リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

不登校・過去最高の34万6482人 (前年から一気に 4万7434人増) ~天井知らずの激増つづく

2023年度の公立小中学校の不登校児童生徒数が発表されました(年間30日以上欠席)

全国の合計は、34万6482人(前年度より 4万7434人増:文科省

 

小学生13万370人(2万5258人増)、中学生21万6112人(2万2176人増)

在籍者数の不登校の割合 :小学校 2.14% 中学校 6.71% 合計3.72%

10年前(2013年度)の不登校者数の、小学生は5.4倍、中学生は2.26倍に

 小学生は100人中、1→3人、中学生は3人→7人の割合で激増しています。

 コロナ禍後の急増が目立ちますが、それにしても、学校という入れ物の底が抜けたかのような勢いで増加しています。

 また「34万人」という数字の大きさにも驚かされます。例えてみると、34万6482人は、沖縄の那覇市や、北海道の旭川市などの人口を大きく上回っています。

 

※参考:10年前・2013年(H25)

 小学生 2万4175人(0.36%) 中学生9万5442人(2.69%) 計 11万9617人(1.17%)

子どもの不登校は、保護者の生活への影響大

 学校を休んでいる子どもを家にひとりでおいておけない、付き添い登下校をするなどの理由で仕事を休むことが増えたり、休業退職せざるを得なかったりしている親の苦労はこれまで話題にもされませんでした。通えるフリースクールが遠方のため転居や別居するケースもあります。

 親の収入が減って、フリースクールへの通学のための学費や交通費もバカにならず、通学の日数を少なくしたり交通費を節約するために徒歩で長距離を通ったりしているケースもあります。

 それでも、学校や世間に根強くある不登校に対する無理解や偏見のために、親自身が迷惑をかけているという引け目を感じて、「家庭」への支援が必要であるという声を出しづらい現状があります。家庭への支援を受けないまま、不登校の親たちの多くは、毎日子どもの状態に気を配りながら黙々とサポートを続けているのです。

 保護者が気軽に相談できる学校の支援体制だけではなく、家庭への経済的支援や支援員の派遣、子どもの見守り、送迎などの支援、家庭での学習支援、フリースクールを含む地域の居場所づくりなどの整備が必要です。無暗に学校への再登校を促して焦るより、子どもや保護者が学校ストレスから解放されて健康度を取り戻せる時間が保障されることがとても大切なのです。

 今回、新聞記事で親たちの苦しい状況が報道されたことは遅くもありますが、小さい一歩でもあります。

ため息しか出ない学校の支援の実態

 現在、公立小中学校の多くのスクールカウンセラー(SC)の、その学校での週1回の勤務日(一般的な日数です)は、相談の面接予定で埋まっています。ニーズがあることはその学校の支援体制が機能していることを示していますが、1日7~8時間の勤務に、7~8件の面接が入っているのは今や珍しいことではありません。

 

 主訴は「不登校」が最も多く、その他に発達特性の相談、いじめ、自傷行為、学習の遅れ、親子問題の相談、虐待、性被害など様々なケースも重複して相談業務全体が膨らんできています。

 SCの業務は面接だけでなく、授業中の子どもの行動観察、家庭訪問、教員からの聞き取りやフィードバック、支援会議やケース会議、その日の業務・面接の記録などがあり、勤務時間内にすべてが収まりきらないのが実情です。

 特にSCが中学校中心に配置されていると小学校では、月に1~2日しかSCの勤務日がない自治体も多くあります。(逆に小学校に力を入れて、配置が多い自治体もあります)

 1校当たりの相談件数を考えると、同じSCが週2~3日の勤務をする常勤化のパターンの導入も必要です。(週4~5日勤務で2校担当するなど)

 現在のSCにはほぼ常勤職はなく(名古屋市で常勤化の動きがあります)、不安定な会計年度任用(1年毎更新で3年で雇い止め)の不安定な非正規雇用が一般的です。

 つながっている子どもや保護者にとっては、SCが何年その学校にいてくれるかわからず、年度末毎に切れてしまう不安に駆られます。

 あるベテランSCが業務の話の中で、最近の残業の量に触れながら、ため息交じりに、

「限界ですね。国がもういい加減、本気で20人くらいの少人数クラスにして、教員を増やして、子どもたちを丁寧にみられるようにしなきゃ。ずっと放置ですから、教員も私たちSCも、もう無理ですよ」と呟きました。

 

老朽化して穴が開いた学校の「集団教育」

 1872年(明治5年)に始まる日本の近代教育では、「児童生徒の集団に対して国で定めた内容を教える」という形が150年以上続いています。その時代ごとに軍国教育、民主主義教育と中身は変わっても、「児童生徒の集団」に国が認めた教科書で教育する形は連綿と受け継がれてきました。

 1クラスの定員は、徐々に減って現在は40人学級から35人学級に移行しようとはしているものの、欧米並みの少人数クラスへの歩みは遅れたままです。

 

 「集団」にある一定の価値観の教育をし続けるためには、「集団」に合わせることができる人間だけを集めて教育するのが効率的です。これは、集団の標準的なペースで学習できない手のかかる子どもや、集団に馴染めない子どもたちを一般の集団から排除し、別枠に入れる方が邪魔されず、効果的だという考えです。

 この排除は「区別」でなくれっきとした「差別」です。

 また、不登校とは別の面からみるとわかりやすいので、日本の「インクルーシブ教育」にも触れておきます。

 障害者と共に学ぶ統合教育である「インクルーシブ教育」は、いま国際的な潮流になっていますが、文科省は、一般級の在籍と特別支援教育の在籍を分離したままの「交流」だけの「日本型なんちゃってインクルーシブ」でお茶を濁そうとしています。

 

 大阪府では「原学級保障」という独自の制度があり豊中市では「共に学ぶ」国際基準並みの先進的なインクルーシブ教育を進めていますが、今年5月文科省がいちゃもんをつけ、「支援級で過ごす時間を半分以上にしろ」という、豊中市の取り組みの足を引っ張る通知を出しました。

 今まで共に過ごしてきた「原学級」の席を障害児たちが失う危機が訪れたのです。これは大きなニュースになりました。

※記事はこちら→  https://sdgs.yahoo.co.jp/featured/360.html

 このように、日本では「集団」に馴染んで教育を受けられることが大前提であり、手がかかったり、馴染めないことは「迷惑」で「良くないこと」という価値観が一般的に共有されています。

 「不登校」は「子どもが学校から自分を守る手段として選択できた」と考えれば「良いこと」であり、けして「悪いこと」ではないのに、親子で罪悪感を持ちやすいのは、社会から向けられる厳しい視線があるからです。

 「障害者は「交流」はさせるが同じ「ステージ(在籍)」には入れません」という「分離」を前提の日本型インクルーシブから聞こえるメッセージは、集団に入れない手のかかる不登校児は「まず親がしっかり教育して集団になじめるようにしてください」という排除の論理と根底でつながっているのです。

文科省「校内フリースクール」 開設後の運営は自治体へ丸投げ

 不登校児童生徒が30万人に迫った2022年度を受けて、昨年度文科省はいわゆる「別室登校」に当たる「校内フリースクール」構想を発表して補助金をつけました。

 各自治体は、全校に常駐の学習支援員を配置して「校内フリースクール」を設置し始めています。運営の問題なども出て、今後の方向性を模索している自治体もありますが、利用することで登校している子どもも多くいます。

 しかし、文科省補助金は開設時が主であり、その後の運営費は自治体に丸投げしています。自治体によっては予算規模が小さい所が多く、その後の校内フリースクールの継続に暗雲が立ち込めている自治体もあります。

 急増が止まらない不登校の34万人(2023年度)への対策は、校内フリースクールの運営の安定化と支援員の研修の充実などの中身の充実を図りながらの継続が必要です。開設時は派手にアピールしても、後はそれぞれの自治体でというのでは、文科省の付け焼刃の「やってる感」しか感じられません。やけに文科省が熱心な「ICT」や「DX」の推進よりも、優先すべき課題は山積しています。

画一的な「集団教育」から、「個の特性」に合った教育への大転換を

 この危機にこそ、国が少人数クラスで、必要なスタッフを入れた「個」に合った教育をしていく方向に舵を切らなくて日本の学校教育に希望は見出せません。

 

 「個の特性」に目を向ける教育がある学校では、障害のあるなしに関わらず多くの大人の目で子どもを見ながら教育・支援が行われます。子どもたちにとって学校がより安全で安心できる場所になり、相互理解も進むことしょう。

 その結果「学校」が子ども同士や、教員が共に助け合ってお互いを尊重して過ごす場所になることが、子どもを「孤立」や「人の負担になっている」という「自己卑下」の思いから救い出し、「不登校」、「いじめ」、「自傷行為」「自死」などを確実に減らすことになります。

※小中高校生の自殺者数も高止まり507人(前年7人減)(2023年厚労省警察庁

 そのためには、すべての子どもたちを対象に、個々の支援プログラムの作成、施設の整備、教員の増員、サポートスタッフの配置を適切に行い、校内に子どもの情報を共有して連携するシステムを作ることが必要です。個々に合った「支援デザイン」ができる学校に変貌するのです。また同時に、教育内容やカリキュラムについても国の定めた基準を大幅に見直し、学校の実情に合った柔軟性あるものにする必要があります。

 今ネットやメディアでは、「大人の社会が「競争社会」「格差社会」なのだから、学校だけが「お花畑」になったら子どもが社会適応できないだろう」というような、差別や格差を肯定し容認する本末転倒の論調がまかり通っています。

 しかし、頑張るほどに、子どもも保護者も教員もみんなが疲弊していく学校、希望が消えていく学校では、さらに不登校やいじめ、自殺は増え続けることでしょう。

 また、どんなに待遇改善だけをしても、人を育てる本質に向き合い続けるような教員は育たないでしょう。教員不足の根っこもこんなところにあるのではないでしょうか。

 

 人は相互的な存在です。ひとりだけが幸せにはなれません。

 誰も排除されず、子ども、保護者、教員、学校の支援スタッフそれぞれが影響しあって成長していく場に学校がなることが、惨めさの中で人から生きる力を奪っていく「競争社会」「格差社会」に蝕まれた日本社会を変えていく唯一の道なのです。