リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

不登校になった子どもが、学校に三下り半(みくだりはん=離縁状)を突きつけるまで~学習評価・評定を考える

Fさんは三歳で平仮名が読めて、数字を理解して簡単な足し算もできたので、お母さんは「この子は天才だ」と思ったそうです (事例は実際のものを変えています)

 皆さんは、三歳の子どもの姿がすぐにイメージできるでしょうか?

 お子さんがいる人でも、子どもが大きくなるとなかなか思い出せなくなりますし、身近に子どもを見かけることがない方にはよくわからないと思いますが、三歳は最後の乳児検診がある年齢です。チェック項目はたくさんありますが、メインテーマは「言語発達」です。

 「初語」を経て単語を発し、「二語つなぎ」、「三語つなぎ」と発達していきます。相互性も発達して会話ができるようになっていきます。それに伴う情緒の発達も顕著に現れてきます。発達はどの項目も個人差が大きいことが前提ですが、このラインまではというものがあり、到達していないと「遅れ」と判断されます。

 ですから親としては、発達課題をクリアしているかが気になりますし、クリアが早いと喜び、子どもへの期待が益々高まっていきます。

  Fさんは、問題なく乳児検診を終了し、「天才かも」そんな両親の期待を一身に受けて幸い健康にも恵まれて順調に育っていきました。

勉強と、教室がつらくなったFさん

 少人数で面倒見が良かった幼稚園から小学校への入学は順調でした。一年生の時の担任の先生も一人一人の子どもに丁寧な声掛けをしてくれる先生で、元気の中にも落ち着きのあるクラスで過ごすことができました。二年生で担任の先生は替わりましたがFさんはクラスにも馴染んで過ごしていました。

 でも冬休み明けにFさんは突然、登校を渋るようになります。きっかけは学習の躓きと教室での集団生活の苦しさでした。朝の支度が遅れるようになって、変に思ったお母さんがFさんの話を訊いてくれて、担任の先生に相談しました。学習面と集団生活について、担任の先生は出来る限りFさんに目をかけて助けてくれて何とか登校を続けることができたのです。でもFさんは学習で躓いた自分をどこか許せない気持ちがあって自信を失っていったのです。教室に一緒にいるクラスメイトが自分をどう思っているのか、今まであまり気にならなかった皆の目線や話し声が気になるようになりました。次の日のことを考えると寝つきも悪くなり、翌朝腹痛を訴えることが増え、欠席が増えていきました。

小学校3年生からの不登校適応指導教室

 短い春休みが明けて、進級した3年生の教室にFさんは入れなくなりました。

 落ち込んだFさんの姿を見てお母さんは学校と相談して、元気が回復するまでしばらく無理をさせずに休ませることにしました。でも苦労して今の仕事を得ていたお父さんはそれに納得がいかず、「学校くらい行かないでどうする。勉強が遅れて社会に出ても通用しない。レベルが低すぎる。」と怒りました。そこで悩んだお母さんは、父親への承認欲求の強いFさんの学校復帰を目指して適応指導教室に通わせて勉強もさせなくてはと考えました。

 幸いFさんは、少人数で勉強もマンツーマンに近くみてもらえる適応指導教室には馴染むことができました。優しい指導員さんとの出会いがあり、またFさんがあまり休むこともなく通室し、真面目で勉強熱心だったので指導しやすい生徒でもあったのです。

 徐々にエネルギーを取り戻したFさんは、再登校に何度かトライしますが、少人数で学ぶことが自分に合っていることを知り、ますます集団生活への抵抗が強くなったのです。その後Fさんは中学3年生までの約6年間を適応指導教室で過ごすことになるのでした。

Fさんの決意と実行

 両親の再登校への思いに答えられず、度々お父さんから罵倒されながら、不登校であることを背負い続けたFさんは、中学入学と共に一つの決意をします。適応指導教室では学校とできるだけ進度や内容が同じ学習をして、中学では全科目の定期試験をすべて三年間受験し、5教科は勿論、技能教科の課題や提出物に至るまでやれるだけ頑張って提出し、「学習成績を上げていこう」と考えたのです。勉強には躓きを感じ、得意でもないことは知っていたし、授業に出ていないハンデは覚悟していましたが、少しずつ別室登校の日も増やし、自信をつけて教室で過ごす時間も作っていこうとしたのです。定期テストで好成績を続けていけば成績に反映され、Fさんが希望していた幾つかの高校に通えるようになるのではと思ったのです。

 Fさんは適応指導教室の応援も受けながら、中学1年生から2年生とそれを実行していきました。その結果、定期試験の成績も徐々に高得点がどの科目でも取れるようになっていきました。1年生の学年末の成績は幾つかの技能教科以外は中程度からやや下くらいの成績でしたが、2年生になると定期試験の得点は軒並み高得点の部類に入るほどになったのです。自信が少しついて別室登校できる日も増えていき、教室で学活の時間を過ごすことも増え、定期試験を受けることもできるようになりました。

 そして1学期の成績を楽しみに待ちました。Fさんはその日に自分が、次の大きな決意をすることになることをまだ知りませんでした。

学校への「三下り半(離縁状)」

 1学期の成績は、上がるどころか1年生の学年末成績と殆ど変わらず、むしろ下がっていました。

 不登校になると「勉強が遅れる」と言われ、必死に学校に遅れないように勉強して、提出物も出し、定期試験でも人並以上の点数を取っても成績が上がらず、結局「授業に出ていないから成績は上がりません」と言われてしまう。Fさんは自分が不登校である惨めさを痛いほど思い知ったのです。

 Fさんは思いました。結局、不登校の生徒はどんなに学習を頑張ってとしても、実力を評価され認められるシステムが今の学校にはない。「不登校でも人並以上にやれる」と認められることは永遠にないと思ったのです。

 Fさんは、この時から別室登校をやめて、適応指導教室で毎日勉強をしていこうと決めました。対人関係を築くのが苦手なのに無理に登校して不安定になるより、その方が自分が安定して生活できると考え、学校との縁を切ったのです。高校は自分に合った通信制高校を選びました。その頃になるとあんなに怒っていたお父さんも、お母さんがFさんとお父さんの間に入り続けてくれて、諦めずにFさんの状態と自分や学校への思い、そして苦しみを伝えてくれていたことで、「この子は凄い、僕の知らない力を持っていた。」と言ってくれるようになっていました。

 Fさんは高校に進学し、その後得意だったインターネットの分野でそのデザインセンスを買われて立派に自立していると風の便りに聞きました。

学校はなぜ最初から「授業に出ないと学習は評価されず、学力に見合った成績は付きません」と言わなかったのか

 暗黙の了解で、多くの大人たちは、授業に出ていなければ評価の対象になり得ないのではないか、出席している生徒の方が評価されるのは当然だと考えるでしょう。おそらくFさんの学校は、Fさんの学習したものを出来る限り受け入れ、評価することで、努力に報いていこうとしてくれたのでしょう。そのことはFさんが自信を取り戻す大きなきっかけになったと思います。それに、今の建前上「絶対評価」では、評価しませんとは言えなかったのでしょう。しかしそこには最初から壁があったのです。

 一般的にはシステム上、不登校は評価対象外でありながら、評価点だけがつくことになっています。つまり何もしなければ最低の評価が約束されているわけです。まったく学校に来ていない不登校の生徒で、先生が会って話したこともない生徒であれば、本来は評価外になるべきでしょう。

 かつての「相対評価」の時代には、不登校生徒はいわゆる「オール1」が確定し、パーセントで割り当てられた「1」の人数に自動的に入ってしまうため、出席していても本来は「1」がつく他の生徒が「2」に格上げになるのです。高校入試の時には自動的に「1」を貰ってくれる不登校の生徒に助けられていた側面もあったと言えます。

 今の建前上「絶対評価」と言われる評価になっても、Fさんの最低評価ではなくある程度は評価されるようになったのは確かですが、以前の相対評価からの基本的な流れは変わっていないと言えるでしょう。

無理解に晒されてきた「不登校の学習評価」と今後の課題

 ある中学校での出来事ですが、不登校の生徒が周りからの支援を受けて、不登校を積極的に受け入れてくれている高校を受検することを決意しました。取り寄せたその高校の願書の中に「人物推薦書」があったので、学校に相談したところ、進路担当の先生から「欠席が多く、学校に来てもいない生徒を中学校では人物推薦などできない」と突き返されたと言います。

 「人物推薦書」がなくても問題なく合格しましたが、この生徒は試験当日(面接のみ)に強いストレスを感じながら受験したそうです。結果は「合格」でしたが、「不登校は問題行動である」という根強い偏見が現れた出来事だと思います。将来を心配するどころか、「こちら側には入れないよ」という、Fさんが感じたものと共通するメッセージを与えられたのです。

 不登校にも個人差があって、授業に出ることもある人もいるため、まったく学校に来ていない生徒から、Fさんのように授業には出られなくても学習意欲の高い別室登校の生徒もいます。(別室登校や適応指導教室通室は一般的には出席扱いのためFさんの欠席日数は僅かでした。)

 このような実情を踏まえて、今まで高校入試のために「輪切り」し「振り分ける」ために、当たり前のようにやってきた中学校での「数値化」「記号化」する学習評価の在り方を見直す時期に来ているかもしれません。

 学習状況や今後の課題は「丁寧な所見」があれば本人や家庭には伝わります。

 実際少数ですが、定期テストを廃止して「わかる授業」を進めている学校も出てきています。個々の子どもの特性に配慮してサポートスタッフを配置できれば不登校も減るかもしれません。

 また、一般学級と特別支援の在籍を明確に分けてきた日本の「分離教育」から、本当の意味での「統合教育」が実現している先進国並みの本格的な「インクルーシブ教育」の実施にも繋がることでしょう。学力評価や障害の有無だけで子どもたちに不自然な区分けを幼いころから強いる教育はまさに時代遅れなのです。

 学校に壁を感じ、苦しくなって不登校になる子どもは増え続けています。世界で今世紀に入って激増し続けている難民の姿と重なって見えるのは私だけでしょうか。