夏休みまで休ませることにしました。

 夏休みも体調はなかなか回復せず、宿題も終わらなかったためNくんは夏休み明けの登校を渋りました。母親は再び学校に相談しましたが、学校は驚くべき対応を行いました。

 これからNくんの学校生活に向けて相談しようとする母親に、担任は「このまま学校に来られないと勉強についていけず、進級や内部進学は見込めないでしょう。」と切り出したのです。義務教育のため「退学」とういう言葉はあえて使いませんが、暗に自主退学を勧めたのです。この学校の建学の精神、四書五経の「詩経」とは裏腹に、機械的で冷たい対応でした。

不登校児童生徒を締め出す私立校・忘れられた建学の精神

 私立中学でも不登校になる子どもが大勢います。学校としては義務教育のため簡単に退学にはできませんが、不登校生徒に対して手を差し伸べるどころか、自主退学を促す事例は以前から後を絶ちません。

 未だに私立では中高の募集説明会でも、不登校生徒が門前払いの扱いを受けることは多くあります。

 ある高校では、この高校の受験のために、別室登校や部分登校を頑張っていた不登校の生徒が説明会に参加して個別相談したときに、担当者から「あんたみたいなのが来るところじゃない」と言われたそうです。その子はショックでしばらく家を出られなくなってしまいました。その学校の創始者は、震災や空襲で校舎を失っても「人はゼロからやり直せる」と言って再建を果たしたとHPに書かれています。

 ある大学の附属校でも同じように中学生の不登校生徒を自主退学させたケースがあり、その学校を調べたところ、大学には臨床心理士(現在は公認心理師)養成コースをもっていて、教授が「不登校支援」の講演をするポスターが私たちの相談機関にも送られてきていました。建学の精神は「人づくり」です。

 

 笑い話にもならないお粗末な実態です。私学教育とは、ただの金目の経営なのでしょうか?建学の精神に謳われている人間教育は何処へ行ったのでしょう。これが一部の私立校のやり方だとしても、ずっと公立校の方がマシな気がします。

 公立校では不登校への根本的な対策もまだまだですが、私立校はその実態すら掴めません。公立校から見ると、私立校で不登校になって退学した子どもたちが次々に転入してくるだけで、私立校からの子どもの情報共有すら殆どないのが現実です。

 そんな私学の教育理念は、「経済効率」「有名大学進学」「自己責任」の三本柱がよく似合いそうです。それでは「教育」とは言えませんが。

 

 不登校の子どもに手をかける私立学校はとても少なく、その代わり不登校に特化したオンラインや少人数でのサポート校などの教育ビジネスが急激に発展して受け皿になってきています。これもひとつの社会の分断の形なのだと思います。

地元公立中学に転入したNくん

 地元の公立中学に転入したNくんは、2年生の終わりまで一日も登校しませんでした。Nくんは自分の存在すら知られたくないと言ったのです。一般級に在籍はしていても名簿には名前を載せないように学校にはお願いしました。

 

 中1~2年生のNくんは、徐々に体調も良くなり適応指導教室に通いながら通塾もし、週末は独りで電車に乗って祖母の家の畑を手伝う日常を送ります。スケジュール管理はすべて母親が完璧に行いました。ロングスリープで疲れやすいのは相変わらずでしたが、コツコツと一人で勉強だけは続けていました。

 子どものルーティンの守り神である母親の悩みが一つありました。Nくんが帰宅して、ほぼ寝るまでずっと母親にいろいろな話をし続けるということでした。母親は自分が休めるようにNくんのスケジュール管理を見直しましたが限界はあるものです。Nくんは外では饒舌ではありません。表情も言葉の表出も少なくいつも緊張していたのだと思います。母親はそのこともよくわかっていて耐えていました。

 中学3年生に進級を迎える直前の3月に、Nくんの成長を感じさせる出来事がありました。来月には、二歳年下の妹さんが、同じ公立中学に入学する予定になっていました。家庭では、妹というより姉と言った方が良いほど、少し幼いところがあるお兄さんを見守るしっかりとした妹さんです。

 突然、Nくんは母親に、「中学校の別室登校を始めたい、クラス名簿にも自分の名前を記載してほしい」と申し出たのです。

 Nくんは入学してくる妹さんのことを思ったのです。自分が不登校であることが皆に知られたとしても、「兄は私立に行っている」と妹さんが嘘をつかなくてすむ道を選んだのです。

 1~2年生の時の担任が家庭訪問をしてNくんとの繋がりを粘り強く作り、別室登校も提案していたことが功を奏したと言えます。お母さんも先生方への信頼を口にされていました。「公立の先生たちが温かくて救われました」と。

中3の欠席数はゼロ

 Nくんは、学校の別室登校と適応を混ぜて、毎日どちらかに朝から行くようになりました。学校の別室ではまったく手がかかりません。Nくんはずっと独りでとても落ち着いて自習を続けられるのです。お弁当を持っていくほどになり、適応の日を勝手に学校に振り替えて通うようになりましたが、お母さんは少しでも人と関わる適応に多く行くことを進言していました。そこで多少の戦いはあったと聞きました。

 健康にも恵まれ、受験期になってもNくんは学校か適応のどちらかには必ず出席しました。先生方も無理に教室に誘うこともなかったので、生活のペースは見事に安定しました。名目上の欠席はゼロになったのです。進路は通信制のサポート校を選び早々に内諾を得ていました。

 でも秋の終わり頃、塾から、こんな高い学力があるなら受けるだけ受けてみたらどうかと、新設間もない県立のトップの理系に特化した高校を勧められました。

お試し受験

 高校見学をし、学習内容も気に入り、理系なら似たような生徒もいて友達もできるかもしれないという漠然とした動機で、Nくんは受検してみるとお母さんに言いました。  お母さんは迷いましたが、現在のNくんの健康度の高さや成長を考えてNくんの挑戦を受け入れました。それからもNくんは自分のペースを崩さず、のんびりとマイペースで勉強していました。

 お母さんはNくんのあまり切迫感のない様子に少しイライラしましたが、私はお母さんに「今までのペースを崩さないようにしましょう」と言いました。結果的にこのことがNくんの健康度の高さがずっと保たれることに繋がったのではないかと思います。

合格と母親のトラウマ

 Nくんはあっさりと合格しました。「あ、受かっちゃったよ。どうしよう。」と言ったそうです。そして進学を選びました。

 お母さんは私にその話を笑顔でした後、急に号泣し始めます。

 

「私、今度も子どもに受験やってみたらって言いました。中学の時もそうやって私が言ったんです・・・。同じです。また、何かあったらどうしよう、また同じになったら、私が悪いんです。私のせいです・・・・。」号泣に次ぐ号泣でした。

 

私は「受かるってすごいですよ。良かったですね。高校は行ってみなきゃわからないけど、コツコツ毎日頑張って、大変な中学生時代を乗り越えて受かった事実は変わらないですよ。もう前のNくんじゃないかもしれません。お母さんと話し合って決めたんだから、Nくんは自分が決めたって思ってますよ。高校生活が難しくなっても、またやり直せますよ。」

 ハンカチを顔に押し当てる母親に、つい笑顔で言ってしまいました。

 ケース終結後も、私立中学校のこの母子に残した罪深さが後味の悪い記憶としてザラリと残っています。