リフレーミング(reframing)してみよう

~「リフレーミング」は心理学の家族療法の技法で、これまでと異なる角度からのアプローチ、視点の変化、別の焦点化、解釈の変更という「フレーム」の架け替えによって、同じ「絵(状況)」でも違った見え方になり、自分や相手の生き方の健康度を上げていくことを言います。この能力は誰しも潜在的にもっていると考えられています。 これから私が書いていくことは、ジャンルを超えて多岐に渡ることになりますが、自分の潜在能力を使って、いま私たちの目の前にあること、起こっていることの真実に少しずつ近づいていけたらと思っています。

秋から冬への「メンタルヘルス」

9月の声を聞いてもまだ厳しい暑さが続いています。

でもよく見れば、建物の影も長く伸び、日の入り時刻も早まり、季節は確実に「秋」になっています

学校の夏休みも終わり、いつもどおりの朝の通勤通学の混雑も戻っています

 

これから中秋・晩秋を超え、冬に向かって、年度初めとは異なるストレスが、私たちにかかってくる時季でもあります

秋から冬にかけての「日照時間の変化」に関心を向ける

 夏至(6/21)の頃がら2か月を経て、一日の日照時間は1時間半以上短くなりました。日の出(夏至4:25AM → 5:17AM)・日の入り(夏至7:00PM → 6:02PM※時刻は横浜市(9/6)

 

 これから冬至(12/22)に向かって、日照時間はどんどん短くなります。

 3か月と2週間後の冬至日の出は 6:47AM 日の入り 4:32PMとなり、9/6より一日の日照時間は3時間半ほど短くなる計算です。

 

 「秋の陽はつるべ落とし」と言いますが、この時季の太陽の高さや角度、日照時間の大きな変化は、有機体である人間には大きな影響を与えます。季節を感じることなく、「体内時計」に無関心な生活を続けることは、心身の健康に良くない影響があることは以前から知られています。

 

 最先端の高層ビルでの人工的な都会生活でも、自然豊かな地域の暮らしでも、人のDNAに組み込まれた「体内時計」は季節の変化に合わせて変化し、人の身体は平等に季節に適応的に生きようとします。

 しかし、ここ数年は地球温暖化の影響で、かつての初秋から中秋、晩秋から初冬への、緩やかで微妙な移動性気候の移り変わりがすっかり失われてしまいました。

 季節感よりも、猛暑の気温やゲリラ豪雨などばかりが関心事になりがちで、「体内時計」への関心は薄らいできているようにも感じます。

メンタル面での影響が出やすい秋から冬

 夏にはまだ日中の暑さの残る仕事帰りの明るかった夕方が、次第に日の入りの時刻が早まって、師走の声を聞き「冬至」に近づく頃には、退勤時に外に出てると既にとっぷりと暮れていて、なんとも言えない侘しい感情を抱いた経験がある人は多いことでしょう。

 秋からの日照時間の短縮と「つるべ落とし」の日の入りは、精神面でも「不定愁訴」(ストレスによる体調不良や抑うつ状態)を呼び込む要因になります。

 また、「季節性感情障害」(seasonal affective disorder;SAD)という秋から冬にかけてうつの症状が現れ、春に回復する季節性のうつ病もあります。

 

 また、冬至に向かう季節には、春から夏への「成長や躍動」とは逆の感情が生まれてきやすくなります。結実を引き換えに葉を落としていく落葉樹や、土に還っていく草花への感傷が自分の人生に重なることもあるかもしれません。

 しかし、それをすべてを「負」の感情だと捉えずに、冬を越して「再生のために備える」季節でもあることを十分に意識しておくことが心身の適応を助け、健康度を維持します。

 まず、人間にとって春から夏と、秋から冬に抱きやすい感情は違うのが自然なのだと「意識すること」が大切なのです。

秋から冬への季節をヘルシーに過ごすためにできること

 一年の中でこの時期は、特に「季節の変化」を意識した生活を送れるかどうかはこれから一年間の健康を左右します。

 

 前述のように気分が下降しやすく、さらに「体内時計」が大きく変化して徐々に夏季よりも長い「睡眠時間」が必要になります。

 また、夏の休暇から年末年始休暇までの一区切りは、仕事上でも学校でも4カ月に渡る長丁場で、体力の消耗もあってストレスが高まります。

 

 では、この時季をよりヘルシーに過ごすためのポイントを整理しましょう。

睡眠時間を増やす】

 人間には夏季よりも冬季は10~40分長い「睡眠時間」が必要とされています。

 

 秋の夜長は、つい夜更かししがちですが、「起床時刻」を一定に保ったまま、夏場よりも早く布団に入り、「就寝時刻」を前にもっていくことを目指します。

 まず、第一段階は、心掛けとして、夏の定刻より遅くなることは避けます。

 

 第二段階では、5分~10分早く床に入るようにしてみましょう。目標は低く設定してください。

 それに継続的に取り組めるようになったら、朝の起床の体調をチェックしてみてください。目覚めた時の眠りの過不足の感じで、自分に合った「就寝時刻」がだんだんわかってきます。

 できるだけ「睡眠時間」を不規則にしないことは、この時季を乗り越える健康の基礎になります。睡眠のリズムが定まらず、不規則に陥る「睡眠障害」になる可能性もあるので十分注意してください。

 再び、立春(2/4)が過ぎて3月頃から「就寝時刻」を夏モードに調整してみてください。

心身の状態の低下を受け容れながら、けして無理をしない】

 この時季は、日照時間による気分の下降と共に、年末までの長期間、仕事や学校が続いて、まとまった成果を期待され、何かとストレスも高くなります。緊張が長く続くことで、体力的にも精神的にも「キツい」時季です。

 心身ともに「キツい」ことを、あらかじめ意識して心の準備をしておくことが大きな助けになります。

 

 心身が疲れてくると、朝の通勤通学の足取りが重くなり、「やらねば」の思いが肩や背中にのしかかってくるような気分に襲われることもあるかもしれません。

 不安や落ち込み、倦怠感、頭痛などの体調不良が伴う場合もあります。

 そんな時に焦りを感じて、「出来るはずだ。やらねばならない」と、つい無理をしてオーバーワークをしたり、気分を無理矢理上げて乗り切ろうしたりしがちです。これが大きな落とし穴になります。

 

 でも、意識して準備をしておくと、「やはり疲れてきた」「気分が落ちてきた」と自覚できるために、原因がわかっている分、不安や焦りが半減します。来るべきものが来たと思えるのです。

 当然対処も早くなります。不調の兆候が出た時にセルフチェックして、早めに「休み」を計画的に取ったり「気分転換」を図ったりしてストレスマネジメントすることが可能です。

 

 落ち込み気味の気分を受け容れ、疲弊した身体を「予定通り」と認知できれば、漠然と不安に襲われた時にも、無理に状態を上げようとせずに、睡眠と食事、休養を規則正しく保って、多くの場合は乗り切ることができるでしょう。

 ジタバタせずに多少の苦しさを伴う「低空飛行」を容認して受け入れ、対処しながら低空を保って墜落せずに飛ぶことを優先します。

 

 状況を悪化させるものは、無理をして「高空」を飛ぼうとすることがきっかけになることが多いのです。いわゆる「過剰適応」の状態です。

 「高空」からの墜落は被害が大きくなります。多少苦しくても「低空」を飛び続けることを選びましょう。非常時は不時着できるかもしれません。

 高空を飛んで元気に見せている人ほど危険なのです。

【気分の不調の時は、まず身体をケアする】

 先述した一定な睡眠時間と、バランスの良い規則的な食習慣、適度な運動から、不調を見直していきます。不規則な爆睡や徹夜、栄養過多の大食い、過剰な運動は論外です。

 体調や気分に振れ幅が出ている時ほど、一定に保って「変わらない部分を意識する」生活習慣になるように心がけます。

 

 「気分」は「思考」だけではなく「行動」に左右されます。身体を動かして適切な「身体感覚」を取り戻すことは、「気分」の安定につながります。

 身体的な心地よさは副交感神経を活性化し緊張を和らげ、心身の緊張を解し、リラックスを生み出します。

 

 どんな気分の時でも身体は生きようとしています。「生きている」感覚を呼び戻すことこそが健康につながるのです。

最後に、それでも不調が続いたら

 体調不調や抑うつ状態など、日々のつらい症状が改善せずに1カ月以上続いたら、我慢することなく医療機関を受診して、相談してください。

 

 人は日照時間の変化に無関心なのと同様に、今「健康」であることに鈍感です。しかし一旦大きなダメージを受けてしまうとそこからの回復にはとても時間がかかります。

 ひとりの「健康」の問題は、共に生活する家族や、それを支える地域社会や所属集団と「相互的」に影響し合う社会問題でもあります。

 自分の健康に向き合ってケアすることは、他者の痛みへの想像力を育むことでもあるのです。





 






 

「毎日小学生新聞」の記事から~命が大切にされるために 終末期医療 社会で支える

「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」を公約にした政党が支持を拡大しています

「命がカネで切られる社会」への傾斜に、将来の自分たちの姿を重ねざるを得ない子どもたちへ、この記事は問題提起しています

【以下記事】

「命が大切にされるために 終末期医療、社会で支える」

(NEWSの窓 健康)毎日小学生新聞2025/8/10

 

 7月にあった参議院議員選挙で、一部の政党が、高齢者の医療費が「かかりすぎだ」との主張をしました。

 特に注目されたのが、参政党が掲げた「終末期の延命のための医療費の全額自己負担化」という公約でした。

 

 この表現に、ショックを受ける人が少なくありませんでした。「年を取って社会の役に立たなくなったら医療を受けるな、というのか」と。


 「終末期」とは、亡くなるのが近いと考えられる人を指します。

 そもそも死ぬ間際にかかる医療費は高いのでしょうか。

 

 亡くなる1か月前からかかった費用を調べると、医療費全体の3%に過ぎません。

 その中には、急な心臓発作や脳卒中などの治療も入っていますから、長く入院している、いわゆる延命治療のケースはさらに少なくなります。

 最近は、容体が悪くなった後に命をながらえるためだけの治療は、本人も家族も希望しないため、控えられるようになっています。

 

 このような主張が出てきた背景には、高齢者の自己負担を増やすことで、若い人や働き盛り世代の負担を減らそうという狙いがあるようです。

 

 「社会保険料」という言葉を聞いたことがありますか? 

 病院の窓口での負担を抑える医療保険や、老後の生活を支える年金などを運営するために払うお金です。

 毎月の給料から差し引かれることが多く、健康で収入がある人にとっては「自分には意味がない無駄な支出だ」と感じるかもしれません。

 

 しかし、若くても、いつ病気になったり事故などで障害を負ったりするか分かりません。だれもが必ず年を取り、バリバリ働くことは難しくなります。

 社会保険料は、そのような時のための「備え」であり、国民みんなで支え合う仕組みになっているのです。

 

 「終末期の高齢者は医療費を自分で払い、元気な若い人の負担を少なくすべきだ」というのは都合の良い話と言えます。

 「病気になって働けない人」や「長く治療が必要な病気の人」も、自己負担を迫られることになりかねません。

 一人一人の命や暮らしが大切にされる社会になってほしいですね。

【以上記事】永山悦子 毎日新聞論説委員

※参政党の公約(参議院選挙)

【多くの国民が望んでいない終末期における過度な延命治療を見直す】

70歳以上の高齢者にかかる医療費は年間22兆円と全体の半分程度を占め、特に85歳以上になると一人あたりでは100万円を超える。

終末期における過度な延命治療に高額医療費をかけることは、国全体の医療費を押し上げる要因の一つとなっており、欧米ではほとんど実施されない胃瘻・点滴・経管栄養等の延命措置は原則行わない。

「主な施策」

本人の意思を尊重し、医師の法的リスクを回避するための尊厳死法制を整備。

事前指示書やPOLST(生命維持治療に関する医師の指示書)で、医師が即座に心の負担なく適切な判断ができるプロセスを徹底。

終末期の点滴や人工呼吸器管理等延命治療が保険点数化されている診療報酬制度の見直し。

終末期の延命措置医療費の全額自己負担化。

参政党の政策に対し「全国保険医団体連合会」が声明を出しています

【以下声明の抜粋】・・・

異常な政党公約

終末期医療のあり方はセンシティブな課題である。・・・お金でいのちを選別する参政党の公約は異常である。

生きる権利を国が奪う

・・・(終末期の医療の)「全額自己負担化」の導入は、経済的にゆとりのない人から「生きる尊厳」を国家が強制的に奪うものにほかならない。お金がいのちの長短を決める思想・政策を政治家が掲げるようなことは到底許されるものではない。

想像力の欠如

政治家(政党)である以前に、人としての想像力の欠如も疑わざるを得ない。

終末期は高齢者に限らず、がんや難病はじめ重篤な疾患にり患する全ての世代に関わる。終末期にある患者がただ生きているということだけで家族はじめ周囲の人たちが救われる事態が厳然としてある。

終末が近い子どもと過ごす親、長年連れ添った相方との最期の時間、親しかった友人の看取りなど最期の過ごし方の“かたち”は人の数だけあり、一様に決められるものではない。

終末期医療を“お荷物”“無駄”であるかのように見なして、事実上強制的な打ち切り(全額自己負担化)を求める主張は、人として想像力の欠如に尽きるものと言わざるを得ない。

「終末期医療が医療費を押し上げている」は事実誤認 医療経済学者

・・・医療経済学者の二木立氏は、「(終末期医療費が)総医療費に対する割合は約3%にすぎないこと」が確認されている。・・・「終末期の医療が医療費を押し上げている」は事実誤認であるとしている。

【以上抜粋】

二木立氏(日本福祉大名誉教授)

※声明で紹介された二木立氏は、さらに別の記事のインタビューでこのように述べています。

「参政党の「終末期の延命措置医療費の全額自己負担化」等の公約が、2019年に落合陽一・古市憲寿氏(対談)が述べたこととそっくりであることに驚きました。

彼らも「(高齢者に)『最後の1か月間の延命治療はやめませんか?」と提案すればいい」、「終末期医療の延命治療を保険適用外にするだけで話が終わるような気もする」と言っていました。・・・ただし、6年前はあくまでも二人の個人の言説で、・・・厳しく批判され、落合氏は謝罪・撤回しました。古市氏は今でも頬被りしています。

 

昨年、玉木雄一郎(国民民主党)の党首討論会での「社会保障の保険料を下げるためには、我々は高齢者医療、特に終末期医療の見直しにも踏み込みました」という発言についても批判されて、あっという間に撤回しましたよね。

それに対して、今回は「全国政党」の公約でありながら、ジャーナリズムでの報道や批判はごく限られていること、そのために参政党もその公約を撤回していないことに、恐ろしさ・異様さを感じています。

・・・

「貧乏な人はちゃんと金を貯めなければいけませんよ、自立しなさい」、という意味でしょうか?

「胃ろう」だけでも新規に受け始めた人が毎年5万人はいることを考えると、恐ろしい主張です。

普通の成熟した政党であれば、与党であれ野党であれ全額自己負担なんて掲げません。日本維新の会でさえこんなことは言っていません。

要するにウケ狙いだと思います。

・・・だけど今の若者だって、何十年か後には高齢者になるんです。未来の自分の首を絞めているんですよね。そこをわかっていないのではないかと思います。

【以上】(医療記者 岩永直子のニュースレター2025/7/10スマートニュース

終末期医療・高齢者医療は「全世代」の問題です

 これまでも高齢者医療と重ねて終末期医療に対して、「どうせもうすぐ死ぬんだから」というような「命」への想像力の欠落から、医療費全額自己負担の言説が繰り返されてきました。

 しかし、医療の進歩によって平均寿命が伸び、高齢になって重篤な病気に罹患する人が増えた分高齢者医療費負担は増えましたが、「終末期」は必ずしも高齢者だけに訪れるものではありません。残念ながら若くして病を得て、「終末期」を迎える人たちもいるのです。

 

 一日でも長く生きたいと考えるかどうかは個人が決めることです。その意思を尊重し、保障する法制度の整備が国の役割です。ましてカネのあるなしで国が決めることではありません。

 しかし、参政党の支持拡大によって、命の大原則が揺らぎ始めています。根拠のないフェイクをでっち上げ、カネ次第で延命を国家が決める制度を作ることを大声で言って憚らない社会に傾斜していることは確かなのです。

人間の生き方・人生を左右する命への価値観

 世界の現実をみても経済的安定と平均寿命は密接な関係がありますが、その貧富の現実の不条理を簡単に肯定できるかどうかは、その人の死生観や価値観の立ち位置に関わる問題です。

 今、日本では、経済格差が命の差になることを「不条理」と感じない人が増えてきたのかもしれません。

 経済合理性優先の物の見方に長年慣れ親しんでしまうと、人の思いへの想像力が低下し、それに捉われることが馬鹿げているかのように感じていきます。

 ポンコツの愛着のある中古車を修理しながら乗るよりも、最新モデルの高級車を買える方がステイタスのある自分として胸を張ってしまうのと似ています。

 

 その目に映る人間の姿も同様です。

 その社会を体現するような若く健康で「優秀な」人材が価値が高く、社会不適応や病気を抱える「面倒な」お荷物になるような人や「老人」は、赤字の鉄道路線と同じく、経済的に不要な廃棄対象として目に映ることでしょう。

 そして、今の自分にとって切実な問題ではなければ、「終末医療」や「高齢者医療」などはどこまでも他人事で、「社会保障費の無駄遣いだ」と言い切る自分に万能感すら覚えているかもしれません。

子どもたちは何を内面化して生きていくのか?

 子どもたちにとって、大人の姿は「明日の我が身」です。老人の姿は「行きつく先」です。今の社会を生きる子どもたちには、社会がどう見えるのでしょうか?

 

 毎日学校で勉強したり、友達と遊んだりしながら、漠然とでも自分は安心できる社会に生きていると感じられているでしょうか?大人になっても、自由で良い人生が待っているという希望をもてるでしょうか?

 年を取って病気になっても社会に見捨てられることはないと思えるのでしょうか?

 子どもたちの心には、目の前にいる大人たちの姿が内面化されます。

 

 それは、困難を抱えた人たちを自分事として支援するのが当たり前の相互扶助の社会なのか?

 それとも、自分だけはカネを稼いで何とかなればいいという他人事社会なのか?

 

 そんな「命の分岐点」に日本社会は差し掛かっているのです。




記事の紹介~「国民を戦地に送るリスク~兵士にPTSDを負わせたものとは」(山登敬之さん)

「平和ボケ」批判をしながら「戦争ができる普通の国」へ国民を煽る政党が支持を得る戦後80年目の日本社会

世界で戦争・紛争の殺戮が続く現在、本当に日本に「戦争」がやってきたらどうなるのでしょうか?!

 

精神科医山登敬之さんが「毎日メディカル」(8/16付)に寄稿した記事を紹介します

歴史が示す戦争の「人間破壊」と、今日本が進むべき道について、考えさせられる記事です

【以下記事】

国民を戦地に送るリスク~兵士にPTSDを負わせたものとは

山登敬之 「毎日メディカル」2025年8/16付)

 今年は戦後80年。私は終戦の年から干支(えと)がちょうど一回りした酉(とり)年に生まれました。最初の東京五輪があった年は小学1年生、最初の大阪万博の年は中学1年生でした。この国の平和を享受してきた世代の一人です。

 

 今世紀に入る頃から「平和ボケ」という言葉が聞かれるようになりました。国際情勢は変わってきている、もっと危機感を持て!ということなのでしょう。けれども私は、その言葉を聞くたびに、ボケるほど平和でいられたのだからいいじゃないか、こんな幸せなことはないだろうと思ったものです。

 実際のところ、80年間も平和でいられたことは、幸運であり喜ぶべきことだと今でも思います。少なくともこの間、国は国民をひとりとして戦死させることはなかったし、他国の人々を殺させずにすんだのですから。

戦場で戦うのは誰か

 ロシアによるウクライナ侵攻の直後、ウクライナ政府は大統領令を発し18歳から60歳までの男性に出国を禁じました。国土防衛のための措置でしたが、仮に日本で同様の事態が起きた場合にはどうなるでしょうか。わが国には徴兵制がありませんから、現時点においては自衛隊にお任せすることになるのでしょう。

 

 もしも侵略者を排除する必要が生じたら、専守防衛の原則に沿って自衛隊が派遣されることになります。ドローンやミサイルがいくらあったとしても、領土奪還には地上部隊の投入が不可欠です。都市部や塹壕(ざんごう)での戦闘では白兵戦も避けては通れません。ウクライナの戦場では、実際にそうした局面が報告されています。

 しかし、白兵戦ともなれば、イヤな言い方ですが、殺すか殺されるかの戦いになる。敵兵といえども相手は人間です。われらが自衛隊員に人は殺せるのでしょうか。

 慌てて断っておきますが、そんな事態にはならない方がいいに決まっています。というか、何がなんでも避けねばならない。けれども、近年行われている離島奪還を想定した日米共同訓練のニュースなどを見聞きしていると、大丈夫か?と心配になってきます。

 「戦争における『人殺し』の心理学」(ちくま学芸文庫)という有名な書物があります。著者のデーヴ・グロスマンは面白い経歴の持ち主です。米国陸軍に23年間勤務し陸軍中佐にまで昇進、実戦経験を持つ一方で心理学や歴史学を修め大学教授を歴任、退役してからは研究や執筆活動を行っています。

 上にあげた本には、非常に興味深い数字が載っています。第二次世界大戦では、米兵の発砲率はわずか15~20%だったのに対し、ベトナム戦争では90~95%にまで上昇したというものです。この変化は、人間が本来持つ殺傷行為に対する強い心理的抵抗が、軍の訓練によって大きく弱まった結果だと著者は分析しています。

 

 それによって軍の戦闘能力はあがったかもしれませんが、最終的に米国はベトナム戦争に敗れました。20年間、総数にして約260万人の兵を戦場に送り込み、約5万8000人の戦死者と約30万人の戦傷者を出しました。

 さらに、派兵された米軍兵士の7割近くが10代後半から20代前半の若者だったことを知るといたたまれない気持ちになりますが、そのことはちょっとおいて、話を訓練の方に戻しましょう。

「訓練」の大きすぎる代償

 グロスマンの著書によると、米軍が新兵の訓練に使った手法は、①脱感作、②条件づけ、③否認防衛機制でした。いずれも心理学的に理にかなったやり方です。たとえばどういうことか、簡単にまとめてみると……

 

①敵は取るに足らない虫けらのような存在だから殺してもかまわないと思い込ませ、人を殺す抵抗感を薄めていくこと。

②戦場における射撃の命中率をあげるため、敵の姿に似せたリアルな標的を使い、素早く正確に射止めたら報償を与え、外したら懲罰を与えること。

③自分は国家のために任務を全うしただけなどと、みずからの行いを否認するよう仕向け、罪の意識を軽くすること。

 

 本書には、具体的な訓練の内容やベトナム帰還兵から聴き取った言葉などが詳細に書かれています。それを読んでいるうちに、私はスタンリー・キューブリック監督のこれまた有名な作品、「フルメタル・ジャケット」(日本公開1988年)を思い出しました。

 映画の前半では、ベトナム戦争に臨む海兵隊の訓練シーンが描かれます。新兵の若者たちは、教官を務める鬼軍曹の卑猥(ひわい)で暴力的なかけ声を大声で繰り返しながら、足並みをそろえてランニングしていました。

 その様子があまりにバカみたいだったので、スクリーンを見上げて思わず笑ってしまいました。映画を見た当時は、キューブリックが演出的意図から軍隊を戯画化して描いたのだろうぐらいに考えていました。

 

 ところが後になって、あの軍曹を演じたR・リー・アーメイが元海兵隊の訓練教官で、彼のセリフの多くはアドリブだったことを知り、またグロスマンの著書をはじめベトナム戦争関連の本をいくつか読んだことによって、あれはホントにやってたな……と思い直しました。

 要するに、戦場で人を殺せるようになるためには、あの種の訓練が必要だということです。それは、頭のネジを2、3本抜いて、別のところに余計な太いやつをねじ込むイメージでしょうか。

 ベトナム戦争ではたくさんの若者が死にました。生還した人たちも、PTSD心的外傷後ストレス障害)やアルコール依存、薬物依存などの精神障害に苦しみました。自殺者も多く出ました。

 それは、言うまでもなく、戦場でのトラウマ体験が原因だった。けれども、戦地に赴く前に本国で受けた訓練も、その一因になったと考えられないでしょうか。誰も彼らの頭のネジを元に戻してはくれなかったのです。

本の母たちはわが子を戦場に送り出せるか

 今年の5月、新国立劇場が招聘(しょうへい)したチェコのブルノ国立劇場ドラマ・カンパニーによる公演「母」カレル・チャペック作、シュチェパーン・パーツル演出)を見ました。芝居は面白かったのですが、原語による上演のうえ字幕を読むのが追いつかなかったので、どういう話かいまひとつわからない。そこで、あとから「チャペック戯曲全集」(八月舎)を取り寄せて原作を読みました。

 

 母のドロレスには5人の男の子がいます。軍人の夫と医者の長男は、いずれも国外の任務に就いていたときに亡くなっています。劇中では、パイロットの次男が同様に仕事中に事故死、三男と四男は国の内乱で戦死します。最後に残った五男の運命は、衝撃のラスト!に関係するので、ここには書かないでおきましょう。

 

 この芝居は、言ってみれば寓話(ぐうわ)であって、死んだ家族がみな当たり前のように舞台に登場し、生前と変わらぬ姿でドロレスに語りかけ彼女の体に触れます。「なぜなら母の想像のなかで生き続けているのだから」と、チャペックは戯曲の冒頭に記しています。

 

 夫と息子たちは、国家への忠誠、科学への信奉、愛国心など、みずから信ずるもののために命を投げ出しました。その決断を認めざるを得なかった母。しかし、ドロレスは言います。

 あなたたちはいつも「どうせ母さんにはわからない」と言う。そして私を置いて出て行く。残されたわたしはどうなるの、あんなにあなたたちを愛したのに! 命をかけて!

 

 先の参院選で、「日本人ファースト」を掲げた政党から出馬し、街頭演説で「わたしをみなさんのお母さんにしてください!」と叫んで当選した女性がいました。彼女を「お母さん」にした人たちは、この党を支持する「愛国の母」たちは、笑顔を作ってわが子を戦場に送り出すでしょうか。

 男たちは、ときとして、大義という美名のもとに銃を取り戦場に向かいます。それを支持する熱狂が、正直なところ、私には恐ろしく思えてなりません。

 日本は80年も戦争をしてこなかったのだから、戦争のやり方を忘れています。今の国民は戦争できるマインドを持っていない。でも、だからといって、それを「平和ボケ」というのだ、ここらで活を入れて戦争できる国に戻さねば!と考えるのはナンセンスです。

 

 いつまでもボケているわけにはいきませんが、頭はもっと別のところに使わなくてはいけません。「日本は二度と戦争しません、永久に放棄しましたから」を大前提に、みんなで知恵を絞っていくのが正しい道だと思います。

【以上記事】

 

山登敬之(明治大子どものこころクリニック院長)

やまと・ひろゆき 1957年生まれ。精神科医。専門は児童青年期の精神保健。著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)など。

→ 国民を戦地に送るリスク~兵士にPTSDを負わせたものとは | 毎日メディカル

 

 

記事が示す危機感を共有していくために

 経済的価値観が物事の物差しとして幅を利かせる今の日本社会では、格差が解消されるべき社会問題としての意味を失い、「自己責任」の名のもとに肯定された格差が作り出す閉塞感に満ちています。

 社会構造が作り出している貧困や不公平を、個人の責任に帰結する社会の雰囲気が徐々に醸造されることで、閉塞し出口を失った人々の怒りが、社会的弱者の救済にまで「優遇だと」矛先が向けられるほど社会の亀裂が深刻化しています。

 

 また、戦後80年の社会形成を担ってきた行政や既成政党への不信感は拡がり、80年前の悲劇的な戦争で失った多くの生命や日常生活への悔恨の上に築いてきたはずの戦争のない日常すら、「平和ボケ」と平気で否定するような雰囲気が顕在化してきています。

 

 記事でも書かれている参政党は、「国民主権」より「国家主権」が優先する主張を展開しています。これは、個人の自由を制限して国家が個人の生き方を決められる国にするということです。

 専制的な国家が戦争を続けている世界情勢への危機に乗じて防衛力を拡大し、さらに有事での個人の権利の制限も有事法制によって強化されていく可能性もあります。

 ひとりの人間の生命と生活、自由意志や選択が尊重される民主的な社会がどんどん狭められ、「国家」の公益が個人に優先する社会に変質した先には「徴兵制」も視野に入ってくるかもしれません。

 かりそめにも「非核三原則が国是」としてきた国で、「安上がり」だからと「核兵器保有論」を口にする国会議員が当選する危機が訪れたと言うべきでしょう。

被爆直後のヒロシマ(撮影:1945/8/6中国新聞カメラマン松重美人氏)

 目先の経済政策に目を奪われることなく、日本をどのような社会に向かわせていく政党なのかを見極めていかなくては、再び無慈悲に人間性が破壊されるような社会が到来するかもしれません。

 私たちは歴史を冷静に見極め、人々の「人間性が冒涜されない社会」を次世代につないでいかなくてはならないのです。

破壊されたガザの街 2025年





 

 

 

「戦争は健康の最大の敵」~「公衆衛生」の破壊が命を奪う

戦後80年、人類は気候変動の危機に瀕しながら、今なお戦争に明け暮れています

2025年の今、日本が起こした悲惨な戦争の歴史を振り返るとき、平和とは人間の健康な暮らしにとってどれだけ得難いものなのかを考えさせられます

 

8/6付の「毎日メディカル」の記事を参考にしながら、これからの私たちの社会と健康について考えます

AFPBBnewsから(食料を求めるガザの人々)

「公衆衛生」の改善が国民の命を支えている

 長年、高齢者の在宅専門医療を行う、医師の小野沢滋さんは、「毎日メディカル」(8/6付)「戦地でしたことへの罰なのか…」若かった私に患者さんが教えてくれた 戦争は健康の最大の敵である』の中で、「医療の進歩」よりも「公衆衛生」の改善が国民の健康を守り、平均寿命を伸ばしていると述べています。

(記事の抜粋)

 平均寿命の伸びに最も寄与していることは何かと問われ、多くの方は「医療の進歩」とおっしゃるかもしれません。残念ながらそれは大きな誤解です。医療が平均寿命に及ぼす影響は1割程度と言われています。あとの9割は公衆衛生の改善なのです。例えば、栄養状態、上下水道などのインフラ整備、国民に対する教育の普及が、実は平均寿命の進展に医療などよりもはるかに大きく寄与しているのです。(以上)

 

 さらに小野沢さんは、国民の寿命を縮める最大の原因は「戦争」であると、歴史と統計が示していると言います。

 

 小野沢さんは、平均寿命の統計を古くから取ってきた「スウェーデン」と「フランス」の両国を比べています。

 両世界大戦には中立を守り、戦争に巻き込まれずに済んだ「スウェーデン」と、両大戦ともに参戦して国土が戦場になり飢餓と感染症に苦しんだ「フランス」の平均寿命の統計推移を見ると、その推移の差は明らかです。

 「スウェーデン」はフィンランド戦争と感染症の流行以外の短期間を除き、平均寿命のグラフは右上がりに伸びています。

 それに比べて、「フランス」の平均寿命は、上下に振れるグラフを示し、「スウェーデン」よりも落ち込みが深く、回復までの期間が長くかかっています。

 これは国土が戦場となり、若年男性を多く失い、農業が衰退し、飢餓が広がり、それに伴う感染症により乳幼児の死亡が増加したことが原因であるとしています。

日本の国勢調査が示す「戦争と公衆衛生の劣悪化」の傷跡

 小野沢さんは、日中戦争(1937~45)太平洋戦争(1941~45)を起こした我が国の統計にも目を向けてこう述べています。

 

(記事の抜粋)

 1980年の国勢調査では、(中略)男性の人口が50歳代で極端に少なくなっているのがわかります。これは戦争当時、若い男性が大量に亡くなったことを示しています。

 また、34歳、35歳の人口が男女とも極端に少なくなっています。これは、1945年10月〜46年10月生まれに相当し、出生数の減少及び乳幼児死亡の増加を示唆しています。

 

 この時期、私たちの国は都市が激しい爆撃にさらされ、医療は崩壊、終戦のどさくさで飢餓が国中に蔓延(まんえん)していました。野坂昭如さんの名作「火垂るの墓」の通りの世の中だったことが、この統計にはっきりと刻まれているのです。

 団塊の世代の直前にできた人口の谷は、いまだに私たちに戦争の悲惨さを伝えてくれています。

 そうです。健康にとって最大の敵は戦争なのです。(以上)

高齢者医療で多くの患者から「戦争」の傷を目の当たりにした小野沢さん

 小野沢さんは、30歳の時の1990年から高齢者の在宅医療に携わり、多くの戦争体験者と関わってきました。

 1990年は、終戦時に30歳だった人が75歳になる頃で、最初の10年は、若い頃に戦争を体験した世代の方たちが患者の中心でした。その出会いを、小野沢さんは青春を戦争に奪われ、老いを迎えた患者さんたちとの出会い」として語っています。

 

● 癌の末期患者で78歳だったAさんは、痛み止めの注射の提案を拒否して主治医の小野沢さんと二人で話すことを希望したそうです。

 二人になるとAさんは、突然「先生、この病気は私のやったことに対する罰なんだ」と涙を流し、自分は中国で細菌兵器開発をしていた731部隊(旧日本陸軍関東軍防疫給水部)にいたと告白し、ペスト菌コレラ菌を培養して人体実験をして亡くなるまで観察をしたという話をされたそうです。 

 (以下記事の抜粋)

Aさんは涙を流して、そういった話をした後、私に、「これは罰だと思うか」とおっしゃいます。若い私は何も言えず、ただその手を握って、「違うと思いますよ」、としか言えませんでした。そして、Aさんは「絶対に戦争はしちゃダメだ」と何度も何度も涙を流しながら私におっしゃいました。(以上)

 ● また、イラク戦争の頃、シベリア抑留を経験したBさんは、「絶対に、戦争はやっちゃダメだ」「戦争は人が狂ってしまう」と、中国大陸での行軍日誌を小野沢さんに見せ、涙を流して「私たちは中国でひどいことをしたんだ」と言われたそうです。

(以下記事の抜粋)

・・・上官の命令を受け銃剣で住人を殺した経験を私に話してくださるのです。赤ん坊まで突き殺させられた、と。銃剣の先に赤ん坊が刺されたまま離れなくなり、気が狂いそうだったと。それを聞いていた奥様は、これまでそんな話をしたことないのに、と非常に驚かれたご様子でした。

 話の真偽はわかりません。しかし私には真実のように思えました。そして、Bさんも「戦争は絶対にやっちゃダメだ」と私に何度もおっしゃったのです。(以上)

 この他にも小野沢さんは、多くの戦争体験者の方々から様々な戦時中の事実と歴史を教わったと言います。

小野沢さんは、私たちに静かに語りかけます

(以下記事の抜粋)

 インターネットや交流サイト(SNS)が普及した今、私たちは情報の海の中にいます。気をつけなければいけないのは多くの人が自分の知りたいことだけを知って、物事の一面しか見ていないということです。

 私は、旧日本軍が中国大陸で人道的に悪辣(あくらつ)と言われても仕方がないことをした、というのは事実だと信じていますし、その一方で、旧日本軍の全員がそれをしたとも思っていません。

 それは多くの患者さんたちがご自身の体験として語ってくださったことから、私はそう判断しています。少なくとも、何もしなかったというのは絶対に違うと思いますし、一部の日本人がそういったことは無かった、と声高に言うことには強い違和感を覚えます。それは、若い頃の体験を一生の負い目として、生涯苦しみ続けたAさんやBさんはじめ、戦争に人生を翻弄された方たちに対する冒涜だとも思うのです。

 

【今が「戦前」とならないように】

 (中略)731部隊での人体実験や中国での一般住民の方の虐殺があった、ということも、すでにさまざまな証言や資料から明らかにされています。非人道的な行為を当時の日本軍は許容していたのです。

 もし、その組織の倫理性が、その組織が許容する最悪の事柄で規定されるとすれば、当時の日本軍の倫理性は許されないほど低かったと言われても文句は言えないと思います。そして、その総括を私たち日本人自身がしたのかどうかという点にも強い疑問を感じるのです。

(中略)

 日本を「戦争ができる普通の国」にしたいと主張するのも結構ですが、本人やその愛する人が次々に亡くなり、社会が徹底的に破壊されてしまい、普通の市井の人々までが赤ん坊を殺したり、病原菌をばらまいたりということをしてしまうのが、戦争です。

 それを理解した上で、それでも構わないということなら仕方ないのかもしれません。でも、せっかく戦争放棄という希有な規定のある憲法を持っているのに、戦争という愚かな行為へ踏み出す国になる必要があるのかどうか、もう一度、終戦の夏に考えてみるのも悪くないのではないでしょうか。

 

 先日の参議院議員選挙では、一部の政党の支持者から外国人の排斥につながりかねないメッセージが拡散され、少なくない政党が改憲を掲げています。

 そのような状況から、日本は今、「戦前」なのではないかと強い危機感を覚え、私が実際に聞いた、戦争を経験した方たちの声を届けたいと思い、本文を書かせていただきました。(以上、2025/8/6)

小野沢滋(おのざわ・しげる) 1990年東京慈恵会医大卒。亀田総合病院在宅医療部長、北里大病院トータルサポートセンター長を経て、2016年に在宅医療専門の「みその生活支援クリニック」を開設。プライマリケア連合学会認定医。

 「戦地でしたことへの罰なのか…」 若かった私に患者さんが教えてくれた 戦争は健康の最大の敵であるということ | 毎日メディカル

人の一生蝕む「戦争」という健康破壊

 小野沢さんが医療現場で出会ったAさんやBさんの様子を伺うと、戦争の加害者の過酷な体験が彼らを蝕んできたことがわかります。戦後に身体は辛うじて長生きをしたとしても、その心は休まることがなく、孤独の中で苦しみ続けてきたことが伝わってきます。

 戦争体験によるPTSD等の後遺症はあまり語られることがありませんが、先の統計グラフの落ち込みが示す死者数の裏には、加害者被害者を問わず、辛うじて生き残った人々の苦しみの影が何倍にも大きく広がっているようです。

 

 そして戦争で破壊された「公衆衛生」劣化が長期化し、衣食住の生活のQOLを失い、医療も届きづらい環境で、命の危険を感じながら生きるほど、人は飢餓や感染症、病気やケガだけでなく、絶えずのしかかる大きなストレスのために心身共に健康を失っていきます。

 

 アメリカの著名な公衆衛生学者のウィンスロー (C.E.A. Winslow)は、今から100年以上前の1920年、「公衆衛生」を「共同社会の組織的な努力を通じて、疾病を予防し、寿命を延長し、身体的・精神的健康と能率の増進をはかる科学・技術」と定義しています。

 この定義は、単に病気を治療するだけでなく、病気を予防し、健康な状態を維持・増進することに重点を置き、個人だけでなく地域社会全体を対象としているのが特徴です。

 しかし、この100年後の世界でも、人々が生きるために大切な「公衆衛生」が地域紛争や戦争、環境破壊によって失われ続けています。

 2023年時点の世界各国の軍事費の合計は推計で2兆7000億ドル(396兆円)でした。これは第2次世界大戦のピーク時の1兆5400億ドル(227兆円)の1.75倍、冷戦のピーク時の1兆9000億ドル(279兆円)の1.4倍にあたるそうです。

アメリカの軍事費の推計モデル「世界の軍事支出データセット(GMSD)」を使い、オックスフォード大学の研究者らが過去200年分の国別の数値を現在の貨幣価値に換算)

 

 今、世界は小野沢さんが危惧している方向に大きく舵を切り、人類存亡の危機とも言える時代を迎えているのです。

 

不登校理解おざなりの「校内教育支援センター」(校内フリースクール)の実態(その2)

前回ブログ(その1)では、名古屋市の「謎ルール」だらけの「校内フリースクール」(校内教育支援センター)が、「子どもの居場所としての利用」のハードルになっているという記事を紹介しました

 

「校内教育支援センター」=「別室登校」の取り組みの中身が、学校や自治体によってバラバラになっている実態をさらにみていきます

 

自治体毎、学校毎に温度差が出る「校内教育支援センター」

 「校内教育支援センター」の設置は、文科省の2023年3月の「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策(COCOLOプラン)」の策定に基づいて進められた事業です。

 不登校の児童生徒すべての学びの場を確保し、学びたいと思った時に学べる環境を整える」ための受け皿のひとつとして「校内教育支援センター(スペシャルサポートルーム等)の設置促進」を掲げ、対象を「学校には行けるが自分のクラスに入りづらい」児童生徒としました。

 これをそのまま適用すると、家に引きこもる、学校の敷地内や校舎に入れないなどの「登校できない不登校」は原則的に利用対象外になり、登校できる実績や確信がない限り校内の「別室登校」である「校内教育支援センター」の利用が制限され、門前払いされることになります。

 

 また、「校内教育支援センター」では「気持ちを落ち着かせてリラックスする」「相談する」ことができるとしていますが、「学びたい時の学びの場の確保」が基本原則のために、「学習しないで過ごす」という過ごし方は二次的なものになります。

 これをそのまま学校で実行された場合、不登校の子どもの選別・線引きになり、「誰一人取り残されない学び」の前提と矛盾します。

 これまでの一般的な受け入れをしてきた学校での、不登校の子どもの「別室」利用の仕方はその状態に応じて様々です。

 毎日登校して顔を見せ、時々教室に行くような子どもから、「別室」に来ることを目標にして来ている子ども、自分のペースで週に1~2回来る子ども、調子の良い時に不定期に月に1回程度顔を見せに来る子ども、半年に1度くらいひょっこり来る子どもなど利用頻度もそれぞれです。

 また、黙々と自習する子どももいれば、学習せずに読書をしたり絵を描いたり、先生や他の子どもと話したりして過ごす子どももいて利用内容も個々に違っています。でも「違っている」からこそ、「違いを認める」学校だからこそ、子どもたちが学校とのつながりを持てているのも事実なのです。

 

 このような子どもとつながる現状や状況をよく知っている学校や自治体であるほど、今回の施策でも、子どもを今まで通り受け入れる体制を作ろうと努力していますが、逆に実績がなかった所では、制度の枠だけをガチガチに当てはめてしまうのです。

 こうして、自治体や学校毎に不登校理解の温度差がはっきり表れて、実態はバラバラになっていきます。

中規模自治体の実例

 前回ブログで紹介した記事の名古屋市は中学校127校・小学校267校の大都市自治体で、財政的にも恵まれ、設備面の充実は感じられましたが、学校のそれまでの「別室登校」の経験不足による不登校理解の欠如や、国の施策の原則や管理の厳格化が表面化しました。

名古屋市不登校理解がなおざりの「謎ルール」】

・校内フリースクールから、通常のクラスへの行き来を禁止
・月の初めに“1カ月分の利用予定”の提出が必要
・制服の着用必須
・当日の連絡では使用を認めない

 

 これに似た状況は、大都市だけでなく中規模自治体でも生まれている実例を紹介します。

※中学校約20校・小学校約30校規模の中規模自治体のD市の現状

 D市では、これまで「別室登校」を実施している学校はほんの一部で、今回の施策を受けて「別室」を発足させた学校が殆どです。

 その中のS中学校は、他校に先駆けて6~7年ほどから不登校対策として校内に「Sルーム」という「別室登校」を設置して、介助員数名が交替で常駐し情報共有をして不登校の子どもたちを見守ってきました。予算面の詳細はわかりませんが、D市の中では先駆的な学校でした。

 しかし教員の異動が進み、他校から赴任した教員には「Sルーム」が理解不能な奇異なもののように見えたらしく、校内で「Sルームのせいで不登校が増えている」、「教室に入らない生徒が多い」、「不登校は甘やかしだ」という声が高まったのです。教員の中では、「Sルーム」廃止派と存続派に分かれて対立が深まりました。

 

 その後、昨年度に「校内教育支援センター」の施策が実施となり、実質「Sルーム」は廃止の憂き目には合わず存続したものの、それまでの子どもの対する緩やかな受け入れがなくなってしまいました。

 「学習する場所」「教室に戻るための場所」「再登校を目標に」という位置づけを前面に出し、部屋の机の配置は教室と同じように全員が前を向き、「私語厳禁」でそれぞれの子どもの教室での時間割に合わせた教科のオンライン参加や教科の自習が義務付けられました。学校での滞在時間は、子どもが決めますが、毎日利用を続ける子どもには「早く教室に戻りなさい」という指導をして背中を押すそうです。

 

 この変化によって、それまで「Sルーム」を利用してきた子どもの何人かは、今までの自分なりの利用の仕方ができずに居場所を失い、登校できなくなりました。せっかく見つけた「学校の居場所」を追い出されて、これでは不適格者として「学校」とのつながりを切られたのと同じです。

 校外のフリースクールや校外の支援センターなどに行ってくださいということでしょうか。実際にはそのような紹介もないようです。

 D市では、S中のように「教室に戻る意志のない」児童生徒は「校内教育支援センター」から排除され、利用が困難になっている学校が多くあります。

 

 なぜ、こんなに自治体・学校の「格差」が生まれるのでしょうか。施策導入前から詳しく見ていきます。

「校内教育支援センター」の格差とバラつきはなぜ生まれたか

〇 施策導入以前の状況の4パターン

1,自治体独自に、全小中学校に不登校対策で「別室」を設置して、1~3人程度の支援員(介助員)が交替で授業時間中に常駐して子どもと一緒に過ごす。状況に合わせてメニューも学習、運動、読書など子どものペースで緩やかに過ごす。日頃から支援員は校内の支援コーディネーター(教員)や担任、SCと情報共有をしながら子どもを見守っていく。自治体の研修や連絡会が組まれている所もある。

 

2,学校独自に、「別室」を設置し支援コーディネーターなどの教員が中心になって交替で子どもを見守る。子どもは学習が中心の過ごし方にはなるが、子ども個々の利用方法やペース、時間を尊重する学校。子どもの状態を観察して支援コーディネーターや担任、SCらが情報共有している。

 

3,設置は2と同じだが、「別室」を「教室に戻るためのステップ」のための利用に限定していて、子どもの個々の状況への配慮は少ない。したがって、子どもの状態の観察の情報も少なく、SCの専門的な子どもの「みたて」には関心が払われない。組織的な支援システムや支援コーディネーターが機能していないことが多い。SCの面接には、個々の担任が保護者・子どもをつなぐ様子がみられる。

 

4,児童生徒指導や設備等の理由で「別室」を作らない学校。担任が週に1時間程度、個々に空き時間・放課後などで登校させて面談をしたり、勉強を教えたりしていることもある。また、週1~2週に1回SCの面接にのみ子どもが登校していることもある。

学校の支援システムや支援コーディネーターの機能は限定的で、保護者や子どもをSCやSSWにつなぐ程度。

 

 以上4つのパターンに整理してみましたが、少し複雑に感じている方も多いのではないかと思います。簡単に言ってしまうと、「1」のパターンが、不登校対策が「進んでいる学校」になります。そして「1」→「2」→「3」→「4」の順に「遅れている学校」ということになります。

 今回の「校内教育支援センター」の実施は、導入前のそれぞれのパターンの学校の現状を把握することなく実施されているために、各パターンの自治体・学校に様々な影響を与えています。

※ 良い影響としては

 「1」「2」の学校は支援コーディネーターが中心になって、SC・SSW等の専門職と連携して学校全体のシステムの質を上げながら取り組むシステムが機能しているため、今回の「校内教育支援センターの実施をうまく利用している学校・自治体もみられます。

 

 比較的、学校数が少なく小回りが利く小規模自治体にこの傾向があります。これをきっかけに、別室施設の拡充・設備の充実や、別室利用で「学習」もやってみようという子どもへの支援の幅として、学習支援員を配置して個別支援を始めている学校もあります。

 「支援」システムの基盤が教員にも浸透しているために、D市のS中学のような「揺れ戻し」が起こる可能性は低いでしょう。

 

※ どちらに転ぶかわからない危うい影響としては

 「3」「4」の学校では、支援コーディネーターを中心とする日常的な支援システム機能が低いので、SCやSSWの専門的な知見を汲まずに教員サイドだけで考えた「校内教育支援センター」設置を行う傾向がみられます。

 その結果、不登校児童生徒の側からみた「利用しやすさ」よりも、児童生徒指導の「学校管理上の運営のしやすさ」や、「再登校」を前提とした運用が一方的に決められることになります。

 それまでは暗黙の了解で比較的緩やかに運営されていた「別室」が、これを契機に厳格な管理がされていく場合もあります。(例:D市のS中学)また、初めて「別室」が設置される学校では支援の素地も薄く、経験値もないために暗中模索で「謎ルール」のようなものが出てくるのです。

 中規模~大都市自治体では、自治体内でも導入前の状況が一定でないために、地域や学校でバラつきが出る可能性があります。

不登校理解」と「教育機会確保」が一体でこそ機能する「不登校対策」

 不登校」の子どもの背景は様々です。個々の状況に応じた支援が必要ですが、まず大切にすべきことは「再登校」や「学び」の保障ではなく「心身の健康」です。

 子どもたちが健康に生きて、自分の人生を自律的に歩む道筋を選んでいくための援助を提供するのは、社会の責任です。

 

 子どもの状況に応じて、「学び」の機会の保障されるのは当然のことですが、単に「不登校」だから「勉強が遅れる」、それゆえ「登校できるが教室に入れない子ども」には「校内教育支援センター」がありますというだけでは、「学校とつながりを持ちたい」不登校の子どもたちのニーズを満たすことはできません。

 「学び(教育機会)」の保障と「不登校理解」は切り離せないものですが、現実にはこの施策の実施のバラつきに生じた亀裂の隙間に埋もれた子どもたちが出てきてしまっているのです。

 「校内教育支援センター」を上手く利用できる子どもたちがいるとしても、一方で、不登校になって「学校」に不安がある子どもたちに、さらに「学校から見放された」と感じさせている状況を生んでいることは深刻です。

 

 さらに、今年度、国は設置初年度予算だけ計上し、2年目以降の運営のための予算は自治体任せにしていることも混乱に拍車をかけています。

 文科省の「誰一人取り残されない学びの保障に向けた不登校対策」としての「校内教育支援センター(スペシャルサポートルーム)」という、派手な看板が既に色褪せてきています。









 

 

不登校理解おざなりの「校内教育支援センター」(校内フリースクール)の実態(その1)

昨年度から小中学校では、不登校の子どものための「学び」のために校内の別室登校「校内教育支援センター」(文科省)の設置が拡がっています。(呼称は自治体毎に「校内支援センター」「校内フリースクール」、学校毎に「〇〇ルーム」など異なります)

しかし、その中身の実態は自治体や学校によって大きく異なっています

「“制服着用”や“1カ月分予定提出”等…『謎ルール』だらけの校内フリースクール 子供の居場所に利用のハードル」

という記事があったので紹介します。(東海テレビNEWS 5月22日放送、7月14日付記事)

【以下記事抜粋】

不登校の子供たちの“居場所づくり”を目的に、名古屋市は小中学校へ“校内フリースクール”の設置を進めている。しかし、“制服必須”や“利用予定を月初めに提出”といった『謎ルール』が各学校で作られていることが分かった。制度だけが先行している実態もあり、利用をためらう要因にもなっている。

 

名古屋で設置すすむ「校内フリースクール」今後は全中学校へ

こうした中、名古屋市が進めている取り組みが「校内フリースクール」だ。

東区の桜丘(さくらがおか)中学校。教室の中にあったのは和室だ。

窓際にはホワイトボードで仕切られた個別の学習スペースもあり、床にはじゅうたんが敷かれている。ここが、いわゆる“校内フリースクール”だ。

・・・・・・・・

不登校の子供たちのために、教室以外の場所に居場所を作る取り組みで、市は2022年度に30の中学校に設置した。

 

桜丘中学校の武藤晃嗣校長:
「基本的には自分のペースで自分の学びたいものを見て、自分で学ぶんですけども、それぞれみんなの時間や、自主学習できるもところもあれば、美術とか子供に選んでもらえればいいかなと」

名古屋市は、市内すべての中学校に「校内フリースクール」を整備し、小学校でも試験的に5校に設置するとして、2025年度に3億6500万円の予算を計上した。

「月初めに利用予定を提出」など“謎ルール”が明らかに

“子供たちの居場所づくり”が進んでいるようにみえるが、校内フリースクールには、『謎ルール』ともいえる大きな問題があった。

 

名古屋市内に住む安藤亜衣(あんどう・あい 44)さんは、「校内フリースクールに行ってすごく充実しています、という話は聞いたことがない」と話す。

 

安藤さんには3人の子供がいるが、このうち2人が不登校で、小学6年の向日葵(ひまわり)さんがフリースクールに通っている。

・・・・・・

安藤さんは当事者の1人として、不登校の子供たちの保護者を支援する団体を立ち上げた。「校内フリースクール」について保護者から意見を集めると、理解に苦しむ“謎ルール”が明らかになったという。

安藤亜衣さん:
「友だちとは一緒に行けないとか、事前に予約しないといけないとか。だからちょっと難しくていけないよとか。“とりあえず作った”感になっちゃっているんじゃないかな」

 

・校内フリースクールから、通常のクラスへの行き来を禁止
・月の初めに“1カ月分の利用予定”の提出が必要
・制服の着用必須
・当日の連絡では使用を認めない など

 

教育委員会は、ルール作りをそれぞれの中学校の校長の判断に委ねていて、結果、ばらばらの“制約”だらけになっていた。

様々な特性がある不登校の子供たちにとっては、大きなハードルとなり、1度利用して来なくなる生徒も少なくないという。

 

安藤亜衣さん:
「一番みんなが言うのは『制服がないほうがいい』って。子供も制服を着させられるのは、またそれで足が重くなる。“大人にとっていい”ルールじゃなくて、子供たち目線で、子供たちにちゃんとヒアリングして、せっかく作ったのだからいい場所になってほしいです」

市教委は“ルール”をほとんど把握せず

名古屋市の校内フリースクールの実態について、広沢市長を直撃した。

Q“子供に合った運用”ができていないのでは?
広沢一郎名古屋市長:
「学校によって濃淡があるのは、これは否めないところです。まずは場所を作るということをやっていますので、そうするとやはり学校によってその対応が十分に取れたり取れなかったり。一定程度仕方がないところだという風に認識していまして」

広沢市長は、「校内フリースクールを“増やす”ことを優先してきた」と説明した。

・・・・・・・

それぞれの学校が決めている“ルール”を、ほとんど把握していなかった。

・・・・・・・

 

実際にルールを設けている中学校に、話を聞いた。

名古屋市立のA中学校では、通常クラスとの行き来を禁止している理由について、「嫌いな教員や苦手な授業だけ受けないなど“逃げる場所”になってはいけないから」と答えた。

また、1カ月分の利用予定の提出が必要な理由については、「学校生活に必要な集団生活に戻れるよう、計画を立てられるように」という理由だということだ。

成長して様々な選択をしていく子供たちのために

名古屋市守山区にあるフリースクールを利用する、中学2年のはっとりくん。

小学4年生から不登校で、一時は「校内フリースクール」の利用を検討したが、その実態を知り、取りやめたという。

 

はっとりくんの母親:
(担任から)『校内フリースクールはコミュニケーションをするための場所ではない』『そんな喋る感じでもないし、見ず知らずの子がふっときて、黙々とやることやって帰ろうかなって思ったら帰っていくっていう場所だよ』と言われたので。人と関わって生きていってほしいと思っているので、息子には違うなって」

 

はっとりくんは2025年春、新たな選択をした。

はっとりくん:
「学校に行き始めました。勉強は積み重ねだから、そこをやらずに学校の勉強をやろうとすると分からなくなると思って」

成長と共に、自ら考えて“さまざまな選択”をしていく子供たち。「校内フリースクール」は、そんな“選択肢”の1つになるのだろうか。

 

はっとりくん:
「(Q中学校に行ってみてどう?)まあまあ。放課(休憩時間)は友だちがみんな誰かと話しているから、話かけづらいです。ここ(フリースクール)なら話せるんです」

【以上 記事抜粋】

“制服着用”や“1カ月分予定提出”等…『謎ルール』だらけの校内フリースクール 子供の居場所に利用のハードル | 東海テレビNEWS

 

学習機会の保障と再登校目的のための「校内教育支援センター」で良いのか

 この記事からは2022年から不登校対策として、名古屋市文科省の施策を先取りした形で「校内別室」の設置を進めた形になっていますが、これまでも学校や自治体では、独自に不登校の子どものために「別室登校」を行っている所があり、教員が交替で子どもをみたり、支援員や相談員、介助員などの名称で常駐の人員配置をしたりしてきました。

 

 教室に入れなくなった子どもだけでなく、学校のことを考えるだけで不安が強くなり家から出られなくなった子どもや、登校行動自体が苦しくなった子どもなどにも、声をかけて外出や登校の足掛かりやきっかけになる校内の別室を提供してきた学校もあります。

 

 別室での過ごし方も様々で、個々の子どもの状態やニーズに合わせて「安心できる居場所」を作り、学習を強制して教室に戻ることを前提にすることなく、子どもの自発性を尊重する場所になってきています。その実施に必要なことは、子どもの健康を第一に、自分に適したペースを作る自発的な行動を保障する場だという意識であり、それをいつも変わらずに見守る(支援員、教員など)がいることです。

 

 それとは逆に、別室登校がある学校でも、「教室に戻ること」「再登校を」を目的として別室での「学習」に重きを置き、教員が子どもの背中を押すばかりで、自発性が尊重される「学校の居場所」として使用したい子どもを排除してきた学校もあります。

 もちろん、児童生徒指導や施設の不備を言い訳にして、「別室」を設置してこなかった学校も多くあるので、あるだけ少しはマシなのかと思いたくはなりますが。

 

 しかし、今回の文科省の「校内教育支援センター」の設置を機会に、前者の別室を発展させている学校もある中で、逆に後者の別室の傾向に戻る学校もみられます。

 文科省の予算化した施策としての「校内教育支援センター」の考え方に準拠するためにそれまでの自由な発想が失われ、学校独自の工夫された良さが消えていると言えるでしょう。

 また、この名古屋市の記事を見ても、別室が設置された学校でも制度だけが先行して、不登校理解が根付いていない実態が明らかに見えています。(「謎ルール」がそれを表しています)

 今回の「校内教育支援センター」の施策では、不登校児童生徒の「学び」を保障し、「別室」登校、校外の教育支援センター、フリースクールなどをできるだけ出席扱いにするという側面ばかりが強調され、2016年の文科省通知で、「不登校は問題行動ではない。直ちに再登校を目指すのではなく、「社会的自立」を目指す」という考え方がトーンダウンしています。

 その上、2023年度末に文科省の施策を自治体に予算を付けてトップダウンし、各自治体は施設整備を進めるだけで、中身は学校に丸投げというお決まりの実態が見えてきます。(設置校初年度のみの予算化)

 

 それによって自治体や学校によって「校内教育支援センター」の中身が大きく異なってきています。

 「不登校理解」を深める視点を重点化せず、子どもたちの内面に向き合った支援の浸透をおざなりにした「校内教育支援センター」の実態が明らかになってきているのです。

 

→ 次回は「校内教育支援センター」設置の経緯と、実態についてさらに紹介します。

 


 



 

「自己肯定感」という不安~「自己肯定感」ブームを批判する

「自己肯定感」の意味がいつの間に変節し、人の不安を刺激しながら社会適応のための心の必須アイテム化しています

本来の「自己肯定感」とは何か、今一度考えてみましょう

「自己肯定感」という言葉はいつ頃から?

 「自己肯定感」とは、英語の「self-esteem」を日本語に訳した言葉で、自尊心、自己評価、自己尊重などとも言います。「esteem」は能力や性格などを高く評価する意味で、「respect」(一般的な敬意や尊重)よりも強い評価を意味しています。

 

 日本では1994年に臨床心理学者の高垣忠一郎によって「自己肯定感」という言葉で提唱され、「ありのままの自分で大丈夫」、「他人と共にありながら自分は自分であって大丈夫だ」という他者に対する信頼と自分に対する信頼を指すとされました。

 しかし定義が確立した言葉でないために、多くの場面でその状況に合わせた解釈で「自己肯定感」が使われ始め、広まっていきました。

 

 また「esteem」に「評価する」という意味合いがあるために、本来の自分個人内の「自己評価」が、「他者評価」を意識した「自己評価」に変質して使用されるようになり、ビジネスや学校などに適応していくためのポジティブな感情として、社会への適応の土台のようにもてはやされるようになったのです。

 例えば、以下のようなコピーがネット上の情報として多く目に飛び込んできます。

 

・「自己肯定感」を高めるためにすべき〇つの方法。

・「自己肯定感」が高い人はこんなことをしています。

・「自己肯定感」が高い親の子育てはここが違う。

・「自己肯定感」が高い子どもに育てるためには。

・・・・・・・などなど

 

 これらは、不特定多数の人々に向けられて発信されたものですが、他者評価が気になり、なかなか自分に自信が持てない、社会適応上の困難や不安を抱えている多くの人にとって、目に入るとつい気になってしまうコピーとなって広がっていきました。

 そして、いつの間にか自分への不安や自信のなさの感情が、「自己肯定感が低い」という言葉に置き換えられていったと考えられます。

「自己肯定感」が社会適応への新たなハードルに

 本来「自己肯定感」は、ありのままの自分を受け入れ、肯定的に評価できる感情のことです。「自尊感情」とも言い換えられます。

 「ありのまま」というのは、社会的に「強み」になるポジティブな面ばかりでなく、ネガティブな「弱み」や「弱さ」も含まれます。

 生来持っている性格や特性、能力、疾患や障害、生育歴などで社会適応上なかなか自信が持てない「不安で弱い」自分や、学歴、キャリア、雇用形態、収入などで社会的「弱み」とも言うべき立場であることも含めて、すべてを「無条件」に「ありのまま」肯定して、自分として生きるという意味です。

 人間は成長過程で思春期・青年期での自己評価が低下し、成人期の社会適応の中で成熟していくので、自分に自信がない多くの人の若い人がいて当然です。

 また、今の社会では「他者評価」を気にして承認欲求が強くなりがちで、社会的適応上のハンデと感じられる事柄がとても多いので、社会適応へのハードルが高いと感じる人も多くいて、自分に自信が持てず不安を抱えることが珍しくありません。

 

 そこで、今の「自己肯定感」ブームでは、「自己肯定感」=「自分を好きで、自分の価値や存在意義を認められる感覚」と言い換える解釈が一般化したのです。

 そして「自己肯定感が高いと、物事を前向きに捉え、困難な状況でも積極的に行動できる」と背中を押すのです。

 「自己肯定感」が社会適応のための必須条件のように意識され、不安をもった人たちには新たなハードルになったのです。

 でも本当にそうなのでしょうか?

「自己肯定感」は、頑張って高めるものなのか?

 「教育実行再生会議」(第2次安倍内閣2013~2021)による第十次提言(2017)で「自己肯定感を高め、自らの手で未来を切り拓く子供を育む教育の実現に向けた、学校、家庭、地域の教育力の向上」が掲げられたことを契機に、教育界でも頻りに「自己肯定感」が使用されるようになりました。

 文科省が2016年に「不登校は問題行動ではない」「再登校ではなく社会的自立を目指すべき」という通知を出した翌年のことでした。

 

 当初この提言を読んで、「自己肯定感を高める」教育環境を作る方向に行政が向かっていくことを期待してしまった人々も少なからずいたのではないかと思います。でも、今では提言の「自己肯定感」は「現状の中で子ども自身が努力して自信をもつこと」とほぼ同義で、それは糠喜びだったとよくわかります。

 

 期せずしてこの頃から「自己肯定感」という言葉は、「ありのままの自分を尊重する・容認する」という本来の意味を変質させていきます。皮肉なことに、現状の社会環境に適応するための道具(アイテム)として使用されていきます。

 「今の社会」でポジティブに生きるために、「自己肯定感」を高めましょう。頑張って「高める」のは社会の方ではなく、「あなた」です・・・と。

「自己肯定感を高めよう」ブームの到来

 今の「自己肯定感」を高めようというブームは、真面目に生きていても、自分への劣等感や社会的な弱点に悩み、生きる自信を失いがちな人たちが如何に多いかを示しています。

 真面目に生きている人ほど、現状の社会への肯定感を強くもっていることで、かえってそれに適応できない自分に「自己肯定感」を感じられないという皮肉な状況が生まれがちです。

 いわゆる、「I’m OK.」ではない状態、自分自身に適応できない=「内的適応感」のない状態になるのです。

 

 かくして「自己肯定感を高めるために頑張って努力しましょう」という情報が溢れることになります。

・自分の感情や考えを大切にしましょう。

・失敗を恐れずに新しいことに挑戦しましょう。

・物事を前向きに捉えて、困難な状況でも希望を失わないようにしましょう。

・過去の失敗にとらわれず、常に成長していきましょう。

・自分のことを好きになって、自己嫌悪に陥らないようにしましょう。

・他者と自分を比べることはやめましょう。

・完璧を目指さず、失敗をしても落ち込まないようにしましょう。

・他人の評価を気にするのはやめましょう。

・自分の良いところも悪いところも、そのまま受け入れましょう。

・過去の成功体験を振り返り、自信をつけましょう。

・達成感を積み重ねましょう。

・毎日、自分の良いところを一つ見つけて褒めましょう。

・周りの人や環境に感謝しましょう。

・他人の意見も尊重しましょう。

・日常会話で、肯定的な言葉を使いましょう。

・・・・・・・・・・・・・・・等々

「自己肯定感」をもちにくい社会こそ問題

 確かに、どれも間違ったことではないし、「良いこと」を言っているように聞こえてきます。少しでも自分が生きる苦しさを感じている人たちには、「なるほど」と思える言葉もあるかもしれません。「これくらいならできそうだ」「やってみよう」と、ついその記事を読んで、ちょっと元気になれるのかもしれません。

 

 また、「他者評価は変わるものではないから気にせず、自分の生きる主導権を取り戻そう」と呼び掛ける精神科医の記事や、自分の呼吸や身体を感じて自分の存在を感じる瞑想・マインドフルネスなどへの取り組みを勧める心理学や宗教家の記事も見かけます。

 どれも、自信が持てずに社会適応に悩む人を救う思考法や気持ちを安定させる手立てになるかもしれません。

 

 しかし、すべてに共通しているのは、自助努力、自己改革によって「自己肯定感」を高めて、前向きに生きることを目指していることです。

 本当にそれだけで良いのでしょうか?

 

 このままでは課題はどこまでも個人にあり、「自己肯定感」が低い原因帰属は自分になります。日々を真面目に生きている人間に「自己肯定感」を与えられない社会環境に責任はないのでしょうか?

 この社会には、自助努力なくしては「自己肯定感」は存在し得ないのでしょうか?

「自己肯定感」は獲得すべきものではなく、すべての人に与えられるもの

 最近の記事の中に、「自己肯定感」ブームとは一線を画した主張を見つけました。

 

 脳科学者の中野信子さんの7/3都内で行われたトークイベントの記事に、「自分はすごいんだと自信を持つことが自己肯定感ではない。どんなに惨めな自分でも、不安でも、繊細でも、生きることを侵害する権利は誰にもないというのが自己肯定感だ」という中野さんのコメントがありました。

 

 また、臨床心理士信田さよ子さんは、その著書やメディア記事などの中で、「私は自己肯定感という言葉が嫌いで、使わない」と言っています。

 信田さんによれば、(今ブームになって言われている「自己肯定感」は)他者評価を意識して「好きな自分になりましょう」という自己責任論そのもので、自分の弱さを受け容れられていない人に向かって「変われ」と言っていることになると述べています。

 評価は暴力で、それによって人は追い詰められていく。そもそもその人の弱さはその人の責任ではなく社会構造が生み出していると主張しています。

 私たちは皆、自分がどこにどういう状況の中で生まれ育つのかを選ぶことはできませんが、自分に愛情を注いでくれる養育者に巡り合い、安全と安心の中で自他の分離を果たし、愛着関係(アタッチメント)の内面化によって人への基本的信頼感を内面化し、外の環境に自ら働きかけながら健康に育っていく権利をもっています。

 養育過程で、子どもと共に同じ時間を過ごし、子どもを抱く大人たちが感じる幸せが、子どもの中に自然に「自己肯定感」「自尊感情」を芽生えさせるのです。それは大人になっても「人との信頼関係」として自分自身を支えていきます。

 これは人間の内面の生きるための基本的な感情であり、自分への信頼感でもあります。

 

 「自己肯定感」は文字通り「感情」です。「感情」は周囲の環境によって変化していきます。自己努力では解決できない、家庭や学校、職場、地域社会の人間関係の自由度、寛容さ、温かさ、公平性などのあり様によって人の感情は変わっていきます。

 どんな境遇にあっても、「自己肯定感」をもって「自己受容」することは自分として「生きる」ことそのものです。

 自分の長所も短所も、どうしようもない苦しみも、生きづらさも、ダメな自分もちょっと格好が良い自分もひっくるめて「自分」だと受容して「生きる」権利が私たちにはあります。

 

 そろそろ、私たちは考え直す時です。

 

 他者評価に怯えて社会のご機嫌を伺うのを終わりにしましょう。このままでは、私たちは「自分が好きになれる自分」だけをいつまでも追い求め、自分を責め続けて病んでいくだけです。

 自分の思考に固着した「自己責任論」を捨て、自責の念を社会への怒りに変え、自分の不安や弱さを社会に責任転嫁するのが第一歩です。

 あなたはけして悪くない。悪いのは社会の環境や構造なのです。

 

 「自己肯定感」すら与えられない未成熟な「社会」では、自ら「ありのままの自分」で堂々と「生きる」ことから健康への道が開けるのです。