リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

不登校を治すより、学校を直そう(その2)~親が困ったら、気軽にいつでも相談できる学校に

相談のハードルが低い「教育相談窓口」は、不登校の有効な初期対応になります。

学校の教育相談の現状

 これまでの学校は、親が気軽に子どもの相談する場所ではありませんでした。

 子どもに問題があると教員から親に連絡をして話し合ったり、スクールカウンセラー(以下SC)との相談を紹介したりすることが今までの主流です。相談の主体が学校にあり、親から急に相談を申し出られると、「クレームか」と学校は身構える傾向もまだみられます。

 今はSCの教育相談が定着し「学校だより」などでも相談日を明示するようになってきていますが、相談日は決められていて、親にとってタイムリーな相談ができにくい状況です。また、「気軽に相談する」という雰囲気はまだなく、相談のハードルが少し高く感じられると思います。

 最近は、地域の交流も少なくなり、学校外の相談機関のハードルも依然として高いので、子育てでちょっと気になっていることや、親の関わり方などについての悩みを親が独りで抱え込んでしまいがちです。

 両親で協力して子育てをしたり、子育てをする友人たちと日頃からコミュニケーションが取れていたりする人ばかりではないので、実際に孤立感をもちながら子育てをしている親も多くいます。そして、その多くが母親であるのも日本の現実です。

 例えば母子家庭の母親が子育ての不安や心配を相談したくても、仕事のシフトの空き時間に親が駆け込める「教育相談窓口」としての機能が今の学校には十分ありません。学校が、親の生活の視点に立って、親が「相談したい」という気持ちをもっと大切に扱わなくてはいけません。

 しかし多くの母親は文句も言わず、不安を抱えたまま子育てをしています。その背景には、学校のシステムの問題だけでなく、「孤立するような環境で子育てをする親が身勝手で悪い」という「自己責任論」が蔓延する社会があることも忘れてはいけません。

 不登校や問題行動、子どもの不調について悩む母親にとって、身近にある学校が一番の相談場所になったら、それだけでも気持ちがずいぶん楽になるはずです。

親から気軽に相談される学校になるために

 SC(スクールカウンセラー)との相談日は、現在、中学校で週に1日、小学校は月に1日が一般的です。相談件数に比べて業務日数が少ないために、面接がほぼ予約で埋まってしまい、タイムリーな飛び込み相談ができにくい事情もあります。

 教員は担任を中心に、子どもや親の困りごとにも日常的に対応をしていると思いますが、業務量が多すぎて相談になかなか時間が割けません。

 

 不登校に限らず、親が早くタイムリーに相談できていたら、傷口が広がる前に子どもに早期対応できていたかもしれないというケースはとても多くあります。

 何かあってから相談するのではなく、親が学校の日常的な困りごとや不安を相談したい日にタイムリーに相談できる「教育相談窓口」を機能させることは喫緊の課題です。

 常駐できるSCの配置で「子育てや子どもの相談」を、専任の相談担当で「その他の学校での手続き・質問などの相談」ができる体制で、親が気軽にいつでも相談できる「教育相談窓口」をつくり、学校の支援体制の中で機能する体制が早急に必要です。

 

 また、日頃から、保護者のための「子育て学習会」を定期的に学校で行ったり、登校渋り、不登校の保護者のための「親の会(自助グループ)」を運営したりすることも、学校の相談機能を相互的に高めていきます。

 子どもたちの課題を、学校と保護者が向き合って話し合いの中で解決をしていく「社会モデル」としても学校が重要な存在意義をもつことになります。

不登校を個人の問題に矮小化せずに、親と共に考える学校に

 現在の学校への不適応の多発は、「学校教育のあり方」が問い直されていることを意味しています。日本が近代公教育としての学校制度を定めた「学制」頒布(1872,M5年)から150年以上経過して、中身の変化はあっても、受け継がれてきた骨格がいよいよ時代に取り残されようとしています。

 

 現在の、コロナ禍を契機にした不登校の激増は、学校が社会の変化に対応できなくなった歪のひとつの現れです。

 昨年、「不登校の責任の大半は親にある」という滋賀県東近江市小倉市長発言(滋賀県首長会議)があり多くの批判を浴びましたが、いまだに訂正・謝罪もありません。

 公教育は常に正しいという恣意的なプロパガンダを、自治体行政の長が確信犯的に言い放った影響は消えていません。学校教育の問題を、個人への問題に矮小化するのは悪辣でお門違いの認識です。

 責任を親になすりつけるのは終わりにして、日本の教育が曲がるべき角を曲がらずに来てしまったことに今こそ気づく時です。子どもや親の目線で学校をリフレーミングするラストチャンスです。

親や家庭を孤立させない役割を担う義務教育

 子どもの登校渋りが始まると、毎朝の欠席連絡で親たちの苦しみが始まります。

子ども起こす。登校前の準備をしているのか。登校するのか、しないのか。欠席連絡をいつの時点で入れるのか。仕事の時間を気にして、家にいる子どもの昼食の心配をして、仕事中も定期的に電話やメールで連絡を入れる。

 これだけをとってみても、不登校はただの子どもの欠席ではなく、家族の生活を一変させていく事態であることがみてとれます。家庭の中でそれまで日常を支えていた「学校」そのものが、機能不全を起こすのです。

 その原因やきっかけも様々で、複合的な要因がそれぞれにあります。「〇〇が悪い」と単純な悪者探しをしている間は、子どもの理解も深まらず、立ち直りの端緒につくこともできません。

 

 確実に家庭の日常の変化はストレスになり、その積み重ねの時間は親子の疲弊を生んでいきます。リソースが少ないと、徐々に孤立していく家庭も多くあります。「親がダメだから」「学校批判ばかりするから」と、学校が安易に家庭との関係性を切ってしまうと、体力がない家庭は孤立の坂道を下っていきます。

 子どもの課題に改善がみられなくても、ケース会議で現状を把握し、中学校卒業後のことも見据えて支援をしていくのは、義務教育の最低限の責任です。学校にとってどんなに厄介な子どもでも、親でも、家庭でも、関係性が切れない努力をしてなくてはいけません。課題を解決することよりも、課題を前提に親子にどう向き合っていけるのかが重要です。

 今の社会では、学校だけが、親の了解があれば無条件で家庭訪問ができる機能をもっています。その意味を今こそ再認識するべきです。

 それらの労力は学校にとって並大抵なことではありませんが、この苦しい経験があることによって初めて、学校は、「教育相談」に自ら来談する親たちに対して、心からの敬意と感謝をもって接することができるのです。

 かくして、「困りごとを気軽にいつでも相談できる教育相談窓口」は、不登校や問題行動への最良の初期対応になっていくのです。



 

不登校を治すより、学校を直そう(その1)~困っていたら助けてもらう「社会モデル」の視点を学校に

学校生活の中で、「すべての子どもを手助けする仕組み」が必要です。

教育先進国のインクルーシブ教育をヒントにしました。

「個」の支援だけでなく、すべての子どもが日頃から支援される「社会モデル」への転換

 現状の小中学校から、発展的に不登校対策を考えていきます。

 もちろん現状の形で、「教員定数増で20人程度の少人数クラス」にシフトするだけでも、教員の目が行き届くようになります。これは現状を変えていくためには大切な施策ですが、さらに「個」を丁寧に見ていく学校教育にしていくことで不登校やいじめ防止の対策にもなる可能性があります。

 ここでは、授業や学習活動の視点からだけでなく、学校生活全般に発展させた支援を考えます。ノーマライゼーションに基づく「社会モデル」を例示しながら、その効果を考えていきます。

例1,「誰でもサポーター」を各クラスに常駐配置する

 「誰でもサポーター」は各クラスに配置され、すべての子どもたちが利用できる、日常的な困りごとをサポートするスタッフです。学校の日常生活で困ったときに相談して頼めば気軽にサポートしてくれます。

 授業中でも休み時間でも、サポーターからはあまり介入することなく行動観察し優しく見守って、困ったときに親身に寄り添ってくれます。管理、監視の強化にならない配慮をしながら、サポーターたちは隣のクラスや廊下の並びのクラスの様子も相互連携して観察します。

 校内のサポーターは定期的に支援会議を行って情報共有や支援課題を確認していきます。

(校内のサポートの一例です)

①風邪などで1週間欠席してしまうと、登校した日には漠然とした不安があるものですが、授業での遅れも不安を大きくします。そんな時に、授業中にちょっと横に付いて遅れてしまった所を教えてもらえたら安心できます。

②また、病み上がりでまだ本調子ではない時にも気にしてくれていて、声をかけやすいだけでも安心できます。体調がすぐれない時にも周りを気にせずに、伝えやすいと思います。

③さらに授業での教員の机間巡視の時間にも、サポーターと教室内で連携をとりながら個々の子どもたちの学習状況をさらに細かくみていくことができます。

④休み時間に教員が職員室に戻って次の授業の準備をしているときでも、サポーターが教室や廊下などにいてくれて、それとなく様子をみたり声をかけたりしてくれるので、独りで過ごしがちな子どもやちょっかいを出されがちな子どもも不安が低減します。

例2,「個人サポーター」を必要な個別の子に対して配置する

 障害や特性その他の状態から配慮が必要と判断された子どもに対して、主に授業中に教室でのサポートをします。決まった個人に付き添って活動をサポートします。サポートする授業や活動場面によってプログラムを組み、校内で数人を受け持つこともあります。

 

 現在、一般級に在籍している発達障害やグレーゾーンの子どもは多くいます。個人の特性を理解した支援員が、子どもに付き添って、授業での指示の確認、集中の喚起、取り組みの優先順位などへの声掛けがあるだけで、安心して授業に参加して理解も深まります。

 また「誰でもサポーター」との併行実施によって、クラス全体が比較的平穏で和やかな雰囲気になり、落ち着いた授業が実現可能です。このことによって、聴覚過敏や学習不安、集団への不安のある子どもの不適応感を低減します。

例3,学生ボランティア等の「遊びパートナー」を、曜日を決めて配置する

 一部地域で学生ボランティアの学校支援は始まっていますが、大学等教育機関と提携した学生ボランティアが、主に昼休みの遊びやレクレーション、学校行事等の子どもの活動に子どもたちに中に入って一緒に参加するような試みも面白いと思います。

 昼休みの遊びや子どもたちの自主活動に「遊びパートナー」が参加することで、集団もまとまりやすく、トラブル防止にも繋がります。学校で集団で過ごすことへの安心感が子どもたちにも高まります。

 「遊びパートナー」は、定期的に子どもたちと活動しながら、気がついたことを担任や支援コーディネーターらに情報交換会で報告してもらいます。子ども目線で、細かい子どもの変化に気づく機会も多くなり、心配な子どもへの早期対応につながります。子どもたちだけで解決できる場面は子どもたちに任せながら、見守りを主体に遊びを支援していきます。

 

 学生の分野を限定せずに理系から文系までこれから社会を支える若い人たちに学校や子どものことを知ってもらうことも重要です。

 「学校のことをよく知っている」と多くの大人が思い込んでいますが、自分の経験した学校生活が学校イメージの土台になってしまうものです。狭い個人の経験に基づいた学校イメージが、教育職、支援職に就くときや、自分の子育てをするときに、一定のバイアスになる傾向は否めません。

 若い時代にもう一度違った小中学校で、子どもたちの中に入って活動を共にする体験は、学生たちに学校や子どもへの視点の拡がりや新たな角度を与え、共に成長できる「循環型」の社会モデルにもなるのではないでしょうか。

 また、小学校では近隣の「学童保育」などとも連携してボランティア学生の派遣をするのも良い方法です。

 

「困ったときに助けてもらえる社会モデル」は、安心できる学校生活から子どもの自己肯定感を育み、不登校の予防的対策になります

  以上、今回は三つの予防的な「不登校対策」の例を考えてみました。

 人材の採用条件、育成、研修などについては各自治体と学校を中心に慎重に行われることになると思いますが、相互扶助や人材育成の「社会モデル」に基づく対策は今までにない試みになります。 

  教員にとっても既成概念の変更が迫られることでしょう。教員と子どもとが安心を相互に感じられる学校への方向転換は、教員にとっても低ストレスで居心地が良く、働きやすい学校になるはずです。

 

 不登校の原因は様々ですが、その子にとって学校が安心できる場所ではないことは、ほぼ共通しています。また不登校になったことで、自己肯定感を低下することもほぼ共通しています。

 この試みがすべてのケースについて救いになる訳ではありませんが、子どもたちをトータルに支援することで不登校の予防的対策になる可能性をもっています。

学校が安心できる居場所になることが、希望がある「社会モデル」になります

 このような日常生活に根付いた支援は、少人数クラスやTT(ティーティーチング)、複数担任制などの改革と併用させることで、より学校生活の安心感を高め、不登校やいじめ・暴力行為などの問題行動の予防策になります。

 またこれらを発展させることで、障害児が原則的に一般級で学ぶノーマライゼーションの考え方に基づいた「インクルーシブ教育」の先進国(イギリス、フィンランドなど)の方向に、遅ればせながら一歩踏み出せるかもしれません。

 

 日常的に困っている時に助けてもらえる体験の積み重ねは、多くの子どもたちに「自分が助けてもらうに値する人間だ」という自己肯定感を育みます。また、教員もそういう子どもの成長の姿を「希望」として体感することができます。

 学校という、それぞれの気持ちが交感する環境での育ちの中で、子どもたち自身が「他人(ひと)に手を差し伸べる」ことを、自然なこととして身につけていくのです。

強迫性障害(Obsessive-compulsive disorder)は治療できる病気です

「病気だという自覚(外在化)」が治療の第一歩です。

ただの心配性や不安症、潔癖症ではなく、生活上の機能障害を引き起こす10大疾患の一つです。(WHO)  

(ケースは実際のものとは変えています)

強迫性障害の特徴

 日頃から不安が強く、心配性で神経質な人や几帳面で潔癖症な人は多くいます。しかし、「強迫性障害」は、神経質や潔癖症の領域を徐々に超えていくために、自他ともに気づきにくく進行しやすい病気です。

 強迫性障害には、「強迫観念」と「強迫行為」の二つの症状があります。

 「強迫観念」とは、頭から離れない考えのことで、その内容が自分では「不合理」だとわかっていても、頭から追い払うことができません。

 「強迫行為」とは、強迫観念から生まれた不安にかきたてられて行う行為のことです。自分で「やりすぎ」「無意味」とわかっていてもやめられません。

 例えば、不潔が怖くなって過剰に手を洗う、侵入が怖くて戸締りを何度も確認するなどが挙げられます。

 強迫性障害は、治療によって改善する病気です。「考えずにいられない」「せずにはいられない」ことがつらくなったり、日常生活に支障や不便を感じたりする場合には、専門機関に相談する必要があります。

 強迫性障害の原因は、ストレスの大きい環境や性格・気質、ホルモンなどの生理的要因とされていますが、人によって様々な要因があると言われています。治療は時間をかけて寛解に向かうとされています。

 専門機関に相談した場合、強迫性障害の治療には、認知行動療や薬物療法抑うつ・不安を伴う場合)と共に、低ストレスの生活改善を進められるのが一般的です。

代表的な強迫観念と強迫行為

 不潔恐怖と洗浄行為
 汚れや細菌汚染への恐怖から過剰に長時間の手洗い、入浴、洗濯などを繰り返します。ドアノブや手すり、椅子やテーブルなど不潔だと感じるものを恐れて触れなくなります。

確認行為
 外出時に戸締まり、ガス栓、電気器具のスイッチを過剰に確認します。見張る、指差し確認、手でさわって確認するなどエスカレートしていきます。服の着替えや、身支度にも確認のために時間がかかります。仕事のミスが不安になって、帰宅後でも職場に頻繁に戻る人もいます。

加害恐怖と確認行為
 外で自分が誰かに危害を加えたかもしれないという不安が頭から離れず、新聞やテレビに事件・事故として出ていないか確認したり、警察や周囲の人に確認したりします。

儀式行為
 自分の決めた手順で物事を行わないと、恐ろしいことが起きるという不安から、どんな時でも同じ方法で仕事や家事をしなくてはならなくなります。

数字や物の配置、対称性などへのこだわり
 不吉な数字・幸運な数字に、縁起を担ぐというレベルを超えてこだわります。物の配置に一定のこだわりがあり、定位置やシンメトリー(対称性)に必ずなっていないと不安になります。

その他:買い物や家事などでの強迫行為

 今買わないと商品が売れてなくなってしまうのではないかと大量に買い物をしてお金を使ってしまうこともあります。家事を完璧にこなさなければならないと自分の睡眠時間が殆どなくなってしまった女性もいました。いずれも強迫観念から自分の行動の制限ができにくくなってしまうのです。

日常生活や人間関係への支障や拡大するまで、病気と思われにくい病気です

 他人の様子に敏感に気づく人でも、自分のことに気づきやすいとは限りません。人間は得てして、そんなものではないかと思います。

 強迫性障害は、誰もが生活の中で普通にすること(戸締まりの確認や手洗いなど)の延長線上にあります。少し神経質なのか、行き過ぎかの判断は難しいところですが、 日常生活への影響や本人や周囲の困り感が分岐点と考えるとわかりやすいかもしれません。

 確認をしたり、ルーティンの決まり事を作ったりすること自体は悪いことではありません。強迫性障害病前性格は生真面目で几帳面な人が多いために、自分ではなかなか病気に気づけず、そのため知らない間に病気が進んでしまうことが多いのです。

 手洗いや戸締まりの確認に時間をとられたり、火の元を確認しに何度も家に戻ったりする結果、外出に手間取り時間に遅れてしまうといった問題が生じてきます。

 外出時の確認が長くなると、仕事や学校に行くこと自体が徐々に難しくなってきます。日々の強い不安や強迫行為にかけるエネルギーのために心身が疲労して健康度の高い日常生活も送りにくくなります。

 

 また、火や戸締まりの確認を家族にも繰り返し促したり、アルコール消毒を強要したりして、周囲の人を巻き込むこともあります。

 手洗いや入浴時間が長くなることで家族の生活にも影響が出てきたり、水道代やガス代が高額になったりすることも珍しくありません。その結果、家族関係や人間関係がうまくいかなくことにも繋がっていきます。

修学旅行に行きたかったOさん(中学3年生)の場合

 Oさんが養護教諭に伴われて、学校でSC(スクールカウンセラー)の相談に来たのは中3の4月でした。

 養護教諭の話では、昨年からOさんから「手洗い」の時間が長くなってきたことを相談されており、このままでは修学旅行に行けなくなるのではないかと不安が高まっているとのことでした。

「修学旅行には友達と一緒にどうしても行きたいんです。」とOさんは涙ぐみました。

SCが聴き取った結果、「手洗い」は半年前の中2の秋頃から長くなり、その時点で帰宅後に30分、学校では5分程度でしたが、既に入浴時間は2時間、学校の登校や外出の準備には1~2時間を要していました。母親からの病院への受診の勧めは拒否していました。

修学旅行にどうしたら行けるか一緒に考えていくことを約束して、次回のSCとの面接に繋がりました。

Oさんは、今度は相談室に独りでやってきました。

SC「修学旅行に行きたい気持ちはこないだ訊いたけど変わらないね?」Oさん頷く。

「手洗い」の状態を訊き取るが状態の変化はありません。Oさんがそのことを前回よりもしんどそうに語るようになっていることにSCは気づきました。

 

ふと思いついてSCは相談室にあったクマの縫いぐるみをOさんの対面するソファに座らせて、

「この子の名前は「手洗いクン」です。この子に何か言いたいことがあれば言っても良いよ。」と言いました。

Oさんは、とても状況の飲み込みが早い子どもで、少し表情が変わりました。

じっと「手洗いクン」を見つめてから、

クマの縫いぐるみに向かって、大きな声で怒りを込めて、

「てめぇ~ふざけんなよ。いい加減にしろよ。」と叫んだのでした。

SC「そうなんだ。手洗いクンは君の中にはいない。外からやってきたんだね。」

Oさんは黙って頷きました。

SC「手洗いクンは外から来た病気なんだから、病院に行った方が良いかもね。」

Oさんは黙っていました。

 

その後、Oさんは、養護教諭の勧める病院を母親と受診しました。

 

5月末の修学旅行直前に、保健室で養護教諭と話しているOさんを見つけてSCが声をかけると、「病院、行ってますよ。手は洗うけど、石鹸を使わなくて済むようになったんです。」とちょっと嬉しそうにOさんは言いました。「修学旅行は行きます。担任の先生にもわかってもらえたし。困ったら先生の所に行くことになっています。」

 Oさんは修学旅行に無事に参加しました。Oさんは、旅行中は自分をコントロールして友人たちと殆ど同じ行動をしていたと、養護教諭からSCには報告がありました。

 そのことがきっかけになり、手洗い行動は徐々に改善に向かっていきました。

 

 Oさんの場合は、手洗いだけでなく、中2頃から学習成績が思うように上がらないことにも悩んでいて、そのことでの母親との関係が悪化していることなども面接で話題になっていました。そのことが「手洗い」の原因なのかどうか特定はできませんが、心身ともに緊張とストレスが高まる状況を、日常生活から減らしていくことがOさんには必要だったのです。

病気であるという認識=「外在化」が自分を救っていく

 Oさんだけではなく、強迫性障害の診断を受けた子どもたちにたくさん出会いましたが、症状も様々で、生活自体に支障が出ているケースが多く、不登校になっている子どもも多くいました。爪噛みや抜毛、チックなどを伴っていた子どももいました。

 それでも子どもたちは、診断を受けたことを契機に、外からやってくる強迫観念と強迫行動に抗いながら、自分が本当にやりたいことを見つけて葛藤していたように思います。

 家族の生活を阻害しないために夜中に長時間入浴しながら、会えない家族へ交換ノートを書いていた中学生。

 真夏でも長袖や手袋、マスクで防御しながら友達に会うためにフリースクールに通っていた小学生。皆それぞれが病気に立ち向かっていました。

 たとえ外出が難しく医療的な治療を受けなくても、自分が強迫性障害という病気であるという自覚がきっかけで、家族の協力を得て低ストレスの生活改善を続け、サポート校の高校進学につなげた中学生もいました。

 強迫性障害の改善・寛解のためには、時間がかかります。

 そのために、自分の変調として気づきにくい強迫観念と強迫行動の原因が自分の中にあるのではなく、外からやってきたものとして「外在化」することが、長く病気と向き合うための大切な第一歩になるのです。

 どんな状況にあっても、絶望してはいけないと子どもたちは教えてくれています。

 








 



 





不登校対策で、流行り出した校内フリースクール(別室登校)を点検する

自治体一斉の取り組みは、教員の意識の差を埋められるのか。

校内フリースクールで再び「不登校」にならないためのチェックポイント。

不登校対策で急激に流行り出した校内フリースクール(別室登校)とその歴史

 不登校の児童生徒のための「別室登校」は今までの数十年、工夫してやってきた学校と、まったくやらない学校に分かれていました

 前者では、教室に入れない子どもに対して、今までも相談室登校、保健室登校などが学校裁量で行われてきています。担任や養護教諭、管理職などが交替で様子を見ていたり、中学では空き時間の教員が時間を決めて交替で学習支援をしたり、工夫をしてきた学校もあります。自治体によっては予算を付けて支援員や介助員を雇用して教員の負担を減らし、別室に大人が常駐してみてきているところもあります。

 歴史的に見れば、不登校が増え始めた1980年代頃から別室登校はありました。それ以前の学校では、職員室で子どもをみていたことも聞いたことがあります。

 

 しかしその半面、後者のような学校も多くあります。大規模校や児童生徒指導困難校を中心に、別室登校を一切認めない学校があります。不登校の子どもは学校での存在感がないために教員もあまり手をかけることなく、関心を払わずに半ば放置されてきたのです。

 別室登校を認めてきた学校でも、不登校の子どもはおとなしいタイプというイメージから、別室登校で元気になるとほぼ教室に入るように背中を押されたものでした。別室でちょっとふざけて騒いでいた子どもが担任から、「そんな不真面目ならもう学校に来るな」と言われたこともありました。その子どもに嫌がらせをする不真面目な子どもが教室にたくさんいるのですが。

 このような学校の状況は今日もあまり変わりません。

今でも学校差が大きい不登校への対応や教員の意識

 実際に、現在では別室登校だけではなく、部活のみの部分登校や、授業を選ぶピンポイント登校など様々な登校パターンを受け入れて、家にひきこもるよりずっと良いとか、学校に来られるのはとてもよく頑張っているなど、子どもの目線や気持ちを想像して支えてくれている学校もあります。そういう学校は別室登校の利用法も子どもに合わせて柔軟です。

 一方で、別室登校や部分登校を認めず、ひとり許すと、皆やりたがる、際限がなくなる、学校の秩序が崩壊する如く、あくまでも教室で一日過ごすことだけを伝家の宝刀の出席カウントにして振り回している学校も存在します。

 同じ公立学校で、こんなに違っていいのだろうかと思うのが現実です。

 教員の意識を比べても随分違っています。例えば、ある学校では、週に一度放課後に登校すると担任が勉強をみてくれたり、遊んだりしてくれて家庭まで一緒に歩いて連れて帰ってくれる担任もいて、親は先生には感謝してもしきれないと涙ぐむのですが、ある学校では、夏休みまで教科書を渡すことすら忘れられていたり、教室に戻る意志がなければ別室登校はさせないと言われて子どもがひきこもってしまったりして、親も深く傷つき、恨み骨髄の学校もあります。

校内フリースクール(別室登校)の取り組みへの懸念

 文科省では、教室に入れない子どもに対しては保健室などでの受け入れをかなり以前から勧めていますが、別室登校での受け入れは地域差があり、同じ地域内でも学校の規模や設備、児童生徒指導の観点から学校差が大きくあるまま2024年を迎えています。

 2022年度の不登校が29.9万人になり、その後も激増していることを受けて、文科省も校内支援にあらためて力を入れる方針を出したことで、多くの自治体では自治体を挙げて「校内フリースクール」という「別室登校」に取り組み始めています。

 やっていること自体は新しくもなんともないのですが、当該自治体の全校が別室登校に取り組むという踏み込みは、不登校の支援にとっては一歩ではあると思います。しかし、これまでの学校差、地域差を考えると教員の中に根付いてきた意識の差は大きな懸念として拭えません。

 やっている感だけでも困りものですが、中途半端な取り組みになることが最も子どもの傷口をかえって拡げる結果をもたらします。制度の実施が学校現場の意識改革を伴ったものになることが必須です。

 不登校からの回復の場所になるはずが、常駐している支援員(介助員)の質や学校全体の不登校理解の水準によっては、「校内フリースクール不登校」という重大な二次障害になりかねないからです。

別室登校の意味は、子ども本人が決めることが大切です

 別室登校では、登校するのは子どもの自由意志です。

 内容も、学校が決めた通りの利用の仕方を押しつけるのでは、学校と同じになってしまいます。子ども自身が考えなくては、子どもの自己理解が進まず、その上で自己決定していく成長が図れません。

 子ども自身が自分に合ったペースを身につけて、心身の健康度を回復させていくことが大切で、遅れている学習をさせることをメインに据えるべきではありません。学校に登校して過ごす時間を少しでも持てることが本人の自信に繋がるように支える事に意味があります。

 また、登校ペースを上げることを目標とせず、不調の時には無理せずにしっかりと休めるようになることが重要です。ですから週1日、1時間滞在から始めることはとても自然なことです。生真面目な子どもほど過剰適応するので要注意です。けして最初から頑張らないことです。徐々に慣れてグズグズとしながら、ペースを上げない方が長続きするものです。

 このような不登校の子どもの立ち直りのための別室登校の意味を教員側がどこまで共通理解できるのかが、「校内フリースクール」構想の分かれ目になるでしょう。まず子どもを主体に置いた角度から、教員自身が思考してみることです。

 別室登校の目的は不登校全体の数を減らすことではなく、学校がそれぞれの子どもにとって安心できる居場所になることです。はたして、笑顔で「よく来たね」と迎え、「またね。気をつけて。」と送り出してくれるでしょうか。怖い顔で「大きな声で挨拶をしなさい」と相変わらずご指導されるのでしょうか。

「校内フリースクール不登校」にならないために、保護者が事前に子どもの状態に合った支援ができるのかを確かめましょう

そのための12のチェックポイントです。

①子ども本人が別室登校をする意志があるかどうか。

②子どもの状態が、今別室登校をする時なのかどうか。

③本人にそこの別室登校がマッチしているかどうか。

④登校日数、登下校の時間、滞在時間を子どもの希望で決められるかどうか。

⑤時間割など学習や活動の内容が細かく決められてしまっているのか。子どものペースは尊重されるのかどうか。

⑥適応が上がっても直ぐに教室にプッシュされないかどうか。

⑦どんな人が常駐して見てくれるのか。支援の専門家なのか。教員OBなのか。どんな研修を受けてきている人なのか。どんな考え方の人なのか。

⑧別室の設置環境は良いか。陽当たりはどうか。広さが確保されているか。パーソナルスペースはあるのかどうか。

⑨活動では、会話や遊びなどができ自由に寛げるのかどうか。どんな約束事があるのか。

スクールカウンセラーの勤務日にはSCが子どもの様子を観察したり、声掛けをしてくれたりするのかどうか。

⑪子どもが自分の意志で別室登校をすること自体に意味を見出してくれる学校なのかどうか。

⑫登校すれば無条件に出席扱いになるかどうか。(これはモチベーションを左右します)

 

※率直に、担任の先生やスクールカウンセラーに質問してみましょう。




 

 

 

 

「東京都スクールカウンセラー大量雇止め」にみる都政の子ども支援軽視 ~公務員の会計年度任用は冷酷な非正規雇用制度です

「派遣切り」以上の惨さ(むごさ)です。(20時間以下の雇用は雇用保険対象外)

ブラックリスト」があるという噂も聞こえてきます。

東京都で、ベテランのカウンセラーが大量雇止めになりました

 2月3日付の東京新聞「簡単に代わりが務まるの?スクールカウンセラーが次々と雇止めに・・・それは「年度末」だから」という記事が掲載されました。」

以下記事抜粋を書きます。

(2/3付、東京新聞

「東京都の非正規公務員として児童生徒や保護者からの悩みを聞いて支援してきたスクールカウンセラー(SC)から、3月末で「雇い止め」に遭うとの訴えが労働組合に相次いで寄せられている。2日までに33人の都SCが相談した。労組の担当者は「10年、20年と経験やスキルを積んで学校長の評価が高いSCが本年度で切られ、子どもや保護者への影響が大きい」と指摘する。」

「相談を受けたのは、SCや心理職らでつくる労組「東京公務公共一般労働組合心理職ユニオン支部」(豊島区)。1月29日、校長の評価が良く勤務に関し指導を受けたことがない人の不採用撤回や、採用基準の明示などを求め都教育委員会に団体交渉を申し入れた。」

「都SCは、全員が非正規の公務員。契約を1年ごとに区切る新しい人事制度が2020年度に全国の自治体に導入されたのを受け、それ以前から勤めてきた都SCは、23年度に都教委の定める契約更新の上限に達するため、24年度も働くには公募試験を受けなければならなくなった。」

「1月中旬に試験結果が出ると、「校長からの評価は良かったのに不採用だった」などの相談が都SCから労組に寄せられた。このうち都SCとして15年以上働き、今回不採用になった50代の女性は、自傷行為をする児童生徒の相談、関係性が悪い担任教員と保護者の間に入っての対応など、経験やスキルが求められる事案を担当してきた。校長に結果を伝えると「良い評価を出したのに納得できない。困る」と言われたという。女性は「更新上限がある単年度雇用では、雇用が不安定で安心して支援を続けられない」と話す。」

「労組は1月29日から、24年度の採用状況についてSCにアンケートを始めた。都内の公立学校へのはがきとインターネット上で実施し、2日時点の集計で330人が回答。雇用継続を希望した勤続年数が1年以上の人で、「不採用」または補欠に当たる「補充任用」となり、4月から正式採用されなかった人は計91人いた。自由記述では「不採用だったことよりも、自分の仕事を軽く見られていることに憤りを感じる」などの意見が寄せられた。」

以上「東京新聞」抜粋

東京都での出来事は氷山の一角です同様なことが少なからずどこでも起こっています。

 SCの校内での業務についての勤務成績は管理職が評価して提出しますが、概ね中庸から高い評価のSCが多いと言われています。しかし、現実には、その評価とは関係なく、会計年度任用の雇止めに当たる年度に、来年度以降の公募試験を受検すると、補欠もしくは不合格になることが相次いでいます。

 公募試験は書類審査と短時間の面接が主流で、そこで長年の現場経験者に大きく差がつくとは思えず、何を基準にしているのか疑問視されています。

 公募試験の合否の基準が不明確で、実際に長年その自治体での業務に貢献してきた多くのSCが雇用を一方的に切られてしまうことが増えています。多くのSCは、同年度には他の自治体の公募試験を両天秤で受けていないために、不合格や補欠になってしまうと、来年度の新たな雇用先の就職活動を1月末から慌てて開始しなくてはなりません。当然同じようなSCに仕事はこの時期からでは見つかりません。

 

 そのため、様々な憶測が飛び交います。

ベテランになって自分の仕事の意見を言うようになると嫌われるのか?

教員の支援策に対して多く提案して口うるさいと思われたのか?

新人の方が大人しく言うことを聞くから入れ替えるのか?

肌が合わなかった管理職が裏で何か言ったのかも?

ブラックリストがあるのか?

身体に障害があるからではないか?

などなど・・・留まるところはありません。生活がかかっている死活問題ですから当然そうなります。

 「自分の仕事を軽くみられていることに憤りを感じる」と言ったSCがいたそうですが、雇止めを前提とした会計年度任用しか選択の余地のない、非正規公務員雇用そのものが、職業への冒涜なのではないかと思います。

 非正規雇用6年で正規雇用にするという「働き方改革関連法」を逆手に取った、5年以内で非正規雇用を雇止めにする会計年度任用は、労働搾取の典型です。

 新聞記事では、「定期的に公募をかけて採用する理由を都教育庁職員課は「公務の職に広く市民が就けるようにする平等取り扱いの原則と、試験で選考する成績主義を踏まえるため」と説明する。」とあります。どんな顔をして言うのでしょうか。意味不明の屁理屈としか言いようがありません。

 

 実際、日本の非正規雇用の公務員は6割で、現場の専門職やサービスを担う職種も多く、その7割が女性です(パブリック・ワーキングプアの元凶です)。行政が言う公平性や平等主義、人権尊重などは、もはや空念仏にしか聞こえません。

子どもの教育や支援は軽視されています

 SCは、悩みを抱える子どもや保護者、教職員らに助言する専門職で、東京都では、1565人の都SCを配置しています。(2023年度)。1人が複数校を担当する場合でも、週2日の勤務で20時間を超えることがないために、雇用保険の加入はできません。

 来年度はどうなるかわからない、3年で雇止めになり雇用保険もないという、不安しかない雇用に、子どもや親への支援の軽視がよく現れています。

 

 不登校がコロナ禍で全国30万人と激増し、その他にも虐待、いじめ、自傷行為自死、薬物乱用、性被害・加害、暴力行為など諸課題に溢れた学校現場では、毎日長時間労働で疲弊した教員とSCが連携しながら、対応に追われているのが現実です。

 劣悪な労働環境の教員と、来年はいないかもしれない不安定雇用のSCが業務していることへの想像力を少し働かせれば、子どもや保護者にとって何が必要なのかは明らかです。

 継続的に安定して継続できる相談体制と、日頃から先生が丁寧に見てくれる教室があることが困難な学校を誰も望んではいません。これは学校教育や公的相談機関への信用にかかわる問題でもあります。

 「どうせ相談しても無駄」「何もしてくれない」「がっかりするだけ」という多くの声が、支援者側からは聴こえてきます。

まずSC自身が労働者として声を上げることが第一歩です

 どんな社会問題であっても当事者が声を上げなくては、事態は動きません。

 自分の雇用条件や内容、職務規定、休暇等の権利は勿論ですが、仕事上の差別や不都合、トラブルがあった時の対応方法、相談できる労組の窓口、非正規公務員としての要求がある場合の権利や方法など、自分への不利益について申し立てができる知識が予め必要です。

 家族の生活や仕事の継続を人質にとられて、劣悪な労働条件で労働を搾取されることは、人間社会ができてからずっと続いてきたことです。その渦中に自分が置かれた時に自分ができることを日頃から考えておくことも大切です。

 本来SCは心理職として、社会の縮図である学校社会の中で、生きづらさや傷つきを背負った子どもを支援する仕事です。SCは、社会における差別や偏見、暴力や紛争、貧困、格差などを容認している人間には向いていません。仕事上の不利益や雇用の人権無視などについても、黙して容認することは自己矛盾であり、仕事への誠実さを捨てる行為です。

 働く労働者として、雇用者側から理不尽なことが強いられた時は、しっかりと声を上げるのが民主主義の社会を守ることにつながります。それをしなければ、何も変わらないどころか事態は悪くなる一方です。

 今回の東京都のSCの苦しみの声は、声を上げたことそのものが希望への第一歩になっているのです。

 

「どうせ相談したって無駄」「言っても何も変わらない」「自分に不利益になるだけ」という声は、どこかで聞いた声に似ていないでしょうか。










 

 

 

 



 

再考・不登校29.9万人~教員やSC(スクールカウンセラー)の労働環境と雇用の実態を抜きに議論はできません

不登校・今のスタンダード」

全国の小学校各クラス1名弱、中学校各クラス2~3名が不登校

中規模小学校では全校で10人前後、中学校では全校で30人前後

 不登校や問題行動の増加、学校問題の顕在化

 不登校の激増に対して文科省は各自治体の支援体制の向上や学校内の別室登校の体制強化、スクールカウンセラーの増員、フリースクールなどの対応に言及し、先日はNHKでも「不登校30万人」の特集番組が組まれて論議され始めています。

 議論は、当然ながら学校現場や支援体制の改革について焦点化されがちですが、コロナ禍で激増した不登校を生んでいる学校現場の窮状や教員のブラックな労働環境、スクールカウンセラーの雇用問題への議論はさほど多くはありません。

 

 現状では、中規模クラスの小中学校でも、小学校10人平均、中学校30人平均と不登校の児童生徒数は多くなっています。これはあくまで平均で、当然偏りがあります。不登校50人という学校もあることでしょう。

 どうして不登校がこんなにも激増したのでしょうか。はたして小手先の対応で何かが変わるのでしょうか。フリースクールの選択肢が増えれば解決ということではありません。

 不登校の原因は一律でなくケースバイケースで、個々に合わせた細かい対応が必要です。場合によっては外部機関との連携も必要です。

 また、学校における指導や支援は、児童生徒間や対教師の人間関係トラブル、暴力行為、いじめ、虐待、ヤングケアラー、ジェンダー問題、自傷行為、薬物依存、自殺企図、性被害・加害、校外での万引き・窃盗、家庭内暴力など多岐に渡り、多くの子どもの課題が不登校と重複しています。学校が対応しなくてはならない課題を抱えた子どもの数は膨大な人数になっているのです。

 更に現在、学校という組織のあり方、教員の働き方の問題、中学校の部活動の地域移行などが大きな問題になっています。激務によって教員の休職者数も増え、教員を目指す若者も減少し、中学校の募集では定員を割り込む科目もあるそうです。

 それでも、多くの問題を抱えていてもなお、日々学校は休むことなく子どもたちと教員が顔を突き合わせて活動し、共に生活し続けています。

 今、満身創痍という表現が相応しい学校現場の現状から見える議論こそが、実効性のある対策のための第一歩となるはずです。

 学校は、今の私たちのこれからの社会のあり方を考えるための、試金石であり生きた教材でもあるのです。

 

教員の雇用の実態・慢性的な人手不足

 あまり知られていませんが、教員の非正規率は自治体によっては20%に迫っています(10%程度の自治体もあります)。

 40年程前から少子化に合わせるように、各自治体では中学での教科別の正規職雇用の効率化を進め、正規職員を減らして臨任・非常勤の雇用で穴埋めしてきました。その結果、中学校の現場では臨時任用職員でも学級担任を持ち、翌年持ち上がることなく異動することが常態化しています。その結果、教員の入れ替わりが増えて子どもへの指導の継続性が低下しました。

 現在の教員の超過勤務時間は、月平均80時間と言われていますが、子どもの指導を優先して事務仕事を後回しにすればするほど100時間の過労死ラインを超えてそれが常態化している教員もたくさんいるのも事実です。

 また、最近は部活動も職員全員顧問制の学校も当たり前になり、教員のブラックな仕事の実態が世間に知られるようになると同時に、急激な人手不足に陥っています。

 

 学校は、以前から児童生徒指導や部活動に時間がとられ、時間外勤務の長時間労働が当たり前の職場でした。その上、子ども、保護者、教員の対人関係のストレスも高いために休職者の多い職場でした。

 現在は、更に休職者の増加が著しくなり、代替の教員がすぐには見つからず業務の穴が埋められない学校も少なくありません。応急措置で学級担任を他の学級の担任が交替で持ったり、授業の空白を管理職が埋めたりしていることもあります。

 この先、教員の労働環境の改善や、不登校対策やいじめ防止などを考えて学校の改善策を考えるとどうしても教員定数増の論議は避けて通れません。

 少人数クラスの実施や複数体制での授業運営、持ち授業数の軽減、小学校での教科担任専科の導入、支援コーディネーターの授業軽減措置などを真面目に考えたら、現在の二倍以上の教員が必要になるのではないでしょうか。

 現在の教員定数にメスを入れて、少しずつひとりの教員が受け持つ子どもの数を減らしていくことが、ブラックな仕事量の削減に直結する近道なのは明らかなのですが、文科省は事務のアシスタントなどの些末な対策に終始して、本質的議論を避け続けています。

 児童生徒数が多かった時代には、もっと多くの正規職教員を採用していたはずですが、少子化にもかかわらず、それがなぜ出来ないのか理由がわかりません。現在の混迷は、少子化に向かうことを知りながら、低コストの効率主義に舵を切った見通しの甘い教育行政が招いた事態でもあるのです。

 

スクールカウンセラー(SC)の厳しい雇用実態

 今回文科省が付け焼刃的に増員すると言っているスクールカウンセラー(以下SC)は、ここ30年程で存在は認知され、中学校は全校配置になり小学校にもSCの相談日が設けられるようになりましたが、その業務実態はあまり知られておらず、実はその雇用も大変不安定です。

 SCは、中学校で月に4日~2日(計28時間~14時間)程度、小学校で月半日~1日(計4時間~7時間)程度の自治体ごとの非正規雇用=会計年度任用で、3年での雇止めが一般的です。常勤職、正規雇用の公立学校のSCは殆どありません。

 実態は週1~2日7~14時間の日給アルバイト雇用が主流で、15.5時間以上の勤勉手当の対象外でもあります。

 SCで週4~5日28~30時間以上の雇用がある自治体はごく少数で、3~5年雇止め月給制雇用では、時給制のSCに比べて時給金額は半分以下になるのが一般的です。

 

 教育分野の心理職がSCだけで生活していくためには、複数の自治体で会計年度任用のダブルワーク、トリプルワークもしくは医療・産業などの他業種のアルバイトをしなくてはなりません。当然、非正規職ですから同じ自治体のSCとして週30時間以上の雇用がないと社会保険の対象にはなりません。有給の取得も僅かです。住宅ローンも簡単には組めません。

 おまけに会計年度任用は雇止めが3~5年であっても、中身の1年毎に更新が必要で勤務評定が悪いと1年で解雇されます。先日あるSCが、自分の雇用の実態を派遣労働の友人に話したところ、「それは酷すぎる」と同情されたそうです。

 この過酷な労働条件は、2019年に施行された「働き方改革関連法」が元凶です。6年非正規雇用をしたら正規職にするという規定を逆手にとって、5年以内雇止め会計年度任用公務員を作った訳です。

 それ以前は「公務員の嘱託員」という形での雇用で1年更新は変わりませんが、決められた雇止め期間がなく、民間の契約社員に近い身分でした。それが、会計年度任用になった現在あるのは、取りあえず「今年は公務員」(但し非正規)という身分だけです。

 SCは常に、来年は職を失うかもしれないという不安と付き合いながら、子どもや親と面接をしているのです。

未だによく理解されていないSCの仕事

 現在のSCの増員は、雇用形態を変えずに同じ学校に複数のSCが重点配置される形が一般的です。タイプが違うSCが二人いた方が良いという声もありますが、SC同士は原則的に勤務曜日が重ならず、顔を合わせることが殆どないままに1年が過ぎていきます。同業者が同じ支援体制の中で同僚として業務していながら、大切な情報共有すら文書での情報交換だけにならざるを得ない実態があります。

 学校全体の支援体制の強化を考えると、同じSCが勤務日数を増やした方が、学校全体が見えやすくなります。また、増えている不登校支援の性質上からも、子どもや親の相談業務を同じSCが2~3年は継続的に見られるものにしていく必要があります。

 SCの面接は、支援対象の親や子どもの成長変化を支える意味があり、子どもの状態をみたてて学校の支援につなげることがSCの重要な専門的業務のひとつです。

 子どもや親が独りで抱えずに、誰かに相談してみようという気持ちを素直に受け取り、自分の成長のために相談を続ける対象者自身の意味を共有できるのも心理職の技能です。対象者の味方に徹する覚悟を持つのもSCには大切な仕事です。

 しかし、SCは「何もせずにただ見守るだけ」、「話を聴くだけ」というメディアの浅薄な論調や、学校現場でも「ただのガス抜き」という無理解な言葉は後を絶ちません。

 

 SCが子どもや親との関係性を構築するのには時間がかかります。しかし、すべてのケースにおいて、SC自身が来年度はこの学校にいないかもしれないという中での面接でのケースワークを行わざるを得ないのが実態です。

 繋がってもすぐに切られてしまうという制度は、公的機関の支援への信頼にも関わることでもあり、相談者のその後の相談モチベテーションを著しく低下させます。

 これは支援の対象者である子どもや親にとっても明らかなサービスの低下です。

 

 また、校内の教員もSCと十分にコミュニケーションを取りながら情報共有して子どもや親に関わりたいのは当然ですが、多忙な教員がSCの限られた勤務時間内でそれを行うことには困難がつきまといます。現場の支援担当の教員の声を訊いても「十分に話す時間が取れない」「せっかく繋がったケースなのにSCがすぐに代わってしまうのは困る」などと言われます。

 これからの安定した支援体制を考えるときに、SCは複数配置で増員するよりも、学校1名の配置で勤務日数を増やした常勤化、正規職化の道は避けて通れません。

 

 

教員やSCが子どもとしっかりと向き合える学校の環境を

 コロナ禍での不登校児童生徒の激増は、起こるべくして起こっているとも言えます。

 それまでも教員たちがギリギリの勤務を続けて子どもたちとのつながりを何とか保っていた学校に、コロナ禍という激震が走ったのです。大きく揺れた学校という器からは、様々な発達特性や家庭の事情などを背負いながらやっとの思いでこれまで通学してきた子どもたちが振り落とされています。

 

 これまでの日本の学校教育が進めてきたコスパ優先の集団教育は、コロナ禍で急激に求心力を失いました。手薄な人数での教員の負担が過重になり、子どもたちを集団で括れなくなった途端に、個々への指導の手厚さを失う脆弱性を露呈しました。そして不登校になる子どもたちが雪崩を打ったように増え続けているのです。

 学校の労働や雇用の問題と、子どもの不登校の問題は、「卵が先か鶏が先か」というほどに密接に結びついています。このことは私たち大人に、子どもたちの学校教育が日頃からどうあるべきか、私たち自身の生活が何を大切にすべきなのかを問い直しています。

 今こそ、「個を尊重する子どもの教育」と、「個が尊重される大人の社会」への大転換が求められているのではないかと思うのです。



 

子どもの睡眠時間は足りていますか~体内時計の不調から起こる、起立性調節障害は不登校の原因にもなります

世界一睡眠時間が短い日本人。小中学生の睡眠不足が問題になっています。

授業中の眠気、集中力不足、無気力、イライラ、頭痛や不眠、自律神経の失調など。

安定した睡眠リズムを司る体内時計が心身の健康を守ります。

規則正しい食事習慣と安定した睡眠がストレスから心身を守ります

厚労省「健康づくりのための睡眠ガイド(こども版2023)」では、以下の2点が提唱されています。

・小学生9~12時間、中学・高校生は8~10時間の睡眠時間を確保する。

・朝は太陽の光を浴びて、朝食をしっかり摂り、日中は運動をして、夜ふかしの習慣化を避ける。

 人それぞれ適正な睡眠時間には個人差がありますが、厚労省が示した一般的な睡眠時間の指標を頭に置いておくことは大切です。

 小学校に入学する頃から習い事や塾に通う子どもが増えて、放課後に自由に遊ぶ時間が減り、夕食の時間も遅くなりがちになります。

 首都圏では4人に1人が中学受験をするご時世ですから、高学年になるにしたがって塾通いの日数も増え、拘束時間も長くなっています。子どもたちの生活のルーティンが増えて後ろの時間にズレ込んでいくことで、就寝時間も遅くなりがちです。

 勉強が終わってすぐに機械のように寝るのではリラックスして就寝を迎えられません。子ども自身ものんびりする自由な時間を持ちたいのは当然です。

体内時計が狂っていく

 体内時計は、起床時に日光が目に入ることで、自動的に就寝時間がセットされます。

 一般的な小学生高学年で10時間の睡眠が必要だとすれば、起床が7:00とすると、就寝時間は前日の21:00(9:00)になります。

 放課後に塾や習い事に行き、夕食後に宿題を1時間やるとして、お風呂に入ったり明日の学校の支度をしたりしていると僅かな自由時間しか持てません。リラックスして明日を迎えたいと思えば、必然的に後ろに1時間程度ズレることになります。

 例えば、体内時計では起床時に夜9:00就寝がセットされていても、10:00就寝、9時間睡眠になります。このことで1時間の睡眠不足になります。

 多くの子どもには、翌日に直ちに影響が出る訳ではありませんが、子どもによっては10時間睡眠を保たないと翌日、日中眠気に襲われたり体調不良を起こしたりしてしまう子どももいるので注意が必要です。

 1時間の睡眠不足でも、毎日続けると体内時計の働きが悪くなり、交感神経と副交感神経の入れ替わりに不全が出はじめて自律神経の失調を起こすことがあります。

 就寝時間が不定になり、朝なかなか起きにくくなったら、まず睡眠不足を疑ってみることです。

追い打ちをかける、世界一短い日本の成人の睡眠時間

 経済協力開発機構OECD)が世界の33カ国を対象に行った睡眠所間の調査(2021年版)では、日本人は7時間22分。各国平均の8時間28分より1時間以上短いという結果が出ています。(南アフリカ9時間13分。アメリカ8時間51分、欧米主要国は全体平均時間に比較的近い)厚労省は文化などの差はあるが、「日本人の睡眠時間は世界各国と比較して少ない」としていて、健康維持のために成人は最低でも6時間以上の睡眠をとることを提言しています。

 世界平均8時間28分で考えると、大人の起床時間を7:00とすると、就寝は10:30くらいに就寝しなくてはいけません。しかし、日本人の成人平均では11:30就寝になります。厚労省の言う6時間以上の確保を考えると、最悪な日でも夜の12:00台には就寝することになります。どうでしょうか。日本人の感覚では10:30就寝は早いと感じている人も多いのではないでしょうか。

 

 こういう日本の親の感覚が、おそらく子どもの就寝時間が後ろにズレ込むことを容認している要因のひとつです。世界のスタンダードでは、親子で7:00起床なら、小学生は9:00就寝、大人は10:30就寝となります。

 さらに中学生になると、部活動の朝練、午後練、土日練習や試合・大会、塾、習い事などでフル回転している子どもは、起床6:00 就寝12:00 睡眠所間6時間くらいの子どもはザラにいそうです。皆がそうしているから、良いというものでもないと思います。

 心身の健康を考え、ちょっと立ち止まって、親子で睡眠時間と睡眠のリズムを見直してみるのも良いのではないでしょうか。

起立性調節障害」という睡眠リズムが不安定になる自律神経の病気に注意しましょう

 「起立性調節障害」とは思春期に多い病気で、自律神経の失調で血管がうまく収縮せず、脳への血流が低下することで様々な体調不調が起こります。

 主な症状は、朝起きられない、頭痛、腹痛、めまい、立ちくらみ、吐き気などです。朝起きられないので、遅刻が多くなったり不登校になったりすることもあります。

 文字通り“起立”した時に症状が現れやすくなります。重症化すると、歩行が困難になり生活に支障をきたすこともあります。起立直後の強い血圧低下、頻脈、失神など様々な症状を示します。

 体調不良から登校できなくなって病院に行って、「起立性調節障害」の診断を受ける子どもは増えています。

 睡眠リズムが一定せず慢性的に睡眠不足、不規則な食事時間、運動不足、思春期のホルモンバランスの乱れ、新学年や学校の人間関係の不調のストレス、勉強や部活に追われているストレス状態が続くことなどが原因になるそうです。

 

 治療や改善のポイントは服薬よりも以下の3ポイントの「生活改善」と言われています。

①運動する。 ②水分を摂る。 ③睡眠のリズムを整える。

 

 日頃からの睡眠時間を中心とした生活リズムが不安定になることは、健康面のハイリスクになっていることを親子とも知っていく必要があります。

 

Rくんは、不登校になって124時間に睡眠リズムが合わなくなりました

 中学生になって吹奏楽部に入部したRくんは、1年生の夏休み明けまで部活動、塾を両立させて、中学校生活を前向きに送っていました。吹奏楽部ではクラリネットを担当して練習を積んでいました。しかし、部活動で問題が起こりました。

 Rくんは個人の練習では気がつきにくかったのですが、3年生が夏の大会で引退して、1、2年生の全員が合奏の練習に入った頃のことでした。Rくんが他の楽器の演奏に合わせてアンサンブルを作ることがとても苦手であることが発覚したのです。R君自身は合わせているつもりでも、顧問や他の部員には外れた音に聞こえます。演奏の練習中に顧問はRくんに何度も厳しく当たり、今まで何を練習してきたのかと叱責します。

 Rくんは自分の練習が足りないと考え練習量を増やします。学校での午後練が終わり、塾に通い、帰宅後もそのことが頭から離れません。また明日も皆の足を引っ張ってしまう。いつもの就寝の時間を過ぎても深夜までRくんは指の動きの練習を続けました。

 毎日の朝練も休まずに休日の練習も欠かさず頑張りました。でも顧問からの叱責はあまり減りませんでした。周りからの冷たい視線も強くなってきました。その度にRくんは深夜の練習量を増やしていきました。10月に入ると大会のメンバーには入れない2軍のグループに分けられました。それでも音楽が好きなRくんは諦めずに練習を続けていました。

 10月末の大会前のある日、顧問から呼ばれました。「君のクラリネットで皆が迷惑している。退部してくれ。」顧問は、それだけをRくんに言いました。

 突然、生活の支えを失ったショックでRくんは翌日から朝起きられなくなりました。過労の積み重ねの疲れが出て寝込み、しばらく学校を休みました。心配した母親が学校に行って相談しましたが、顧問は頑なにRくんの退部は譲りませんでした。

 Rくんは起きられるようになっても抑うつ状態が続き、過眠と不眠を繰り返します。体内時計は1日24時間のサイクルを失い、25~26時間サイクルで不安定に回るようになり、毎日の生活時間が一定せず、後ろの時間にズレ込んでいきます。病院に通院・服薬などを続け、生活改善に努めて立ち直りをみせたのは1年後の中2の秋頃でした。

 Rくんは、朝起きることは苦手でしたが、午後からの個人塾に通えるようになり、買い物や映画などにも出かけられるようになりました。でもそのまま中学校には復帰せず、自分の生活時間に合っているという理由で定時制の高校に入学しました。

 中3の終わりごろに、今度は独りで楽しむためにやりたいと、ギターを習いに行くようになったと母親から訊きました。その時に、この子は本当に音楽が好きなんだなぁと感心しながら、ふと、あの吹奏楽部の子どもたちは、卒業後も音楽を続けていくかな、と思ったものでした。

日本人は時間を搾取されている

 「蛍雪の功」蛍の光と雪明かりで貧しくても苦労して勉強する。「寝食を削って努力する。」など、寝る間も惜しんで勉強や仕事に打ち込むことが日本では美談になる文化があります。

 「滅私奉公」、「欲しがりません、勝つまでは」、と個人を削って社会に貢献することが使命であると、すべての現代日本人が思っているとは思いませんが、少なくても勉強や仕事のために、個人のプライベートな時間や睡眠を削ることが「悪」とは考えない人の方が多いようです。

 しかし多くの人々が心身の健康度が低下した社会を生きなくてはならないとしたら、日々の生活のストレスは増すばかりです。人が集う場所では常にトラブルや不快なことが起きやすく、大量の仕事や学習のノルマが課せられ、一日の時間の隙間を埋められていくことになります。個人の自由裁量の時間が搾取されていることすら無自覚になっていくのです。

 実際に、低賃金、長時間労働、非正規雇用の増加など雇用者本位の労働条件を背景に今の日本社会が真逆な方向に進んでいるのは大きな問題です。

体内時計の大切さを見直して、お互いの健康を支えましょう

 睡眠のリズムや睡眠時間の長さは個人差があると同時に、外的要因で生活時間が押されて、就寝時間がズレたり短くなったりすることがあった時の柔軟性や、直ぐに元に戻れるレジリエンスの差も大きくあります。

 ロングスリープを確保しないといけないタイプの人は、睡眠時間が削られてしまうと翌日の活動に支障が生じやすくなります。また、比較的短い睡眠時間が合うタイプの人もいるので世界の平均値を強制できるものではありませんが、それぞれが自分に合った睡眠リズムをよく知っておくことが大切です。

 それぞれの生活リズムを尊重できることが、低ストレスの生活を保障していく社会に繋がります。