子どもの成長・発達には、子どもの側に立った養育環境や教育環境、地域や社会の環境が必要です・マズローの欲求5段階説から
「マズローの欲求5段階説」という、心理学者マズローが提唱した「自己実現理論」があります。以下に紹介した有名な「三角形」は、子どもの成長・発達を考えるときに大変理解しやすいと言われています。人間はこの三角形の底辺から頂点に向かって成長・発達していくことを表しています。土台があってこそ次の段階があるということです。
三角形の底辺の下から1段目は「生理的欲求」2段目は「安全欲求」です。生きるための心と身体の衣食住の生活環境の健康度が保障され、安眠できる環境を求める欲求を示しています。この段階で、子どもは養育者との間の「愛着(アタッチメント)」によって、人への「基本的信頼感」を育み、内面化していきます
3段目が「社会的欲求」で、家族との関わり、学校や職場など家庭外での居場所、友人や同僚、恋人との交流などへの欲求を示します。
4段目は「承認欲求」です。自分の考えを肯定し、自分に安心を感じてくれる人がいて、現実的に自分自身を受け入れる欲求を示しています。
そして、一番上の5段目にあるのが「自己実現欲求」です。自己理解を深化させ、自己の体験から学べる力を身につけ、自己主張して自分の生き方を自己決定していく欲求です。
ここからわかる最も重要なことは、1段目2段目の「生理的欲求」「安全欲求」が満たされることが人との関係性を信じる感情を育て、成長・発達のための出発点になるということです。人間の健全な成長・発達のためには、この土台に当たる欲求が脅かされてはならないのです。
しかし、現実的には厳しい状況が子どもたちを待ち受けています。
マイナスからの船出
今、世界中で多くの紛争や戦争、気候変動の影響による災害、経済格差による貧困などで多くの子どもたちが生命の危機に瀕しています。
日本では経済格差が年々拡大し、子どもの6人に1人が相対的貧困層(等価可処分所得127万円以下)に育っています。貧困ゆえに家族が病気になることがきっかけになって、抜け出すことは更に困難になることもあります。子どもたちはQOLのある生活を続けていくことはできません。毎日が「生理的欲求」「安全欲求」が満たされるような生活からはどんどん遠くなっているのです。
また、貧困だけではなく、子どもたちが育つ家庭や学校には様々な困難が増えています。家族関係の悪化、虐待、DV、いじめ、不登校など、コロナ禍の影響で増加に拍車がかかっています。
三角形の底辺を「ゼロ」とすれば、その下の「マイナス」が多くの子どもたちの「スタートライン」になっているのが現実です。
しかし今の日本では、子どもたちには「勉強して、社会性を身につけて」「頑張って、自信を持って」「自分の考えを持って、自分らしい人生を送りなさい」と5段目を目指す教育がスタンダードです。土台が揺らぐ子どもたちは、追い詰められて強い不安の中で自らの成長・発達を試行錯誤していくことになります。
悪者探しは思考を停止させる
子どもの不適応や不安定に対して、「親が悪いから」「学校の先生が悪いから」という言葉をよく耳にします。何も変える力を持たないこのような言葉が、子どもを救うことは、けしてありません。安心できる家庭環境や学校環境がない子どもにとって、周囲の思考停止は手を差し伸べられることがないことを意味します。
人への支援の基本は、「今ここにある困難な状況を受け入れること」から始まります。対象が子どもであれば、養育・教育の望ましくない環境がその子どもの生活のベースであることを前提に関わっていかなくてはなりません。「ありのままの子ども」を受け入れながら、その子どもの生活環境の中に僅かにみえる「リソース」を見つけていかなくてはならないのです。家庭や学校を責めて言い訳をしている暇はありません。
環境の調整が功を奏して状況が改善したとしても、幼い子どもほど過去の傷つきや痛みを全身に抱えています。生活の土台を再構築し、傷ついた心を癒してエネルギーを蓄えて新たに立ち上がるには、そこから長い時間を要します。
そして頂上の「自己実現」に辿り着くためには、更に多くの時間を要することになるのです。
基本的信頼感とは
家庭や学校を責め、その子どもを責める前に、なぜそうなったのかを考えなくては、その社会の人々は「苦しみの負のスパイラル」から抜け出せないでしょう。
傷つきを背負って育った人が親になって、子どもの養育が上手くいかなかったり、自身が精神疾患を持っていたりして苦しんでいるケースはとても多くあります。更に、そういう親に対して、「まともに育てられないくせに自分勝手に子どもを産んで。自己責任だ」というような「責める」言葉が平気で浴びせられる社会に私たちは生きていることを忘れてはなりません。
もとより子どもには何の責任もありませんが、親も子どもだったという「人間に対する想像力」さえあれば、もう少し温かみのある社会になっていけるのではないでしょうか。そういう意味では、私たちは底辺がひび割れた社会に生きていると言えると思います。
子どもの時代の安心した生活から紡ぎ出される人間に対する「基本的信頼感」は、人と人とを信頼関係で結び、安心して生活できる社会の土台を作ります。生活を豊かにするのは経済力だけでは不可能です。カネで測れる豊かさは、使えばなくなってしまいますが、人間への信頼感は使うほどに豊かになるものです。人間の相互理解を基盤とする「基本的人権」が尊重される、戦争のない平和な社会を作っていくために必要不可欠な要素なのです。