児童に対する虐待行為の内容は、①身体的虐待、②性的虐待、③ネグレクト、④心理的虐待の4種類があり、法によって禁止されています。(「児童虐待の防止等に関する法律」2000年11月20日施行)

あらゆる虐待には広義の「心理的虐待」が伴う
上記の法律では「虐待」を4種類に区分していますが、多くは重複的であり、①~③においても「心理的虐待」が存在しています。
法律上④の「心理的虐待」は、①~③の直接的な行為を伴わないものを便宜的に分けているだけで、すべての虐待が子どもの心の傷つき(トラウマ)を生むと考えれば、広義の「心理的虐待」を伴うものが「虐待」と言えます。
子どもの心に深い傷残す「虐待」の多くは、子どもの日常生活の日々に、繰り返されながら長く続いていくことでその層の深さを形作っていきます。
具体的には、暴力(身体的虐待)、性暴力やグルーミング(性的虐待)、衣食住を奪う養育(ネグレクト)、暴言、DVの目撃、宗教による生活支配、過干渉やエジュケーショナルマルトリートメント(教育虐待)、精神的なネグレクト(無関心・放置)などがあり、時代を超えて、形を変えながら子どもへの虐待は増え続けています。

どうしたら学校は「虐待」に気づけるか
小中学校でも虐待が疑われるケースが多くありますが、なかなか外からは見えにくいため、子どもの状況や変化を捉えていく学校側の支援の機能も問われています。
まず、すべては「子どもの変調」に気づくことから始まります。
体調不良を訴えての保健室利用が増える、遅刻早退欠席が増える、学習成績が低下するなどの変化は目に見えやすいものですが、徐々に表情が乏しくなる、独りで過ごすことが増えるなどは、見過ごされやすいものです。日頃からの教員間の子どもの変化の情報交換がキーポイントです。
また、顔や身体に傷や内出血がある、衣服が汚れている、手首にリストカットのような痕がある、首筋に擦り傷がある、「死にたい」と希死念慮を周囲に漏らすなどについては放置せずに、その日のうちに教員間で情報共有し、対応を協議します。
虐待の可能性がある場合は、慌てて杓子定規に保護者に連絡をせずに、まず子ども本人と向き合って気持ちを訊きながら、どういう形での対応を望んでいるのか、いつ誰がどこでどういう形で保護者に伝えるのかを決めていくようにします。学校としては児童相談所への通告や連携の可能性を含めて準備しておきます。
その時に最も大事なことは、子どもと学校の信頼関係です。子どもの思い通りにするという意味ではなく、子どもとのつながりを切らずに時間をかけて向き合い、子どもの納得を得ながら対応を進めることが肝要です。

また、虐待ケースは、相談ベースになかなか乗りにくいという共通点がみられます。
虐待ケースの多くは、子どもの変調に対しても家庭から学校へのアクションがほとんどありません。子どもの変調に気づいた担任が心配して親に連絡しても、「家では変わりなく、問題ない」「学校での変調は学校に原因があるのではないか」などと言って取り合わないこともあります。
学校からのアプローチに対して必要以上に防衛的・攻撃的になる親には何か理由があるのです。
虐待ケースでは、子どもを虐待から救うことが最優先になります。自分から児相に一時保護を希望して電話をする子どももいますが、多くは学校や子どもが通っている外部機関が変調に気づくことから虐待が明らかになります。
子どもの変調や違和感を見逃さずに、校内で情報共有して子ども自身へのアプローチが続けられる学校の支援のセンスが問われているのです。
以下に紹介する中1の男子Kくんのケースは、増え始めた欠席とKくんの虐待を伺わせる一言から始まりました。(ケースは実際のものとは変えています)
中学生Kくんの憂鬱(ケース紹介)

Kくんの変調
中1のKくんは無口で物静かな少年です。学級では周囲とは適度に交流をしますが、何事にも積極的に行動する方ではありません。学習面はとても優秀だそうです。
小学校からの引継ぎ事項は特にはなく、問題のない子どもとして入学してきています。担任もKくんの真面目な性格や社会性、学習の能力などから、学校の枠を踏み外すことなく、教員やクラスメイトとの適度のコミュニケーションを保ちつつ過ごしているフツーの生徒とみていました。
しかし入部した運動部を早々に退部すると、5月頃からポツリポツリと体調不良で欠席が増え始めました。
Kくんの表情が少し憂うつそうに見えた担任が、6月頃欠席明けに登校したKくんに声をかけ、話を訊くと思わぬ答えが返ってきました。
「欠席をした時に、父親から暴力を受けました」
驚いた担任が詳しく聞こうとすると、ここだけの話にしてほしいとそれ以上具体的な話をしたがりません。そして、殴打されたという顔には腫れや傷跡らしきものはまったく見当たりませんでした。虐待?虚言?
迷った担任は学年の教員たちに相談しましたが、本人の話をもう少し聞いてみようということになり、スクールカウンセラー(SC)に白羽の矢が立ちます。SCは40代でKくんの母親世代の女性でした。
担任がKくんに「SCと話してみないか」と提案したところ、意外にも?Kくんは快諾しました。

KくんとSCの面接がはじまる
Kくんが予約通りSCとの面接に訪れたのは6月の半ばでした。
SCによれば、Kくんは穏やかで人当たりが良く、SCとの会話も卒なく上手でしたが、自分から何かを話すことはしません。でも、不思議なことに二人の間に「沈黙」の時間があっても、変な緊張感が走るようなこともなかったといいます。
SCから問われる体調や気分、家での過ごし方などについては的確に答え、それ以上に自分の思いを話さず、何も問わなければ、ただ穏やかに黙っていたそうです。
肝心の「父親からの暴力」については、「あったこと」だけを認めましたが、詳細については話しませんでした。
Kくんは50分程度の面接が終了すると、次の面接の予約をして礼を言って退室したそうです。
Kくんが何かを抱えている様子を感じたSCは、面接では真偽不明の父親からの暴力にすぐに焦点化することをせず、SCがKくんに関心を寄せて、顔を見ながら会話を続けることがこのケースのカギを握ると判断し、担任と学年の教員に伝え理解を得ました。
その後、SCが感じていたとおり、Kくんは2回目以降の面接には忘れることなく必ず訪れます。夏休み前には、体調不調を理由にKくんの登校する日が徐々に減っていきましたが、SCとの面接予約がある日は必ず登校し、面接に訪れました。

Kくんの家族歴と家庭状況
SCは、Kくんの小学校時代の詳しい情報をあらためて中学校から小学校に聞き取ってもらい、小学校が知り得た生育歴や家族歴の情報を集めました。
それによると、Kくんは小学校中学年の頃に両親が離婚。母親と離別し、Kくんと二つ下の弟と父親との3人家族となったそうです。父親は経済力もあり生活面での問題はないとのことです。Kくんの学校生活にも変化はみられなかったとのことでした。
その後、あまり時間をおかず父親は再婚し、女性とその子どもとの同居が始まります。いわゆるステップファミリーの5人家族の暮らしが同じ家の中で始まったのです。Kくんが小6の時のことです。
しかし家庭では、父親の子どもたちと、女性と子どもとの交流はなく、食事の時間や空間も分けて生活し、互いの子どもの養育・教育に関しても一切干渉しない決まりであるとの父親からの話に従って、小学校は父親とのみ連絡を取ってきたそうです。
ところが、その後Kくんは、父親から別居した母親が急死したことを知らされます。
詳細は不明で、学校もそのことを知ったのは後のことだったそうです。当時の担任は、Kくん兄弟が両親離婚から母親の死去までの経緯について父親から何も説明を受けていない様子で、子どもたちは母親とも連絡を取っていなかったことに当惑していたようですが、兄弟ともに毎日特に変化もなく登校していたのでそのままになったようです。

夏休み明けの不調
夏休み明けも、Kくんの様子には変化はみられず、月に2回ペースのSCの面接に来談していました。
10月半ばを過ぎた頃から面接でのKくんに変化がみられ始めます。
SCがいつもどおりKくんに話しかけながら面接の時間を過ごしていると、なんの前触れもなくKくんが母親の話をし始めたそうです。小さい時に母親とこんなことをしたとか、こんな人だったなど、ポツリポツリと話してくれたと言います。
このことがきっかけになったように、Kくんの登校日数は減っていき欠席数が上回るようになりました。SCはこの時、Kくんには母親のことで傷ついていると確信したといいます。

学校では、Kくんの不登校を理由に父親と相談しようということになり、担任が多忙な父親に何度も電話をして学校に来てもらう段取りを組み、来校が実現したのは12月に入ってからでした。
父親は担任との面談の後、SCとの面接も行いました。
SCによると、父親はKくんの不登校への対応については拍子抜けするほど協力的で、今後も学校と連携していくことになったそうです。不調の時の学校欠席についても、無理強いしたことはないと言います。しかし「父親からの暴力」の真偽は以前不明のままでした。
その一方で、SCは父親の独特な雰囲気を感じ取ったと言います。
父親の話しぶりは仕事の話のように事務的で淡々としており、Kくんの様子よりも、父親自身の生育歴や仕事の話を一方的に話す様子がみられました。唯一、父親が語ったKくんは「嘘つきで、虚言が多い」ということだけだったそうです。
SCはその後Kくんには、父親がKくんの不登校を心配して相談に来てくれたことだけを伝えました。

冬休み後のKくんとその後
年が明けるとKくんはやや回復傾向をみせ、登校する日も増えて学校行事にも参加し、元の時々欠席ペースに戻ります。SCとの面接も来談し、雑談でも明るい表情が見られるようになってきました。
学校としては父親ともつながりができ、Kくんの健康度も回復傾向をみせていることから、SCの面接を続けながらKくんの様子をみていくことになりました。
進級後もKくんのペースは変わらず、欠席をしながらの中学校生活を過ごしていったそうです。それなりの安定を感じたSCは面接のペースを緩めて継続する中で、Kくんには「お父さんにSCから伝えてほしいことがあれば伝えるよ」と毎回、最後に言葉をかけ続けたそうです。
卒業期に入り、学校はSCの見立てに基づいて目標を設定し実践しました。
「Kくんには、この先いつでも両親の離婚や母親のことについて父親に尋ねて良いこと、きちんと知る権利がKくんにあることを心理教育し、傷ついたKくんの心に自立の種を蒔く」という目標でした。
Kくんは卒業後、高校に進学しています。

Kくんのケースから学ぶこと
子どもが「自分が何者なのか」ということを知り、ひとりの人格としてのアイデンティティーを作って生きていくことために、出自や家庭環境の変化については「知る権利」が保障されています。
Kくんのように、子どもだからという理由だけで何の説明もされない「大人の無関心」と「精神的な放置」は、ひとりの人格として扱われないことと同義です。

両親の離婚や、別居後の母親の所在、生死、再婚と同居などについて、Kくんには事情を知る権利があります。そして、未熟な子どもの側に立って状況の説明をし、その不安や動揺を一緒に受け止めていくことは周囲にいる大人の養育の義務です。
Kくんのケースでは、Kくん自身が自分の思いを言語化できない限り、状況だけでは「心理的虐待」があったとは断言できませんが、少なくとも学校はKくんの傷つきに気がつきました。
その答えが、Kくんの「空虚で不確かな自己の存在」に、学校の大人たちが向かい合って、将来の自立に向けて教育していくことだったのだと理解できるのです。
「嘘」の世界に生活している子どもには、当たり前のように「嘘」や「虚言」は増えていきます。Kくんの父親はそのことに気づくことができませんでした。
しかしKくんは、「実態が不明な虚構の生活」の中に放置されるという「暴力」を心に受けて傷ついていたのです。
Kくんが抱えた思いをそのまま受け止め、辛抱強く「憂うつなKくん」に向き合い支え続けた学校の姿勢が、Kくんのあの言葉が「虚言」ではなかったことを明らかにしたのです。
