児童虐待相談件数が急増しています
2022年は年間約22万件で、10年前(2012年)のおよそ3倍
背景には、コロナ禍後に顕著になっている「貧困」「孤立」による経済格差の負の連鎖があり、大きな社会問題になっています
児童虐待と「しつけ」の違い
家庭の養育で行われる「しつけ」は、子どもに社会の規範を内面化させるために、褒めて強化する行動と、叱って消去する行動とを親(養育者)が一定の基準で教え、子どももそれを理解して規範に合った行動を身につけ、大人との相互的な信頼感を形成していくものです。
「虐待」は親(養育者)のその時の気分で叱る基準が変わったり、「しつけ」と称して暴力をふるったり、子どもに理解しがたい行為を強制したりすることで、子どもの心身に深い傷を残すもので、「しつけ」とは根本的に異なるものです。
児童に対する虐待行為の内容は、①身体的虐待、②性的虐待、③ネグレクト、④心理的虐待の4種類があり、法によって禁止されています。(「児童虐待の防止等に関する法律」(児童虐待防止法)2000年11月20日施行)
1,身体的虐待とは
子どもの身体に外傷が生ずるおそれのある暴行を加えることをいいます。身体的虐待は、児童虐待の中でも最も相談件数が多く、虐待行為としては、叩く、殴る、蹴るなどだけでなく、熱湯をかける、煙草を押し付ける、首を絞める、風呂で溺れさせる、高いところから投げ落とす、布団蒸しにする、異物を口に入れる、逆さ吊りにする、冬場に戸外に長時間放り出すなど、生命に関わる危険なものもあります。
擦り傷、切り傷などの外傷や打撲の内出血が残ることが多く、近隣に悲鳴や怒号が聞こえるなど、地域や保育園、学校でも見つけやすい虐待であると言うこともできます。 ただし、身体的虐待による外傷は、衣服で隠れるような腋の下や内腿、腰など簡単に見えない場所や、肩の後ろや耳の後ろなど、普通の生活では怪我をしにくい部位にあることもあります。
2,性的虐待とは
性的虐待とは、子どもへの性交や、性的な行為の強要・教唆、子どもに性器や性交を見せる、などが上げられます。子どものヌード写真を撮って販売する、子どもが誰かと性行為をすることを強要する、性行為によって得られた金品を利用するのも含まれます。
性的虐待は、最も見えにくい虐待です。子どもに接する保育士や教員にとっては「疑うこと」に対して心理的に極めて強い抵抗感があります。本人が告白するか、家族が気づかないとなかなか顕在化しません。実父や義父などから「お母さんに話したら殺す」などと暴力や脅しで口止めをされているケースや、実母や義母などの女性から男の子に対して行われているケースもあります。開始年齢が早期の場合、子どもは性的虐待だと理解できないこともありますが、実際に乳幼児時期から発生しています。
性的虐待は、また、保護者以外の同居している大人やきょうだいから受けた被害についても、保護者がこれを放置した場合、保護者が子どもの監護を著しく怠ったものとして、「ネグレクト」に該当します。
3,ネグレクトとは
「ネグレクト」とは保護の怠慢による虐待です。児童の心身の発達を妨げる著しい減食、又は長時間の放置、保護者以外の同居人による身体的・性的・心理的虐待の放置、その他保護者としての監護を著しく怠る虐待行為です。
子どもが心身とも安定した発達の妨げになるような放任や、不適切な育児も含まれます。 子どもの年齢や能力、家族の生活状態によって、同じ行為であっても「ネグレクト」であるかどうかには違いが生じます。
ネグレクトは子どもに対する攻撃的な言動がないために 親子関係が良好に見え、境界線を定めにくい虐待ですが、保育士や教員からは、比較的疑うことが容易な虐待です。季節に合わない、いつも同じで汚れが目立つ服装や持ち物、忘れ物の多さ、提出物の遅れなどから違和感持つことも多くあります。
4,心理的虐待とは
「生まれなければよかった」「死んでしまえ」「大嫌い」・・・「心理的虐待」は、大声や脅しなどで恐怖に陥れる、無視や拒否的な態度をとる、著しくきょうだい間差別をする、自尊心を傷つける言葉を繰り返し使って傷つけるなど、子どもに著しい「心理的外傷(トラウマ)」を負わせる言動を繰り返し行う虐待です。
ドメスティックバイオレンス(DV)の目撃も含まれます。子どもの心を死なせてしまうような虐待、と理解すると良いと思います。
また、宗教2世に見られるような人生の選択権を与えない支配的な養育や、「エジュケーショナル・マルトリート(教育虐待)」にみられるような、一方的な親の価値観の教育の押し付けも心理的虐待に当たります。
さらに、それに留まらず、過剰に子どもに干渉し、社会的交流を含めた生活のあらゆる面において、ヘリコプターが「頭上をホバリング」するように子どもを厳格に管理下において監督・監視するヘリコプターペアレントも存在し、大人になっても子どもの心身を蝕み続けてしまう深刻なケースもあります。
ここで、心理的虐待の一例をみてみましょう
毎日新聞(2024年10月24日付)特集連載記事「ひとりっ子社会」から
「母の呪縛に心身壊された」を紹介します
過度な期待 応え続け
「勉強もスポーツも」。さらには「見た目も」――。母から過度な期待を寄せられた一人っ子の女性。「母の期待通りに生きなければ」と過食嘔吐(おうと)を繰り返し、身も心もボロボロになっていった。重圧に苦しんだ女性が2児の母となった今、思うこととは――。
専業主婦の母が女性を産んだのは40歳。高齢出産で授かった一粒種を母は溺愛した。父は単身赴任しており、ほとんど顔を合わせることはなかった。母と娘が密着した「母子カプセル」のような環境で女性は育った。
小学生になると母は「美術の先生になりなさい」と繰り返し言うようになった。美術科の教員になることは、母の見果てぬ夢でもあった。女性はアイドルになる淡い夢を抱いていたが、胸の奥に押しとどめた。
母の希望は「勉強ができてスポーツができる「王道女子」になること。剣道に英語、塾・・・・・・。女性は毎日習い事をさせられた。
母の望みは学業やスポーツだけにとどまらなかった。「一重は可愛くない。中学を卒業したら整形するからね」。母は一重まぶただったら女性に常々こう話していた。
中学卒業後の春休み、母は「予約しておいたから」と女性を美容外科に連れて行った。女性は言われるがまま、二重まぶたにする手術を受けた。
当時について「不安や怖い気持ちがあるだろうけど、なんの感情も起きなかった。心が凍っていた」と振り返る。手術後、母は「良かったね。こんなことをさせてあげる母親はいないよ」と誇らしげだった。そんなは母の姿に、女性も「いいお母さんなんだな」と思い込んでいた。
母の望み通りに剣道を続けてきた女性は、中学も剣道の強豪校を選んで「越境通学」した。だが、突出した実力がないとわかると母は「もう剣道はしないで」と突然、部活をやめさせた。高校は自分の希望でダンス部に入ったが、母は「そんな遊びみたいな部活」とけなし、一度もステージを見に来てくれなかった。一方で胸を突き刺すこんな一言も言い放った。「剣道をやっていないなら痩せなきゃ」
この頃から、体に異変が表れ始めた。食事を制限するダイエットにのめり込み、過食嘔吐を繰り返した。母の期待に応えようとする気持ちと、「自分の好きなようにしたい」という思いが交錯し、心身ともに限界を迎えていた。
もともと50キロ台前半だった体重は30キロ台半ばになった。体調不良にさいなまれながらも、母が望む美術大学の合格を目指して予備校に通い、東京都内の美大に進学した。
入院 自分と向き合う
実家を離れての一人暮らし。物理的に母と距離を取れるようになる中、転機となる出来事があった。手術した二重まぶたが取れてしまい、再手術のために再び美容外科を訪れた。麻酔を前に、気付けば大泣きし、医師にこう叫んだ。「本当はやりたくない。でもやってもらわないと実家の母に会えない。」初めて自分の意思を口にできた瞬間だった。
大学卒業後は地元に帰り、母の夢だった中学の美術科の教員になった。剣道部の顧問になった女性はある日、練習中にアキレス腱を断絶してしまった。歩けなくてつらいはずだったが「剣道をやらなくて済む」とうれしさがこみ上げた。
入院中、これまでの人生を振り返り、ある思いが浮かんだ。「母の希望通りに生きてきたけど、先生も剣道もやりたいことじゃなかった。何で母に縛れなければいけないのか」。自分が本当は何をやりたいのか向き合おうと考え、教員は辞めた。
その後、25歳で結婚し、2児をもうけた。2013年ごろからネット交流サービス(SNS)でイラストを投稿するようになり、フォロワーが増えると、出版社から「漫画を描かないか?」と声が掛かった。今は「グラハムの子」という作家名で漫画家として活動している。
母とは距離を置き、今では毎年正月に顔を合わせる程度の距離の関係になった。数年前、連絡もなしに訪ねてきた母に、女性はこれまでの本音を語った。「実は、ずっとやりたいことをやれていなかった」。母は話の途中で帰ってしまったが、それ以来、干渉してこなくなったという。
母の呪縛に苦しんだ過去から、育児では、自分と子どもとの境界線を引くことを大切にしている。「子どもが違う意見を持っていても、気持ちを尊重してあげたい。だって違う人間なのだから。どんな自分でも愛してくれるははでありたい」と願っている。
【記事、中田敦子】
(以上、新聞記事から)
子どもの人生を「壊す」虐待
母親が、幼いころから自分の理想を子どもに押し付け、子どもが親とは「別人格」の人間であるという自覚を持てずに「良い母親」であると錯覚し続けた事例です。
そういう母親にならざるを得なかった母親の生育からの事情はあるにせよ、子どもの意思を確かめることを一切せずに、選択肢のない奴隷やペットのように子を扱い続け、子どもの心身を破壊してきたことは許しがたい行為です。
少子化が定着し、ひとりっ子が増えてきている現状では、個別化した閉鎖的な家庭が多く、「親子のカプセル」の中だけの常識や価値観の押し付けが、子どもの自由な成長を阻害していくことが多くなりつつあります。
子どもは親の所有物でも、ペットでもなく、玩具でもありません。幼児期から子どもは親とは別の人格を持った社会的存在であり、親は社会で自立していくまで養育する義務があります。親は子どもと話し合い、子どもを理解し、信頼関係を築きながら安心できる日常を保障して養育します。その中で、子どもは自己主張と自己決定が尊重され、大人としての人格を形成して自立していくのです。
親の価値観がどうであれ、社会は移り変わり、子どもが大人になる頃には社会の価値観も変わっていきます。どの時代にも若い人たちには、社会の状況を広く捉え、他者とのつながりを作り、主体的に考えて生きていくことが求められています。
親の心理的虐待は、子どもから大人になるための多くの過程や機会を奪ってしまう行為です。このことを親個人の問題に矮小化することなく、けして他人事にしないことが、私たちがこの問題に向き合う第一歩なのです。
→次回「増加する児童虐待」(その2)に続きます。