リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

子どもの支援と学校 ~学校教育はデッドエンドを迎えるのか・子どもの支援の向かう先は

子どもの支援の立場から、思いつくままに今の学校教育の課題を挙げてみました

・激増中の不登校は30万人。

・世界平均の2倍のクラス定員。相変わらずの集団教育。

・教員の過労死ラインを超える過重業務と深刻な教員不足。

・まったく進まない部活動地域移行。

・個別支援プログラムも作らず、支援スタッフもいない一般級の発達障害児への支援。

・統合的インクルーシブ教育の拒否(一般級と支援級に学籍分離)

・教育理論の背景のない教員養成。

猛暑日の増加にもエアコンの完備が進まない学習環境。(2022年、普及率は教室95.7%特別教室61.4%、体育館等11.9%)

・過疎地の学校や特別支援学校の統合による遠方通学の増加、などなど。

 

 これらの点について、解消の答えのすべてがある訳ではありませんが、問題解決のヒントがありそうなので、次に「アメリカの義務教育」の概略を書いてみました。

 

アメリカの義務教育の例をみる(キンダーガーデン・小学校・中学校・高校の13年間)

 アメリカの義務教育は「各州の裁量」で決められます。

 5・6歳の「キンダーガーデン(幼稚園)」から始まり、その後6歳から「小学校」に入学します。義務教育前には任意の「プレスクール(2歳半・3歳~5歳・保育園や幼稚園に該当)」があります。障害のある子どもについては、就学時に専門家による「個別支援プログラム」が作成され、日本でいう「一般級(普通学級)」で過ごすことを第一番目の選択肢として、その個人がどういう支援サービスが必要なのかを検討します。

 公立の小学校における「発達障害児の支援」では、クラス15人程度中、障害児が半数ほどで健常児と同じ教室で過ごします。担任1人にアシスタント2名が付いてクラスが運営されます。一人一人のニーズと支援プログラムに沿って、必要に応じて終日個別サポートスタッフ、ナース、言語療法士作業療法士理学療法士点字セラピスト、肢体不自由児サポートスタッフなどが派遣されます。送迎は、健常児は保護者が行い、障害児は4人乗りワゴンのスクールバスで送迎されます。カウンセラーが常駐し親子のペアトレーニングなども行われています。

 年間費用は障害児一人に40万円~130万円程度を学校が負担します。何らかの理由で公立校から私立校への転校の同意が出た場合は、公立学校が学費を負担します。不適応・病気などで、認められれば「ホームスクーリング(保護者・家庭教師など)」も合法です。

 義務教育は13年で、幼稚園年長、グレード1~5が小学校・グレード6~8が中学校・グレード9~12が高校になり、費用は原則すべて無料です。

 子どもの自主性を尊重する「モンテッソーリ教育」や一人一人の個性を尊重し能力を最大限に引き出す「シュタイナー教育」の私立学校も多くあります。

 

 アメリカの教育は、障害児を「個人支援プログラム」によって「個」として尊重し、教育理念を共有した多くの学校スタッフを入れて、子どもたち一人一人との信頼関係によって手厚い支援を行う教育環境を目指していることがわかります。

 また、ヨーロッパをはじめとする諸外国でも、「少人数クラス」や「障害児の個別支援プログラム」はスタンダードです。

本の学校教育の特徴

 アメリカの一例を挙げましたが、OECD経済協力開発機構)加盟国の教育に関する統計を調べてみても、日本の学校教育は世界のスタンダードとは大きく異なる特殊な環境であることがわかります。

 中でも特徴的なことは、「集団教育」、「教員の過重労働」、「障害児の分離教育」、「支援スタッフの少なさ」、「教育内容の国家管理」でしょう。

日本の障害児の支援

 ご存じのとおり、現在学校は40~35人定員クラスで、平均が30人前後の「集団教育」がほぼ一人の教員で運営されており、「一般級」の障害児には個別に支援のサービスが原則ありません。専門的な支援スタッフの派遣も原則ありません。また、特別支援学校や支援級の子どもには「個別支援プログラム」は作成されますが、同じ学校内でも一般級と支援級とで学籍を分けて「統合教育」に背を向けています。(1979年養護学校義務化によって、すべての障害児に教育が保障されたが、一般級と学籍を分離した。)

 また、子どもの状態を専門的にみたてる「スクールカウンセラー(SC)」は全校配置と言いますが常勤職は公立では皆無です。中学校の相談日が週1~2日ほどで、SCが中学校区の巡回で小学校に来校するのは月に1~2日くらいが一般的です。スクールソーシャルワーカー(SSW)も地域ごとに配置され学校への巡回訪問が主流です。

 雇用面ではSCもSSW共に殆どの任用が「会計年度任用職員(非正規公務員)」で1年ごとに契約が更新され、3年~5年で雇止めになります。子どもや保護者との信頼関係を地道に築きながら支援を継続しているケースが年度毎に打ち切りになることも多くみられます。

 

日本の教員の労働

 次に、最近すっかり「ブラック」で有名になった教員の労働についてみてみましょう。

 一人の担任が30~40人の大きな集団を指導しているのがスタンダードです。統計的に見て、学級には平均的に2~3人、多い場合は5~6人ほどの発達課題がある子どもがいます。またそれ以外にも家庭の問題や友人関係などで悩んでいる子どもも多くいるはずです。

 教員が個々の子どもへの配慮を念頭に置いて行動観察を欠かさず、子どもの要求や状況に即応し続けるためには、相当の現場スキルと日頃からの子どもたちとの信頼関係が必要です。また、放課後や休み時間にも対応しなくてはならない子どもも出てきます。

 これだけ考えても教員一人の力量やセンスに指導方法や支援の内容が殆ど委ねられているのがわかると思います。

 中学校のような「教科担任制」では、担当生徒数が多くなればそれだけ業務量は増え、校務分掌上の業務、授業や学級運営の準備等のルーティンで教員の勤務時間は埋まってしまいます。その上、ほぼボランティア同様の部活動の指導(朝練、午後練、休日練、試合や大会など)があります。傍から見ると、最早人生そのものが学校で、家庭生活がないのではと思う人もいるほどです。月80時間程度の「過労死ライン」は仕事の手際が良い人でもフツーに超えています。ほぼルーティンだけでもうつ病になったり、若くして過労死されたりすることは稀ではありません。

 給与面でも悪法と言われる「給特法」の4%規定で残業手当がなく、部活動や生徒指導での時間外の勤務、修学旅行などの宿泊行事の夜間の勤務時間外業務の手当はありません。これが教員の労働が「定額働かせ放題」と言われる所以です。

コストパフォーマンス追求型の日本の学校教育

 本の学校教育は、無償化の建前を保つために、低額なコストで教育水準を下げずに公教育を続ける道を選択しました。その結果、以下の方法がとられたのです。

・限られた学校施設で、できるだけ大きい集団を、できるだけ少ない教員で担当し横並びで指導する。

・障害児は分離して集団指導する。個別指導や支援のためのスタッフをできるだけ増やさない。

・常勤の教員の給料額を抑制し、非常勤を穴埋めに使う。支援スタッフを非正規雇用し給与額を抑制する。部活動は教員(地域)のボランティア精神に委ねる。

 

子ども一人一人にできるだけカネをかけない公教育を維持するもう一つの理由

 「行政の意向に沿った教育」が統一的に行われるためには国が決めた「教育課程」に従った教育を徹底する必要があります。アメリカのように州の裁量に委ねることなく、あくまでも国主導で進める必要があったのです。

 そして、日本の教育行政の根幹には、「個」の尊重は個の「自由選択」の尊重に繋がり、国が意図して推進する「教育課程」を崩すという考え方が強くあります。本来最も必要とされている個別の支援への移行を進めず、あくまでも集団指導に拘る理由はここにあります。

 

 本の学校教育の方向が決定的になったのは、2006年(H18)の安倍内閣による「教育基本法の改正」でした。細かい条文の改正は省きますが、「前文」の冒頭の下線部分を比べてみてください。

(改正前)「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。
ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」(1947)

 

(改正後)「我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。」(2006)

 

 改正前にあった「・・・教育の力にまつべきものである。」という「教育の独立性」の重要性を謳った部分と、「普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育」と「個」を尊重した未来志向の教育、を求める部分が改正後に意図的に削除されました。

 それは、個人の「自由」を未来に繋げ、政治から「独立」した教育こそが憲法の目指す社会を実現していくという根本理念が、この国から消滅したことを示しています。

 教育は国の意図を反映したもの、すなわち下位に置かれ、教育が国策の下部(しもべ)になったのです。更に、教育基本法安倍内閣の「古い国家主義への回帰」の思想が色濃く反映されたものになったことで、日本の学校教育は、益々世界のスタンダードから遅れていったのです。

 

「個」を尊重しない教育制度下では、「不登校」の爆発的増加は当然の帰結

 既に大きくひび割れた器から際限なく水が滴り落ちるように、個別の支援体制そのものの乏しさ貧しさが、コロナ禍がトリガーになって露呈し、「不登校」は今も爆発的な増加を続けています。国が教育の根本理念を見直すことをせずに、不登校対策としてセーフティーネット(SC)の場当たり的増員や教員待遇の表面的改善などの「一時しのぎのパフォーマンス」をすればするだけ状況は悪化の一途を辿ることでしょう。

 アメリカの核戦略や軍事行動に盲目的に追随する前に、今こそアメリカをはじめとする諸外国の「個」を尊重した教育制度から学ぶ姿勢をもたなくては、日本の子どもの支援は、学校教育と共に確実にデッドエンドを迎えることになるのです。